人から悩みを相談される時にまず大事なのは、「解決」を求められているのか「共感」を求められているのかを見極めること。そして一番重要なのは、自分が相談事を受け止められる状態かどうかということ。人の悩みを聞くのはそれなりに力を使うことなので、自分に余裕がない時は引き受けない方がいいよ
ついカッとなりそうな時は、自分の前に鏡があると考えてみよう。 はたしてきれいな顔か、醜い顔か。 叱るべきこと、きちんと指摘した方がいいこともあるけれど、感情任せに怒るのは別の話だ。 理不尽に怒るのが習慣な人には、ちょっと鏡突き出してみたいよね。 人生いい顔して生きた方がいい。
いつも人の悪口ばかり言う人って、結局本人が一番損してると思う。 何見ても誰と接しても嫌なところしか目に入らないなんて、人生相当つまんないよね。 何見ても悪いところを見つけてプンスコするくらいなら、何見ても良いところを探して喜んで生きた方が幸せだと思う。
理不尽な目にあっても耐え忍ぶことは、誰が気づいてくれなくたって立派なことだ。誰もほめてくれなくたってすごいこと。感情に任せてグーで殴るのは簡単だけど、それをしないで歯を食いしばったあなたは無条件偉い。でも抱え込み過ぎて潰れちゃならんから、頼るとこは頼っていいし愚痴ったらいいんだよ
人のせい、環境のせい、生きづらさの原因は色々あるけど、結局一番大きいのは自分の考えの問題だ。 もちろん、全部が全部自己責任論では片付けられないけれど。 でも、生きづらい考え方を抱えている人は人や環境を変えても苦しいし、考えを変えた人はどんな状況でも幸せを見つけて生きていく。
ケチをつける人は責任を取ってくれない 真夏で水分補給しつつ働く人に「職務中に水飲むな!」と叫んでも、いざ水分不足で倒れれば「自己管理が足りない」と叱責する あれダメこれダメと言いつつ別の道に行けばまた否定する人は気にしないこと 夏には水を、冬にはコンポタ缶を持って働く景色もいいよね
とにかく誰でもいいから悪口を言いたいタイプの人には、何を言っても無駄。 こっちがどんなに誠実に対応したり、誤解を解くために言葉を重ねたところで、また別の文句を見つけてくるだけだ。 そんなくだらない人の言葉には、構ってやる価値も傷ついてやる価値もないよ。
忍耐も大事だけど、耐えきれなくなる前に吐き出すこと・処理することはもっと大事。 ため込むだけだといつか爆発しちゃうから。 決まった曜日にゴミ出しをするように、毎日歯を磨くように、お風呂に入るように、当たり前にストレス発散もしていくことが大切だよね。
嫌な奴とは、戦う必要がない。 なぜなら、そんな奴と戦う時間が無駄だから。 もし相手のしていることが間違っているなら、自分が手を加えなくたって、いつか勝手に自滅するようになっている。 相手がよほど害を加えてくるようなら避けて通り、あとは放って自分の道を行けばいい。
奴隷のように生きちゃダメだ。 自分の人生は自分のものなのに、どうして自分じゃない人に振り回されているのか。 他人に人生のハンドルを奪われるな。 都合のいい常識に洗脳されるな。 あなたはもっと、自由に生きられる人なんだ。
「逃げてもいい」っていうけど、逃げるのも簡単じゃないんだよね。 逃げるには手放さなきゃいけないものもあるし、逃げた先も絶対安全とは限らないし。 でもね、それらを全部ひっくるめた上でも、自分を殺すような環境からは抜け出した方がいい。 多少のリスクは負ってでも、生きる道を選ぶんだ。
「普通に考えて、○○して当然でしょ?!」って怒る人いるけどさ。 その「普通」とか「当然」って、ただあなたの中で当たり前なだけであって、他の人にとってもそうだとは限らないんだよね。 だから、押し付ける権利もなければ、押し付けられる義務もないのでヨロシク〜🙋
白鳥が優雅に泳いでいるように見えるのは、水面下で必死に足をばたつかせているからだ。 それを知らない人は「ああやって楽に浮いてるだけで様になるからずるい、羨ましい」と言う。 人間も知らない人ほど努力する人を妬み陰口を言うし、知っている人ほど誰かを蔑むことはしないんだね。
