ものすごく嫌なヤツがいたとしても、それは〈自分〉という立場から見た相手の一面にすぎない。 どんなに悪いヤツだと思っても、ある人の立場から見たら恩人かもしれないし、なくてはならない存在のこともある。 人を決めつけるほど自分は偉くないし、自分も人に決めつけられる義理はないんだ。
最近やってよかった事は憧れの人リストを作ってみた事。2次元3次元を問わずにまず「好きだなぁ」「憧れるなぁ」と思う人の名前を書いていって「その人のどんな所に憧れるか」を書き出してみるの。そうして文字化すると自分の目指すものが見えてきて「私もこう意識してみよっかな」って目標が近くなった
できなかったことを落ち込むのはいいけど「いつまで」落ち込むのか期限をつけるのがオススメだよ。過ぎたことはいくら落ち込んだって返ってこないし、かといって「だ、大丈夫だよ!」と強がっても傷は癒えないから。「10分間だけめいいっぱい反省会しよ〜」とか割り切って落ち込むと立ち直りも楽になる
なんか頭が重いな〜朝シャキッとしないなぁ〜と思ってた時にこれやったら、めちゃめちゃスッキリしたのでおすすめです!!!!!30秒間、この姿勢で頭のてっぺんのツボを刺激してあげるだけで朝の快適度が爆上がりしました…ほんとおすすめ…つらい人ぜひやってみてください…!
「差別をするのも多様性」って言い出したら「人をナイフで刺すのも多様性」って言うのと同じになる。人の自由を加害するものまで権利やら自由やら多様性って言い出したらひっちゃかめっちゃかになるんだよね。多様性って合理化しやすいし、自由の意味を履き違えないようにしたいなぁ、と思う今日この頃
別に誰に笑われたっていい 昔からの顔なじみや名前も知らない赤の他人まで、色んな人から指をさされてバカにされたっていい ただ一人、 何をしても笑わないでいてくれて、自分を真っ直ぐな目で見てくれる人 本当に間違えた時には恨まれてでも止めてくれる人 そんな一人がいれば人は真っ直ぐ歩ける
やろうとしたことが崩れても問題じゃない、自分の心が崩れることが問題だ。 やりたかったこと、期待していたこと、待ち望んだことが崩れても、自分の心が崩れなければまた立て直せる。 でもどんなにちっぽけな問題だとしても、自分の心が崩れたら終わりなんだ。 目の前の壁より自分の心が大事だよ。
「誰かのために生きられる人」は、誰かのために自分を殺す人ではない。 「自分のために生きられる人」が、誰かのためにも生きられる人なんだ。
リアルでもネットでも、相手に対して「思ってたのと違う」と叩く人がいるけれど。 人には基本、期待しない方がいい。 自分には自分の人生があるように、相手もその人の人生や生き方がある生身の人間なんだからさ。 思い通りにならないのは当然。 相手は自分の理想を叶えるためのフィクションじゃない。
子どもは親が望む子どもになんてならなくていいし、親だって完璧な親じゃなくたっていい。 お互い勝手な理想と期待を押し付け合う必要なんて、どこにもないんだ。 私たちは子である前に、親である前に、それぞれ一人の人間だから。
人を傷つけたくなる時は、実は自分が傷ついている時。 誰かにアレコレ言えば、その時はスッキリするかもしれないけれど。 傷つけたくなる時こそ、まずは人を見ないで自分をしっかり見てあげること。 自分の心を省みることが最優先なんだ。
生きていることが前進すること。今は無力で、自分には何もできないように感じる時があっても、人は生きている限り前進している。今できないことは10年後には軽々とできているかもしれないし、今悩んでいることはちっぽけに見えているかもしれない。心臓が無意識で鼓動するように、人は毎日勤しんでいる
ネットの誹謗中傷とかを見ていると「それ言う必要ある?」みたいな内容がほとんどなんだよな。勿論時には戦わなきゃいけない場面もあるけれど、戦わなくてもいいのに喧嘩をふっかける事にはデメリットしかない。思ってもいいけど言ってはいけない事、言うにしても場所は選ぶという分別は大事にしたいな
