押しつけるのは良くないけど、好きなものは当たり前に好きって言える社会になればいいなぁ 赤が好きな人もいれば青が好きな人もいて「赤じゃないといけない」とか「赤が好きなんておかしい」とかそんな基準どこにもない その好きが人を傷つけるものでない限り、他人に口出す権利も傷つく価値もないんだ
人間にとって一番恐ろしいことは、知らないことだ。 ブラック企業に務める人や虐待家庭で育った子どもは、たとえその環境から抜け出す道があってもそれを知らなければ、苦痛の中で生きるか全てを諦めてしまうかの二択しかない。 知ればもっと自由に生きられるのに、知らないことはあまりにも損だよね。
できなかったことは「だから自分はダメだ」とか「あの人はできているのに」と否定するほど苦しくなるけれど、認めてやると軽くなる。「今の自分には難しかったね」、「でもできないことがあるのは悪いことじゃない」と認めてあげること。今を認めてこそ「次はどうしよっかな」って未来に繋げられるから
誰かに愛されようとする前に、まずは自分が自分を愛すること。認めてあげること。 何かができるから自分を認めるんじゃなくて、何も無くて何もできなくて、足りなくて矛盾だらけでも、弱さも全部ひっくるめて「これも今の自分なんだな」って認めてあげること。 それが第一歩なんじゃないかな。
「あの人みたいにがんばろう!」と目標を持つのはいいことだけど、自分とあの人は違うということは理解しておけたらいいよね。キャパも違えば個性も違うし、100%マネできないからって落ち込む必要もない。誰かを目標にするなら「その人の良いところを取り入れよう」くらいでOK。自分の個性も大切にね
【がんばりすぎチェックリスト】 ・何をするにも「がんばらなきゃ」と思う ・上手くいかないと自分の力不足のせいにする ・完璧主義で、いつもできなかったことに目を向けがち ・休むことに罪悪感を感じる 当てはまった人は、まず一息ついて、自分を労わってあげよう。 休むことも仕事です。
私は、あなたの頑張る姿が好き。 一生懸命な姿が好き。 諦めない姿が好き。 でも、あなたが休んでも好きだし 足りなくても 上手くいかなくても 頑張れない時だって、やっぱり好きだ。 どうか、いいところだけ見せようとしないで。 あなたが大好きだからこそ、無理せず、ありのままでいてもらいたいな。
悩んでいる事に対して「気にしなくていいよ」と言われて心が軽くなる人と、「気にしている私がおかしいのかな」って追い討ちかけられちゃう人と両方いるんだよね。その人が辛かった心は否定しちゃいけないと思うし、誰かに「そんな事」扱いされても「私にとっては辛かった」も大事にしていいんだなって
他人の評価に左右されるな。 あの人に認められないからって、自分には価値がないのか。 あの人に嫌われたからって、消えなければならないのか。 人の評価なんて、その時、その時変わるもの。 そんな曖昧なものに、振り回される必要なんてないんだ。
めちゃめちゃめちゃしんどい時はさ、アドバイスなんていらないから、ただ話を聞いてくれるだけでもありがたいんだよね。 「そんなこと言っちゃダメだよ!」とか、「こうしたらいいよ!」とか言わなくていいからさ。 一緒にご飯とか食べながら、うんうん、そかそかってしてくれるだけでいいんだ。
「あいつは上手くいっててズルい」 を 「あの人はなんで上手くいってるのかな?」 に転換する事 「自分はいつもダメだ」 を 「どうしたら良くなるのかな?」 に変える事 時には感情に振り回されず 淡々と原因と結果を考えてみる事もためになる ズルいあいつに学んだ事が自分の答になる事もあるよね
どんな事も、はじめの心を忘れない事。 はじめて大事なものをもらった時の喜び、はじめて助けてもらった時の感謝、はじめて発見した時のわくわく、はじめて決心した時のまっすぐな心。 時間が経つにつれて段々と忘れてしまうのが人間だから。 はじめの心が冷めたなら、また火を灯してやればいいんだよ
「高校生の時、駅で知らないおじさんに突然ブスって言われてから自分に自信が持てなくなった」というツイートを見かけてお怒りなんだけど、ブスって言われたら「私は貴方様の美しさを理解できないほど低脳な人間です」に変換しとけばいいと思うわ。ブスなんて言うような人はアイドルにだって言うからね
