コロナの影響で色んなものが中止になっているけども、運営にキレるのはやめておこうね。 音楽イベントでも何でも、今この時に開催して万が一が起これば叩かれるのは目に見えてる。 そうなればコロナが落ち着いてからも開催できなくなるかもしれないし、今は好きなものを守る気持ちで応援したいよね。
大人が子どもを完全に守ろうとしたって100%にはなれないから、子どもが自分で打ち勝っていけるようにすることが教育だし、自分だけでは乗り越えられない時手を貸し休ませ背中を押すのが大人の役割だと思う。そこで依存させずに、いつでも巣立てるよう見守ること。子どもを縛りつけるのは大人のエゴ。
子どもの頃から私が失敗する度におばあちゃんが言ってくれた言葉が「よかったじゃない、これで次は間違えないね☺」だった。確かに一度失敗したことは次からはもっと気をつけられるようになる(や、それでも失敗することもあるけど)。無闇に責めるより勉強になったねと肯定するスタイル積極的に使いたい
「これ、在庫余ってたからあげるよ」といって渡された時計と、 ずっとほしくて一生懸命働いてようやく手にいれた時計なら、 全く同じものでも後者をより大事にするのが人間の心理。 モノでも夢でも、 何かを得るためにもがく期間は、 得たものをより大切にするための期間なんだね。
騙されないようにしたいなら、言葉よりも行いで確認するのがいい。 キレイな言葉は誰にでも吐ける。 でも、行いにはボロがでる。 本物かどうかを見極めたいなら、いつまで続くのか確認したらいい。 ニセモノは続かない。 でも、本物の軸がある人はブレないから。
弱さを隠せるほど器用じゃなくて、弱さを晒して頼るほど勇気もない。 「これも自分だ」と弱さを抱いてやることもせず「こんなのダメだ」と否定ばかり。 弱さが辛い本当の理由は、見ないふりをするからだ。 得体の知れないものは誰だって怖いけど、時間をかけて向きあってやればなんてことないかもね。
「うまくやろう」と思ってもなかなか腰が上がらない時は、「負担なくやろう」「楽しくやろう」に転換できたらいいかもね。「100%完璧に」と自分を縛っているなら「80%でもいいんだよ」と言ってあげること。「200%頑張らなきゃ…!」と思い込んでるなら「はい無理。20%でいいよ」と荷を降ろしてやれたら
当たり前って案外あっけないものなんだ。当たり前に過ごしていた日常が事故や予期せぬ出来事で崩れてしまったり、あの子は大丈夫と思っていた人が明日には大丈夫じゃなくなったり。いつもなんとなく享受していた当たり前が実はとっても価値あるもので。価値を忘れて手放さないように、大切にしたいよね
人を憎むのは簡単だけど、心が苦しい。 人を愛するのは難しいけど、好きでやるから心が楽だ。 嫌いな人を考えていたら美味しいご飯もまずくなるし、楽しいことも楽しくなくなるけれど、好きな人を考えれば塩むすび一つもおいしくなる。 愛が負担になっている時は、何かがズレていないか立ち返れたら。
人間なので自分と合わない人がいるのは当然なんだけど、それを「みんなもそう思うでしょ?」って他人にまで同意を求めるのは違うと思うんだ。自分がしっかりしてればサシでケリをつければいいこと。仲間を呼ばなきゃ戦えない相手なんて、ちっぽけな存在だと思えばいいよ。
寝ることができなくなると、寝れるって大切なことなんだなぁと気づく。 起きることができなくなると、起きれるってすごいことなんだなぁと気づく。 食べることができなくなると、食べれるってありがたいことなんだなぁと気づく。 “当たり前”の価値に気づくのは、いつだって失ってからだった。
老いてやりたいこともできなくなる前に人生終えたいな、と思ってた時期もあるんだけど、70代になってもバリバリにサッカーして造園して朝から晩まで20代がついていけないほどやりたいことをやって生きる人に出会ってから、こんな歳の取り方をしたいなと思えるようになったんだよな
勧められたお酒を断りたい時、「お酒あまり強くないんで…」っていうと面白がって強要されるし、「お酒苦手なんで…」っていうと「えーでもこれはおいしいよ!」とか謎理論でやっぱり強要されるので、「お酒飲めない体質なんで」ってことにするのが一番楽だよ。それでも強要してくる人は完全にアウト
人間、何もしなくていいわけじゃないけど、何もできないから悪いわけじゃないよ 赤ちゃんは何もしなくてもそこにいるだけで愛しいように、 人間は一人一人生まれてきたこと自体が奇跡で、 そこに存在するだけで貴重なもの その上で何かをするからもっと尊くて、できないことが悪なわけじゃないんだよ
サービス業の友人、クリスマスは「コミュニケーションが取れて敬語が使えるお客様」をお願いしたのにサンタさんが用意してくれなかったそうなので、「お客様は神様」を名乗りたい方々はぜひとも厄病神ではなく、年末年始も営業される店員さんを労わったり感謝を伝えたり福をまく存在になろうなんだぜ!