Twitterのリプって、「ツイートした本人に話しかけている人」と「人ではなくその話題にコメント付けてるだけの人」がいて、後者の存在を認識してないと「え?誰この人?初対面なのにタメ口?」とか色々気にしちゃう人がいるんだなぁと。 リプは必ずしも自分に話しかけられてるわけじゃないのよね。
どうして「自分には価値がない」なんて誤解して生きるのか。できないことも沢山あるけれど、できることも沢山あるんじゃないか。まだやってみたこともないこと、これからできることも山ほどあるんじゃないか。今だけを見て自分を決めつけず、足りなさだけを見て自分を誤解しないでほしい。
喧嘩しないのが友だちじゃないし 喧嘩してもまた付き合えるのが友だちなんじゃないかな。 同じ道を行くことが友情じゃないし 大切なものや目指すものは違っても お互いを応援できるのが友情なんじゃないかな。 自分や相手をがんじがらめに縛ろうとしなくたって、いいんじゃないかなって。
自分のことは二の次で、大切な人のため自己犠牲を選ぶ人。 自分の幸せより相手の幸せが何よりな優しい人。 もし相手もあなたを想ってくれてるなら、相手の幸せもあなたの幸せだし、「きみのため」と犠牲になられるほどその人の心を踏み潰すことになるよ。 自分も相手も幸せになる道が一番。
誰かの幸せを妬んだところで、幸せは返ってこない。誰かを蹴落とせば自分が幸せに思えるのは錯覚で、むしろ足を引かれて一緒に落ちていくこともある。幸せは誰かと比べるものじゃないし、他人から評価されるものでもないんだ。自分の心にストンと落ち着いて、人に揺すぶられないような幸せを持てたら
昔とても感動した映画があって、「これはきっと他の人も絶賛しているに違いない!」と思って調べたら★2の酷評だらけでショックを受けたことがある。でもさ、本当はショックを受けることでもないんだよね。自分が見たものの価値を決めるのは、周りの人間じゃなくて自分自身だから。
今が辛いからといって、未来までそうだと決めつけないで。 今、涙を流して、鼻水垂らして、歯を食いしばって、それでも諦めなかったことは、未来に必ず必ず報われるから。 それなのに今を諦めたら、未来に受けるはずのものまで失ってしまうから。
「コロナに感染したら謝るべきか?」という質問には大半の日本人が「そうではない」と回答したのに対して、「自分が感染したら謝るか?」という質問にはYESと答えた人が大半だったというのを聞いて興味深いなと。謝るべき時に謝罪することは美徳だけれど、日本は必要のない謝罪も溢れているのかもなぁ
「叱ること」は人間の脳を萎縮させ、能力を低下させることが証明されているんだって。 とはいえ、叱ることも時には必要。 でも命に関わることや緊急事態ならともかく、叱って抑圧して相手を支配する教育を常とするのは時代遅れだよなぁ。 家庭も職場も自分自身も、もっとほめてのばせばいいと思うよ。
人の好き嫌いはどうしようもない。 どんなに頑張って料理をふるまっても、相手が嫌いな物だったら仕方ない。 無理して食べてくれることもあるけれど、もし「まずい」と言われて「こんなに頑張ったのになんで!」と怒ったらお互い苦しいだけだ。 頑張ったら必ず喜ばれるのではなく、頑張る方向が大事。
めちゃめちゃ過酷な業界でタフに働き続けている先輩に「どうやって生き残ってきたんですか?」と聞いたら「自分が倒れないようにって毎日祈って気をつけてる。自分は倒れないだろうと思っていた人達はバタバタ倒れていったから」と言っていて真理だなと思った。自分は大丈夫と思っている人が一番もろい
あの人にとって私はただの脇役だけど、私にとって人生の主役は私なんだ。私にとって通行人Aのあの人は、あの人が主役の人生を生きている。人生捨てたところで他人の一生を生きられるわけじゃないし、誰かが代わりに生きてくれるわけでもない。せっかくなら主役として楽しまないともったいないよね。