自分を変える事は「しなきゃいけないんだけど…」と漠然と思うより、「○○のために変わろう」「変化して○○をしよう」と目的を持つといいよ🙆 例えば「ダイエットしなきゃなぁ…」じゃなくて「あのスカートを履くために-3kgがんばろう!」とか。 義務感は焦らせるだけだけど、目的は原動力になる。
失敗すれば、何が悪かったのかを学べる。次どうしたらいいのかヒントが見える。失敗は何もしないことに比べたらずっと素晴らしいことなんだ。何もしなければ残るものもないけれど、失敗は挑戦した分残るものがある。できなかった自分を責めるより、一歩踏み出してみた努力を認めてやれたらいいよね。
ちゃんとやることも大事だけれど、楽しくやることも大事なんだ。無理をしてやることは続かないし、過度なプレッシャーはミスを生む。楽しくやることは続けられるし、継続できることは上達もできる。無理に苦しくやって倒れるより、楽しくコツコツマイペースに生きる意識を持てたら。
どんな人が、心から信頼できる人なのか? 言葉が上手い人なのか、それとも名誉や肩書きに優れた人なのか。 けれども、実際には言葉や肩書きばかりが立派なだけで、実体が伴わない人が山ほどいる。 本当に信じられる人は、言葉だけではなく行ないで見せてくれる人なんだ。
一度で上手くいった人よりも、二度、三度、何度も失敗して、何度も試行錯誤してやり遂げた人の方がずっと強い。 だから、できないことがあっても、自分をあまり責めないで。 今はできないことも、あとにはもっとよくできるようになるから。 どうしてもできないことなら、別の道で輝けばいいから。
やったことはひと欠片でも残るし、やらなかったことは何も残らない。自分を変えることは一朝一夕ではできないけれど、やった分は何一つとして無駄にはならないんだ。今日積み重ねた1が1年後には365になって、3年経つ前には1000を超えていく。大丈夫、今すぐ見違えるほど変われなくたって焦らないで。
アダルトチルドレン(AC)のよくある間違い ✕大人だけど子供でいたい人 ×子供っぽい大人 〇「子供時代に親との関係でトラウマを負い、生きづらさを抱えている成人」の事 元はアルコール依存症者の家庭で育った成人を指した言葉でもある 家庭の問題なのに本人の短所みたいに勘違いされると複雑だよね
誰もがゆずれないものを持っていて、いいと思うんだ。 でもね、それで他人を傷つけたり、押し付けたりするのは、やめといた方がいい。 自分の信念は自分を支えるためにあるもの、他人を傷つけるために使うものではないんだよね。
弱音吐いちゃいけないなんて誰が言ったのか。 そんなの吐いちゃえばいいよ。 それでも抵抗があるなら、弱音を吐いた後に一言ポジティブを付け加えればいい。 「しんどい…から今日はもう寝てスッキリしよう」 「つらい…から美味しいものでも食べて元気出そう」 ってさ。 溜め込むのが一番よくないよ。
あたたかいお味噌汁を飲むこと。 自分のお布団で眠ること。 太陽が昇ってまた新しい一日が始まること。 こんなにも当たり前のことが、こんなにも贅沢で価値あることなんだと、どうして気づかないんだろう。 どうして忘れてしまうんだろう。 「当たり前」に感謝するだけで、見える景色は変わるのにね。
思い通りにいかないことが、人生の幅を広げてくれるんだ。物事が全て思い通りに進むならとっても楽だけど、想像以上のことは何も起こらない。過程も結末もわかりきっていることは退屈で、予想外のことが起こるから面白いんだ。上手くいかなかったことがもっといい結末をもってきてくれることもあるしね
子どもの頃に読んだ本も大人になると感じ方が変わるように、過去の捉え方も時間と共に更新されていく。 今はつらい事も5年、10年後には笑い話になっていたり、 20年、30年後には「あの時のおかげで」と思えるようになるかもしれない。 過去あった事は変えられなくても、過去の意味は変えられるんだ。