自分の幸せに、人の目は関係ない。 「あの子、片親なんだって」 「あの人、重い病気なんですって」 「かわいそうに」 「お気の毒ですね」 人の言うことがなんだ。 誰がなんと言おうと、自分が幸せなら関係ない。 幸せかどうかは他人が決めることではなく、自分が決めることだ。
つらい時だからといって「つらいこと」だけが来るわけじゃない。苦しい時ほど「とてもよい機会」もやってくるんだ。いい時には分からなかったことに気づけたり、悩みを通して成長したり、もがいたことで荒いところが削られ磨かれたり。過去も今この瞬間も、意味があるものにするかは自分次第なんだ。
相手のためといって、何もかも全てをしてあげることが優しさとは限らない。 あれもこれもと手を焼き過ぎてしまうと、それは時として相手から自立する力を奪い、自分に依存させてしまうから。 依存による一時的な救いではなく、自分の力で前に進めるように、その後押しをしてあげることも優しさなんだ。
「家族のため」 「社会のため」 「愛する人のため」 と言う人ほど、まず自分が生きなきゃならない。 時には犠牲にならなきゃいけないことがあったとしても、いつも身を削れば限界がくる。 自分を使い果たせば愛するものを守れるのもそこまでだ。 自分を守る分、大切なものも守ることができるんだよ。
みんなさ、ちゃんと充電してる? スマホだってさ、いくら平均2年は使えるって言ったって、充電なしには1日だってもたないでしょ。 人間もそれと同じ。 毎日あくせく頑張って生きてるのに、心の充電・体の充電もなしに走り続けたら、そりゃバッテリーも切れちゃうよ。 もっと自分を充電してあげよう。
もう後悔している人を責めたって、しかたないじゃないか。相手だってそうだし、自分だってそう。なかったことにまで必要するはないけれど、後悔しているなら反省する心があることだから。叩きすぎてその心まで潰してしまえば逆効果だし、せっかく後悔できたならもっと良い次に繋げるきっかけにできたら
病気になった始めの頃って本当に怖くて 経験者の言葉がすごくありがたかった 健康な友達が励ましてくれるのも勿論嬉しかったけど 「でもこの痛みはわからないんだよな」とひねくれた心もあった 同じ病気、同じ障害でも痛みまで同じとは限らないけど 経験したことはやっぱり心の支えになると思うんだ
完璧な言葉なんてどこにもなくて。「大丈夫」って言われて安心する人もいれば「大丈夫じゃないのに」って苦しく思う人もいるわけで、誰かにとって薬になる言葉も別の誰かにとっては毒になったりもするもので。100%間違えない事は無理だけど、失敗は恐れなくてもいい。失敗したら学んで直せたらいいよね
もし今辛い状況にあるのなら、人生の雨だと思えばいい。 今は雨の時だから、無理して外に出ようとしなくてもいい。 雨の時には家の中でできることをして、晴れになったら外でできることをすればいい。 良い時には良い時なりに行って、悪い時には悪い時なりに行えばいいんだ。
人はどう頑張ったって間違えるものだ。 一生一度も間違えないで生きられるなら良いけれど、それは無理なんだ。 それだけ自分は無知で未熟な生き物で。 だからせめて、間違えた時には「間違えました」と認められる人でありたい。 「間違ってません」なんて我を張らず、過ちを改められる人でありたいな。
どんな言葉でも基本的には「えっありえない!」と拒絶せずに「なるほど…」と一旦受け止めるようにはしているんだけど、そのあと受け入れるかどうかは別にする事も大事。受け止めもせずに相手の言葉を叩き落とせば争いになるけど、全部を受け入れていたら自分がなくなる。受け止めると受け入れるは別物
自分には理解できない人も馬鹿にはできない。たとえ自分とは全く別の意見だったとしても、馬鹿にしたら衝突しかない。相手の話を受け入れて自分を変える必要はないけど、「なぜそうするのか」「そこに至った背景は何だろうか」って考えるのは大事な事だと思うんだ。無理解は争いを加速させるだけだから
