昨晩人がガラガラの銀行に行ったら隣のサラリーマンが突然「てめぇんだよ!」「ふざけてんのか?!」「なんとか言ってみろよ!」ってATM相手にキレだして最終的に「てめぇなんかこうだ!」ってしょぼい蹴りをして出てったんだけど、多分Twitterで荒れてる人も機械に当たってる感覚なんだろうなと思った
ずっと続くように思えた小学生の頃の夏休みはもう二度と体験できないし、傍にいる事が当たり前だったあの人はもういない事が日常になった。人はいつか、と頭ではわかっていても身近な人がいなくなった日常はそうなるまで中々考えられないもの。コロナを通して「当たり前」の価値を再認識させられたなぁ
自分にできない事があった時は、「できないからダメだ」と思うより「自分には“まだ”できない」「これはできないけど他の事ができる」と思えばいいんだ。 小学生に高校の勉強を教えても難しいように、できるまで時間がかかる事は大人も沢山ある。 焦らず打ちこむもヨシ、選択肢を増やすもアリだよね。
何かを好きだという時に何かをけなす必要なんてない。「××ちゃんは嫌いだけど○○ちゃんは好き」とか「××はブスだけど○○はかわいい」とか。そんなのほめられた側も嬉しくないし、否定された側もそれが好きな人も傷つけてしまうから。何かを否定しなくても純粋に好きなものを語れたらいいよね。
休むことってさ、よく怠けとか言われるじゃん。 でも、私は偉いことだなって思うよ。 ズル休みは別として、きちんと自分の体調と状況を省みた上で「ここは休んでおいた方がいいな」ってしっかり判断できるなら、それは立派なマネジメント力だと思う。 大きく見れば、休むことも仕事だからね。
今年も一年、みんなよく生きてきたね。 できない事足りない事もあったかもしれないけど、できないなりにやってきて、足りないながらも生きてきたから今がある。 終わりにするのは簡単だけど続ける事は楽じゃない。 来年もきっと色々あるけど大丈夫。 一人一人にとって、もっといい年になりますように。
自分が正しいと信じてやまない人っている。 「Aの人もいればBの人もいる」事実はただそれだけなのに、「Bなんていない!Bなんて悪だ!」って自分と異なるものを消しにかかってくるからタチが悪い。 そういう人に限って、過去同じように別の誰かに正義を押し付けられた犠牲者だったりするんだけどね。
好きな人の全部を好きにならなくてもいい。「この人のこと好きだけど、ちょっと合わない所もあるな」って思えたらそれでいい。一個嫌いな所が見えたからって今までの好きを全否定する事もないし、自分を無理に合わせる事もない。逆に嫌いな人に「いい所もあるじゃん」って好きな一面があってもいいしね
何かプレゼントや食事をご馳走してもらった時、きっと正解は「わあ、ありがとう!嬉しい〜!」なんだろうなと思いつつ「(申し訳ない…)」が先にくる人種なんだけど、これを克服するには“相手が望む反応をするスキル”ではなく“自分がもらって享受するのを許す心”なんだよなと思う今日この頃です
いい意味で失敗に慣れること。どんなに完璧に見える人でも失敗はするし、上手くいくことだけが人生じゃない。自分の失敗に厳しすぎると他人の失敗も許せなくなってしまうから、上手くいかない時にはまず責めるより挑戦したことをほめてあげよう。やってみたからこその失敗だし、経験は未来の糧になるよ
やりたくてもできないことはある。 淡水魚が海水で泳ぐことはできない。 でも、やればできることも沢山ある。 過去諦めたこと、 失敗したこと、 馬鹿にされたこと、 今やれば、できるかもしれない。 できない経験で沢山傷ついて、 傷つくのが怖くなって、 今できることまでやらないのは勿体ないや。
「あの頃はよかったな〜」なんて言っていたら、いつまで経っても今を生きられない。 人生、いつだって今が一番大事な時だ。 50歳を超えてから水泳を始める人もいれば、勉強して医者になる人だっている。 100歳から見たら、70歳80歳だって青春だ。 生きている限り毎日がチャンスで、毎日が青春なんだ。