「就職したら最低3年は続けろ」ってよく言うよね。 でも正直な話、必ずしも自分が3年いる必要はない。 3年後を知りたいなら、その職場で3年経った先輩を見ればいい。 その先輩方が輝いてるなら、今は辛くても続けた先の希望がある。 でも先輩の目が死んでるなら希望は薄い。 3年勤続がいないなら論外。
心配性のあなたへ 過去あったことの心配、明日の心配、他人の心配、漠然とした心配。 毎日色んな心配があるよね。 でも、実はしなくてもいい心配は山ほどある。 過去のことは心配しても変わらない。 明日の心配は明日すればいいし、他人の心配はその人がすればいいから。 今は今すべきことで十分だよ。
この人は何でもよくできるから才能なんだな、と思っていたら「120万回やってできるようになったんだ」と。「はじめから上手くできた事は何ひとつない。得意な事もなかったし、子供の頃はよくできる人を見上げていた。努力が99%だ」と。「無いものは作ればいい」彼から教わって今も大切にしている言葉。
職場や家庭、周りの環境に「お前はダメなやつだ」「使えない」なんて嫌な言葉をかけてくる人がいたって、自分が自分をどう思うかは自由なんだ。「そうか、自分はダメなんだぁ」と流されてやる必要もなくて、「へーそうなん」って流してやる自由がある。自分の価値を守ってあげられるのは自分自身なんだ
自信がなくても、やればできる。 目と鼻と口がついていれば誰でもできる。 走れば走る分心臓が強くなるように、やればやる分できるようになる。 やらないからできないし、やらせないからできない。 教えないからできず、いちいち細かく叱るからできない。 はじめからできる人はどこにもいないんだ。
嫌いなものや人種があるのは仕方ないと思うんだ。 例えばみかん嫌いな人に「ダメ!絶対みかんを好きになれ!」とは言えないし。 でも同じようにみかん好きやみかん農家さんがいるような場で「みかん好きは人としておかしい」「今すぐ栽培も輸入もやめるべき」って言うのもやめた方がいいと思うんだ。
何度、記憶喪失になればいいと思ったことだろう。 こんな過去に苦しまされるくらいなら記憶なんて無くなればいいと、飛び込もうとしたことが何度もある。 でも、今はそんな過去の上に生きている。 乗り越えてきた過去の発信で、誰かが勇気や何かを受けてくれるなら、もうお釣りが返って余るくらいだ。
身近な頑張っている人を見て「あの人はすごいなぁ…それに比べて自分は…」なんて思っても、相手は貴方と比べる為に頑張っているんじゃないんだ。自分と相手じゃ頑張る内容も違うし。水泳選手が陸上選手を見て「自分は走れなくてダメだなぁ」と落ち込むくらい仕方ない事。自分の事を頑張れたらいいよね
みんな休むことに対して、 「他の人に迷惑かかるし...」とか 「周りの目が気になるし...」とか 「信頼を失うかもしれないし…」とか言うけど、個人的には大前提として、    ・迷惑かけない事<健康    ・周囲の目<健康    ・信頼<健康 だと思ってます。 それくらい健康が大事。
悪意に対して善意で応えるのは最高の防衛術なんだよね。悪意に悪意で対抗しようとすると少なからず相手の悪意の影響を受けてしまうわけだけど、善意で対抗すれば「まあ、あなたの悪意は全く利いていないわけですが」っていうスタンスで臨む事ができる。卑劣な攻撃に対して自分まで堕ちてやる必要はない
失敗したらマイナス、じゃなくて、失敗したら経験プラス1ポイントと思えたらいいよね。まずはやってみた事がえらい。やってみたからこそ、成功しても失敗しても学ぶ事がある。学んだ事は減らないし、1mmずつでも自分の中に積み重なっていく。失敗ポイントでも積み重ねれば、未来に引き換えられるから。
自分の体が思い通りにいかない人へ。 あなたの体は今ちょっと修理中かもしれないけれど。それは本当にもどかしく感じるかもしれないけれど。 でもね、体が自由じゃないからって、心まで縛る必要はないんだ。 誰かが何か言ってきたって後ろめたく思わずに、心は思いっきり自由でいいと思うんだ。