みんな意外とだめな所もあるんだよ。自分以外の他の人は綺麗で完璧に見えたりもするけれど、それは表向きの顔をしているだけなんだ。会社では泣けなくても家に帰ったらワ〜っとクッションに飛び込む人もいるし、弱い所だめな所は見せないようにしているだけ。比べなくてもいい、みんなそんなものだから
人は、意識し過ぎるとうまくいかない。 物事は、あまりに力み過ぎるとうまくいかない。 何事も「うまくやろう」とする心ばかりが先走って、力が入り過ぎないように。 力まず、そっと、やさしくやってこそ、うまくいく。
知らないところで自分の悪口を言われていた時の不快度が10ポイントなら、自分がいないところで褒められていた時のご機嫌度は5000億ポイントくらいなので、その場にいない人の賞賛は積極的にしたらええと思う🙋
ひとりじゃ背負えない荷物もあるよ お引越しする時も 片手で運べる荷物、 両手でやっと運べる荷物、 ひとりじゃどうにもできない荷物がある そういう時は、 ふたりで運べばいいんだよ 友だちでもいい、業者さんでもいい 大きな荷物もふたりなら大丈夫 心のお引越しにも 時には人手が大の切。
突然ですが、抜き打ちチェックです。 今、肩の力入っていませんか? もしそうなら、ふぅと一息ついて、肩をストンと降ろしてみよう。 大丈夫、大丈夫。 そんなに力を入れなくても大丈夫。 上手くいかなくても大丈夫。 いつも気を張らなくたっていいんだよ。
ほしいものが手に入るまではず〜っと考えてるのに、手に入った瞬間から興味がなくなっちゃう癖、なんとかしたいなぁ…。高校生まではウッキウッキして抱えてたのに、いつからか手に入れる事自体が目的になってしまっていた。大事なものは手に入れてからがもっと大事なんやで、と自分に言い聞かせている
掃除は放っておいて部屋が荒れ果ててからまとめてするよりも、毎日その都度きれいにする方がずっと楽だ。 人の心もそれと同じ。 悩みや心配不安、あれもこれも抱え込んでパンク寸前になってからなんとかするよりも、心のモヤモヤはその都度解消しておく方がいい。
「自分は弱い」 「自分は足りない」 そう思っても、自分にしかできないことがある。 大丈夫、どうせ100%完璧なんてほとんどの人ができないんだ。 弱いなら弱いなり、足りないなら足りないなりにやればいい。 失敗してもいい、今できる精一杯をすることは必ず次に繋がるから。
自分が普段から我慢している事は「なんであなたは守らないの!?」と他人に対しても厳しくなるし、自分が誰かに許してもらった事は「まあ私も許してもらったしな」と他人にも寛容になる。 自分に厳しく人に優しくは実際のところ難しくて、自分にも他人にも優しく生きられたらなと思う今日この頃です
言わなきゃいけないことほど言いにくいし、ひとりじゃできないことほど抱え込みたくなる。 弱音なんて吐きたくないし、弱い自分も見せたくない。 優等生の面なんて被って能天気そうな馬鹿に憧れても、馬鹿の方がよっぽど賢く生きている。 不器用なんだよなぁ、優等生って奴は。
Q.あなたはやられたらやり返しますか? A.はい、もちろん倍返しです。 実はめちゃくちゃ痛くてもそいつの前では痛がっても痒がってもやらず、へーそうですかふーん暇なんですねぇと歯を食いしばって大人の対応をしつつ、裏で死ぬほど努力して這い上がって幸せ掴んで全て我が養分に変えてやりますね
知ろうとする人は知れるし、理解しようとする人は理解できる。勿論それには努力が必要で簡単な道ではないかもしれないけれど、やろうとする心を持つ人には道が開かれている。一番難しいのは、知ろうともしない人に知らせ、理解しようともしない人に教える事。世界を広げるも閉ざすも鍵は本人なんだよね
自分が受けてきた苦痛を「当たり前」だとは思わない方がいい。 なぜなら「当たり前」だと思っていることは、いつか他人にも強要してしまいかねないから。 それが本当に仕方のないことならともかくとして、改善の余地があることなら発展がなくなってしまうから。