「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の対義語で「好きな人が好きなものはオラも全部好きーーー!!!」も気をつけなきゃだよね。 憧れの人がおすすめするからといって全てが正しいものとは限らないし。 嫌な奴の言葉でもタメになるなら受け入れて、好きな人の言葉でも間違っているなら疑問を持つことが大事。
好かれようとしてがんばることは、本当の自分とは違う自分を演じること。上手く演じて評価される時はいいけれど、それじゃあいつか疲れてしまう。自分じゃない自分が評価される度に虚しくなってしまう。好かれようとしなくたっていいんだ、自分の価値は誰かの評価で決まるものではないんだから。
散々悩んだ末に相談したら「気にしない方がいいよ」と返されて「私の方がおかしいのかな」って別の悩みのループに入ってしまったという話を聞いて、も〜〜〜そんなこと返すやつ〜〜〜本人が辛かったなら辛いに決まってんじゃん否定すなよ〜〜〜ってなった。辛いのはおかしいことじゃないよ人間だもの
人間だから、合わない人に出会うこともある。でも合わないだけで、その人は敵じゃない。悪い人でもない。ただ自分とは合わないだけなんだ。もっというなら、合わない面があるだけなんだ。過剰に拒絶して自分と相手を締め付けるより、「この人はそういう人なんだな〜」って距離を保てばそれでいいんだよ
おはようございます🌞 私はよく「今日やる事リスト」を紙に書くんですけど、1つ終える毎に︎︎︎︎︎︎☑️してたのを花丸にしてみたら自己肯定感がアップしました( *¯ ꒳¯*) 根性論は好きじゃないけど、気の持ちようって大事ですよね。 人と比べず、今できる事を大切に〜 今日も素敵な一日を🐧🍀
実際、私はそれなりに複雑な家庭で育ったし、そのコンプレックスを克服するまでは幸せそうな親子をみる度に嫉妬していた。今は人の幸せも喜べるようになったけど嫉妬していたあの頃を悪いとは思わないし、嫌な感情は「思っちゃダメ」と否定するより「苦しいんだな」って認めてこそ前に進めると思うんだ
特別な日に特別なことをするよりも、毎日何気ないことを継続することがもっとすごい。 毎日朝起きて、ご飯を食べて、寝て、息をして。 つらいことがあって、悩んで、もがいて、また立ち上がって乗り越えて。 時間がかかってもいい。人と比べなくてもいい。 今日も生きてることが一番大きなことなんだ。
病気や障害になったことがない人より「それくらい大したことなかったですよ〜」という元当事者が厄介だったりするんだよね。あなたにとっては「それくらい」だったとしても、そうじゃない人もいるんじゃがとなる(たとえ同じ病でも)。自分が経験した痛みと他人の痛みは別物として理解するのが大事だなと
自分のがんばっていることは、自分がきちんと認めてあげなきゃならない。何かができたことはもちろん、上手くいかなくても努力したこと、何気なくやっている家事や習慣、ささやかに誰かを気遣ったことも全部ほめてあげたらいいんだ。誰かに認めてほしいという前に、自分が自分の努力に気づいてやれたら
知らない事は悪い事じゃない。分からない事に出会ったら、知ろうとすればそれでいいんだ。知らない事を認めず、知ろうともしない事が問題なんだ。知りもしないのに決めつけようとする事が問題なんだ。いくつになっても学び続ける人には成長に上限がない。知らない事をバカにする人は放っておけばいいよ
「いたい」って一言いえれば治せる傷だったのに、誰にもいえずに隠してきたから残ってるんだよね。 言えばもっと傷つけられたり、甘えられるような環境じゃなかったり。 でもそうやって生きていくうちに、人も変わるし環境も変わる。 大丈夫、治す方法はいくらでもあるさ。
やったことは今すぐには返ってこないけれど、一番いい時に必ず返ってくる。こっそりした悪いことも、誰にも認められなかった小さな努力も、良いことも悪いことも必ずやった通りに返ってくる。報われないように感じる時の合言葉は「最後まで」。今だけをみて諦めずに、未来に希望を持てたら。