相手に距離を取られた時に、すぐ「私、何か悪いことしちゃったのかも」「私、嫌われているのかも」と自己否定する人は要注意。 何でもかんでも自分のせいにする癖は、人生を生きづらくする。 そういった時は自己否定するのではなく、タイミングややり方がまずかったんだなと思って改めるといいよ🙆
頼らないことが偉いわけじゃない。 一人でできることは、一人でやる。 でも一人でできることには限界がある。 一人で運べる物は一人で運び、二人で運べる物は二人で運ぶ。 ただそれだけのこと。 自分が思う以上に、頼った方がいいことはたくさんあるよ。
同じことをしてもらっても、ある人は感謝し、ある人は「当たり前」と思う。 そして人生得をするのは、圧倒的に前者の方。 感謝する人にはもっとあげたくなるし、与えても価値の分からない人にはそれ以上あげたくないものだ。 どんな些細なことにも、「ありがとう」を忘れない人でありたいね。
最初から100%やろうとする人は、はじめの一歩がなかなか踏み出せない。 そうしているうちに1日、1週間、1ヶ月、1年と時間が過ぎていけば、結局やることも忘れて生きるようになる。 だから本当にやりたいことは、0.01%からでもいいからまずやってみることだ。 大丈夫、始めは誰だって微弱なものだから。
「有難い」って、本当に素敵な言葉だな。「有ることが難しい」=「それだけ貴重だ」と思えるからこそ人は感謝できるのであって、「有って当たり前」と思ってしまった瞬間から価値を忘れて感謝もできなくなってしまう。物質も人の想いも当たり前と思わずに、いつも感謝できる人でありたいよね
全部人が決めてくれる人生は楽だ。楽だけど自由がないんだ。進路も何かを決断する時も「あの人がこういったからやった」って言えば失敗も誰かのせいにできる。でも、それは失敗から学べることも手放すことになっちゃうんだ。人が決めるなら人の人生。自分が考えて決心する時に自分の人生を生きられる
「どこ行きたい?」って聞かれて「ここ行きたい!」って即答できる人に憧れる。「え、これなんて答えるのが正解だろ…?私はここ気になるけど相手が気に入るか分からないし、わざわざ付き合ってもらうのも悪いし…この人の好きそうな場所といえば…」って深読み思考にダイブしちゃうの何とかしたいな。
めちゃくちゃ嫌なやつがいたとしてもさ、その人の不幸を喜ぶような人にはなりたくないよね。 べつにその人のためっていうんじゃないけどさ。 ただ、相手が誰だろうと人の不幸を喜ぶようになっちゃったら、そんな自分がちょっとやだなって思うんだ。
高校生の時「私はもうダメだ」と絶望したけど、そこで本当に諦めたら早すぎるんだ。映画の始まり5分だけ観て「つまんない」と席を立つような。小説の冒頭だけ読んで「あきた」と本を閉じるような。後からどんなどんでん返しや心躍る展開があるかも分からないのに、やめてしまうのはもったいないよね。
許されたいと思うなら、まずは自分が許すことからだなぁ。 憎らしかった誰かを許すこと、自分自身を許すこと。 許すという言葉が負担なら、重たい荷物を手放すと考えたらいいのかも。 「ここまでよく背負ってきたね、おつかれさま」ってね。
新しくなりたいなら、新しいものに触れてみればいいよ。 新しいものを見る事。 新しいものを聞く事。 新しいものを探す事。 変わりたいと言いながら、来る日も来る日も同じところをグルグル回る。 それじゃ何も変わらないんだ。 いつもと違う道に目を向けてみる事、ちょっとした事で人は新しくなれる。
日本人、頑張りすぎて病院へのハードルが高くなってる人多いんじゃないか? 「これくらいなら大丈夫」って繰り返しているうちに、実は限界ギリギリの人沢山いるんじゃない? お願いだから、もっと自分の心身に気をつかってあげてほしい。 せめて倒れる前には、自分のSOSに耳を傾けてあげてください。
「このままでいいや」と思う人には、それ以上がない。 こういう人は誰がなんと言っても本人が変わろうとしない限り、テコでも動かない。 けれども、「このままじゃだめだ」「もっと何かできないのか」ともがいている人には、いくらだって変わるチャンスがある。 もがいている人が生きている人だ。