自分に自信が持てない時は、今だけを見て落胆しないこと。 生まれたばかりの赤ちゃんを見て「この子は歩くこともできないなんて…」とガッカリする人はいないように、これから歩くことも喋ることも覚えていくから心配ない。 人生一生自分作りだから、過程をみてガッカリせずに希望を持って作ればいい。
「求めよ、さすれば与えられん」って言葉があるけれど言い換えれば「求めれば与えられるものも、求めなければ得られない」って事なんだ。「助けて」と言えばつっぱねる人もいるけれど、助けてくれる人もいるかもしれない。でも求めなければ誰にも気づかれない。限界の時こそ求める勇気を大切にできたら
人の人生に「こうあるべき」なんて口出しは誰にもできないよ。皆が広い土地を持っていたら、ある人は運動が好きでグラウンドにするし、ある人は花が好きで花畑に、ある人は畑にしたり何でもできる。それなのに横から「こんな土地があるのにビルを建てないなんて勿体ないよ」って言ってもお門違いなんだ
失敗しない人はいない。汚れない人は一人もいない。お風呂に入らなければ誰だって汚くなるし、お風呂に入ればきれいになる。誰でも自分を貴重に思って、磨いて、作って、よく管理してあげれば作品になる。汚くしようと思えばその時から汚くなるし、きれいにしようと思えばその時からきれいにできるんだ
人は結局、100%わかり合うことはできない。 だからこそ、言葉を伝える時には「自分はあなたのことを100%わかるわけではないけれど」という謙虚さが必要だし、聞く時には「相手は自分が期待する言葉を100%くれるわけではない」という割り切りが大事。 「わかったつもり」が、一番無知でこわい。
もっと傷つく事に慣れたらいいよ。 痛い事も痛くないフリ、傷ついても平気なフリして全てに無感覚になれっていうんじゃなくて。 夢を抱いて、挑戦して、失敗して、傷ついて、涙と鼻水垂れ流してみっともなく落ち込んだら、また次の夢を追いかけたらいい。 転ぶ度立ち上がる事に慣れたら怖い物はない。
「あの時こうしていたら」という後悔や「なんでもっと良くできなかったんだ」と自分を責める期間もあっていいけれど、いつまでも後悔だけしていたら進めないんだ。 だから大事なのは、どこかで自分を許す事、後悔にケリをつける事。 「できなかった分こうしよう」と、過去よりこれからを大切にできたら
わざわざ「してやった」と言わなくても誰かにしてあげた事があるし、してもらった事が沢山ある。 当たり前の事、毎日の事、何気ない日常の事。 そんな小さな感謝に気づける人でありたいな。 気づいたらその場で感謝を口にできる人でありたいな。 いつか言おうと思ってる内、伝えられなくなっちゃうから
“あなた”がやることに意味がある。 自分は上手くできないし…とか、他の人はもっと有能だし…とか、行き過ぎた謙遜でやってきたチャンスを逃しちゃいけないよ。 上手くできるかどうかより、“自分”がやってみることに意味があるんだ。 やらなければゼロ、0.1でもやったものは得られるようになる。
自分はだめだな、と思うことがある。 でもそんな時は、あの頃よりはマシだな、と過去を振り返ってみればいい。 5年前、10年前に悩んでいたことより、少しは成長しているだろうか。 0.1mmでも前に進んでいるなら上等だ。 悩んで、乗り越えて、また悩んでの繰り返しで人は大きくなっていくものだから。