誰かの為に頑張れる、というのは素晴らしいことだけど、自分の為にも頑張れるようにならないとその誰かを失った時に虚無になるので気をつけた方がいいよ。例えば「恋人の為に綺麗になる」だと別れて荒れたりするから「自分がテンション上がるからお洒落する」とか自分の為の理由も持てた方がいい
別に答えとかは求めてないんだけどただ今抱えてるものをどあああって誰かに話したい時は、「私は今からとにかく話したいから話すけど答えはいらないし『はいはい、あっ注文お願いしまーす』くらいのノリで聞いてほしい」と一言前置きするとお互い楽やで。
誰かを大切に思う心は自分の活力になるけれど、相手に押しつけるものじゃあない。「この人がいるからがんばろう」と自分を奮い立たせるためには使っても、「あなたのためにやってあげたのに」と押しつけると歪んでしまうんだ。自分の心は相手に認めさせるんじゃなくて、自分自身が認めて大切にできたら
子供の価値観は親によって決まるもの。けれども世の中には数百数万の価値観があるんだ。「失敗しちゃダメ」「迷惑はかけちゃダメ」という価値観もあれば「失敗は成功のもと」「迷惑はかけてかけられて当たり前」なんて価値観もある。昔の価値観に囚われず、良いものはどんどん更新していけたらいいよね
そういえばまだ小学校低学年だった頃、お母さんと喧嘩してスネて、何とか気を引こうとした結果仮病を使って「もう!お母さん!!私今、熱100℃あるんだからね!!」って言ったら母「それ死ぬから。100℃あればタンパク質固まるから。卵もフライパンで焼いたら固まるでしょ」って理路整然と論破された話
子どもの頃に色々あった分今生きているだけでも感謝感激なんだけど、ひいおばあちゃんから「結婚する前のひいおじいちゃんは空軍で爆撃されて海に墜落したけど偶然通りかかった軍艦に拾われて帰ってきたのよ」なんて話聞くと、今生きてる人みんな生まれた時点で奇跡なんだなぁと実感する今日この頃です
友だちが勤務する飲食店、台風の時には交通網がマヒしてる中有志が徒歩2時間かけて出勤してやっと1階分お店開けたのに「なんで今日は2階やってないのよ!」とお客さんから罵倒され、今回は「なんで増税するんだ!」ってクレームきた話を聞いたんだけど、ちょっと怒りの矛先間違えるのやめませんかね…
この人に出会えてよかったなって、心から思える人に出会った時。 ああ、私は本当に生きててよかったなぁと実感する。 そうだ、そうだ、あの時諦めないでよかったんだ。 あの時生きることをやめてしまっていたら、この人には出会えなかったのだと。 きっと、そんな出会いができた人は、幸せ者なんだね。
自分を変えるには、「こうするべき」というルールを外してみること。「こうしなきゃ認められない」「愛されない」と思っていた自分ルールを外して、ハードルを飛び越えるのではなく下からくぐってみること。何かができなくても足りなくても自分は存在していていいんだと、認めてあげられたらいいよね。
今はものすごい美人の女優さんも数年前まではあか抜けていなかったり、今は数百万人のファンがいるYouTuberも始めた当初の動画は全然面白くなかったりする。今できている人達の姿ははじめからそうだったわけじゃなくて努力と研究の賜物だし、今できていない人も努力と研究次第で変われる希望があるんだ
硬い強さではなく、 しなやかな強さが大事。 限界まで張り詰めてポッキリ折れてしまう強さより、 押されればヘコむけど ヘコんだ分はね返してやる強さか、 時間が経てば何食わぬ顔で 元通りになれるクッションみたいな 強かさが持てたらいいかもね。
悪意がなくたって、相手を傷つけてしまったなら謝れる人でありたいな。 悪意がなかった時は、開き直っちゃうのが怖い。 「そんなつもりはなかったんですよ」とかってね。 そんなつもりはなくとも、傷つけてしまったことはやっぱりごめんなさいだよね。
承認欲求の強い人ほど、虚勢を張って自慢ばかり。 むしろ満たされている人は、自分の弱さや足りなさにも正直だ。 そして人が魅力を感じるのは、後者の方。 何でもできる人よりも、弱さや足りなさを認められる人の方がずっと魅力的だからさ。 いつもいいところだけを見せようとしなくたっていいんだよ。