子供の頃に自分を育ててくれる存在は親だけれども、大人になってから自分を育てる存在は自分自身なんだ。親がよく育ててくれたなら感謝だけれど、よく育ててくれなかったとしても大人になってまで縛られる必要はないんだ。「がんばったね」「大丈夫だよ」と、自分が自分の親になって育ててあげられたら
・花を活けられる ・着付けができる ・運転ができる ・料理が上手い ・食べ方が綺麗 ・早寝早起きができる ・絵が描ける ・文が書ける ・歌を歌える ・息をしている この辺り1つでもできる人見かけると尊敬してしまうし、今日も自分はすごいなと思いながら生きている。
一番苦しかった時。 来る日も来る日も、死ぬことばかりを考えては、結局死にきれなかった。 そんな死に損ないの自分が、今笑って生きている。 生きてるって、それだけでも奇跡なんじゃないかな。
以前ちょっと深めの傷ができた時、一週間も経たずにきちんとふさがって「わ、すごい…もしかして私人間じゃないのかも…!」と思ったんだけど、人間がすごいんだよな 傷ができたら修復して、風邪になったら追い出して、生きたくないような時も呼吸して、毎日無意識の生命活動を頑張ってるんだ
できる人と比べて落ち込んだり、 できない人と比べて見下したり、 そういうの全部潔くやめちゃおう。 大丈夫、それ止めても人間ダメにならないからさ。 どうせ比べるなら、 「この人みたいにがんばろう!」とか 「自分も気を引き締めないとな」とかで十分だよ。
自分の過ちを認められない人って、きっと過去に間違ったことを否定された経験があるのよね。理由も聞かれず「なんてことをしたんだ!」とただ責められた人は失敗に臆病になるし、事情を受けとめて「次はこうしたらいいよ」と言えたら前を向ける。過ちは犯した側だけでなくて、出くわした側も大事だよね
短所についての考え方 ・直せるものと直せないものがある ・直るまでの期間は人それぞれで比べる必要はない ・直せなくても傾向を掴んで対処できる ・直せなくても長所として活かせる場合もある ・本当は短所でもないのに短所だと思い込んでいることがある ・短所によって命の価値までは左右されない
みんな、完璧じゃないし、ダメなところだらしないところ抱えながら生きてるんだよな。人には見せないだけで。自分以外がみんな完璧なように見えても大丈夫、錯覚だからさ。何かができないからって「期待外れです!」って人を傷つけたり、「自分ってダメだなぁ」と根本から否定する必要もないんだよね
ごめんみんな………… 実は、私も……… 友だちの誕生日に……… 「小判」を贈ったことがあるんだ……… しかもお湯に入れると溶けて無くなる……… 完全なる証拠隠滅……… 誰か御用改めてくれ………
なんでもない人が嫌になる時は、相手じゃなくて自分に問題と答えがある。相手が明らかに自分を害して行く道を止めてくるならともかく、ただ道の途中にその人がいてスルーすればいいだけなのに、なんだか無性に突っかかりたくなるなら自分に余裕がないという事。人を攻撃するより自分を満たす方がいい。
「余計な争いをしないこと」と 「都合の悪いことに蓋をすること」 って全く別の意味なのに、よくごちゃ混ぜになってしまうんだよなぁ。 争わなくていい問題、ぐっと堪えたりスルーした方が上手くいくことはそうしたらいい。 でも放っておけば膿になるような問題は面倒でも向き合わなきゃならないんだ。
人ってさ、感情の限界線を超えると、もうなんにも怒れなかったり、泣けなくなっちゃったりするんだよね。 でも、そんな時自分の代わりに「信じられない!!」って言って怒ってくれたり、ポロポロ泣いてくれたりする存在がいると、めちゃめちゃありがたいんだよね。
悪口は言えば言う分自分の口が汚くなるだけだから、言わない方がいい。 でも、不安や不満はこれとはまた別。 そういったものは抱え込むほどしんどくなるから、言葉を選んで相手に伝えるか、必要なところに相談するか、何かしらで発散した方が健康的だよね。
一番成長が早い人は「自分は必ず間違える」ということを認めている人だ。 認めているからこそ、失敗したり間違えた時にはすぐに改めて、どんなことでも成長に繋げることができる。 「自分は絶対に間違えない」「失敗したらいけない」と思い込むのは、自ら成長の芽を摘んでしまうことだから。
人は本当に好き勝手あれこれ言う。 人の気も知らず、何も分からないくせにね。 だからさ、そんな言葉に振り回される必要なんてないんだ。 身勝手な言葉を鵜呑みにして後悔したところで、相手は責任なんてとってくれやしない。 自分の人生、自分が選択するんだ。
誹謗中傷が悪いとか訴えられるとか以前に、他人の悪口を言う自分が嫌だし、わざわざ嫌いな人のために時間を使うのがもったいない。人の顔って嫌味や悪口を言う時は歪んでしまうし、誰かをほめたり好きなものの話をする時は輝いているもの。せっかくなら表情美人になって生きたいよね。
がんばったら、自分にごほうびをあげてね。「がんばっても報いてもらえない」と思える時には、いっとう自分にやさしくしてあげてね。みんなが認めてくれても自分が自分を認められなきゃ苦しいし、たとえ分かってくれる人がいなくても自分が自分を認めてあげられるなら前に進めるから。
体が弱くなると心も弱くなるよね。 だから風邪の時とか疲れてる時とかは、いつも以上に自分にやさしくしてあげるのが大事。 「体調崩すなんてダメな奴だな!」とか自分を刺さないでね。 おはようございます🌞 風邪なのに調子こいて外出したら熱上がりました_(:3」 ∠ )_ 今日も素敵な一日を🐧🍀
自分に価値がないと思う人は、その環境のせいで価値が見失われていることがほとんどだ。 どんなに高級な食材でも、料理がド下手な人に任せると消し炭にされてしまうように。 本当は価値ある人でも、なんでもない人に振り回されこき使われていると、その価値を発揮できなくなる。
「誰も教えてくれなかった」 だから間違えたり、道を誤るのだとしても、結局損をするのは自分自身。 教える立場の人は最低限教えてあげなきゃならない。 でもその人が教えてくれなかったとしたら、恨み言を吐くより自分のために自ら学んでやる方がずっといい。 自分の人生、自分が気をつけるのが一番
「今がダメだから変わろう」と思うと、なかなか変われないからつらいんだよね。変わりたいのに変われないからもどかしくて情けなくて。そんな時は「ダメだから変わろう」から「変わったらこう良くなるからやってみよう」に転換してみて。自分を否定してやろうとするより、自分のためにがんばれたら。
「どれが本当の自分なんだ」というより「どれも本当の自分なんだ」と思うよ。弱かったり強がったり偽ったりするのも含めて全部自分自身。どれも自分の一面だから、否定する必要もないんだよね
見るもの聞くもの、全部受け入れていたら頭が痛くて病気になっちゃうよ。 だから、見るべきじゃないものは、そもそも見ない。 聞くべきじゃないものは、そもそも聞かないでいい。 異なる意見とか自分の為の言葉なら、耳が痛くても聞くべきだけど。 世の中、聞いても毒にしかならない言葉も多いからさ。
以前親しい人に連絡をしたら中々返事がなくて「私、実は嫌われてるのかな」と不安になったことがあった。 後になってから、当時その人は病気で連絡できない状況だったのだと知った。 それを聞いてものすごく恥ずかしくなった。 自分の心配ばかりする人ではなくて、相手のことを思える人になりたいね。
生きづらさを克服するコツは、減点方式の考え方を加点方式に変えることだ。 「あれもできなかった、これもできなかった」と考えるとしんどいので、「今日はこれができた、あれができた」とプラスの面に目を向けてみること。 毎日意識を変えるだけで、だいぶ生きやすくなるよ。