できるあなたじゃなくて、できないあなたにも価値があるんだよ。学校では成績優秀な事が価値なのかもしれない。会社では有能な事が評価されるのかもしれない。でも人間としての価値は全く別ものだ。できる・できないじゃなくて、ただそこにいるだけで価値がある。今を生きている事はそれだけ貴重なんだ
人を呪わば穴二つって言うけど 人を恨むのは単純に疲れる 目の前にいない時までその人の事を考える時間も勿体ないし わざわざ仕返しをするにも手間がかかる 他人をどうこうしようと考えるより ・反面教師にする ・スルースキルを鍛える ・ペンギン動画をみて癒される に変換した方が健康的だよね🐧
自分が笑えば、相手も笑う。 自分が怒れば、相手も怒る。 悪いことをすれば悪いことが返ってくるし、 良いことをすれば良いことが返ってくる。 林檎を植えれば林檎が実り、 梨を植えれば梨が実るように、 人生は自分がまいたとおりに刈り取るようになる。
物事が思う通りにならなかった時は、「これはこれで」と思えばいいよ。 自分がどんなにがんばっても上手くいかないことは山ほどある。 そんな時「もうダメだ」と思えばダメになるし、「これはこれで」と思えば失敗が成功に変わったり、新しい発見に繋がったり、失敗にも意味ができるようになるから。
些細なことで罪悪感を抱きがちな人 ・午後ティーを午前中に飲む ・さけるチーズをさかないで食べる ・夜歯を磨いた後に何か食べる ・お風呂で10数えずに出る ・コアラのマーチの絵柄を見ないで食べる という大罪に比べたら全然軽いので安心してほしい。
心配するな。 心配事は、心配してもよくならないから。 できることがあるなら、やる。 できることがないなら、あとはゆだねる。 それだけだ、それだけでいいんだ。 これまでたくさんあたま使ってがんばったね、よしよし。
病気やアダルトチルドレンを克服したって、生きている限り落ち込むことは続けてあるよ。「克服したのになんで…」って自分を責める必要もない。健康な人だって落ち込む時は落ち込むし、もがきの中でも調子がいい時だってある。できない時も否定せず「今はそんな時」って認めてやれたらいいよね
「自分ひねくれてるな」と思ったら「よし次はもうちょっと素直に受けとめてみよう」と思えばいい。「やらなきゃ」じゃなくて「やってみよう」と肩の力を抜いて荷を降ろすようにすればいい。「だからダメだ」じゃなくて「次はこうしよう」と希望を持てばいい。いつも緊張して生きてたら疲れちゃうもんね
頑張りすぎちゃってる時って、自分では気づけない事が多いんだよね。自分が今疲れているかとか、休憩が必要かって事に意識が向かなくて「もっとやらなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」って考えで一杯になって倒れるまで走ってしまう。「もっと」「ちゃんと」と思う時には、限界を超えていないか振り返れたら
人の評価って、あまり鵜呑みにせず「へーそういう人もいるんだ」くらいに受け取っておくのがいいと思うよ。他人が絶賛していたからといって自分にもアタリとは限らないし、酷評されていたからといって自分にもハズレになるとは限らない。人の言葉で自分の世界の幅を狭めちゃったらもったいないよね
当たり前〜♪ 当たり前〜♪ 当たり前体操〜♪ 「はあ?アンタこんなこともできないの?!できて当たり前でしょ?!」 ってキレる奴〜♪ 当たり前なんて人それぞれ環境・文化・立場・価値観によって変わるものだから、相手に押しつけるものじゃないんだよ。 当たり前体操〜♪チャンッチャー
この時だからこそ休めず朝から晩まで働いてくださっている方々もいるけれど、ほとんどの人は“ちょっとした体調不良”でも休んでお家で寝るのが賞賛される時なんだよ。みんな、無理はしないで合法的に休もう。栄養も睡眠もなるだけ取って免疫をつけよう。自分に優しくする事が人の命を守る事にもなるから
なんかあってメンタルズタボロの時何も聞かず側にいてくれる存在は偉大だし、理不尽なことされても不満を言い出せない時自分の代わりに怒ったり泣いたりしてくれる存在は尊いし、しょーもないネタで一緒に笑いあってくれる存在はすこすこのすこ。
受け入れなくてもいいから受けとめるって大事だよね。相手の言っていることを丸々飲み込んで、自分を変えてしまう必要はない。でも、はなから相手の言葉をつっぱねて、相手を否定しようとする必要もない。相手の気持ちを「分かろうとする」ことから歩み寄れたらいいよね。
自分の人生の主人公は自分自身だ。 時には人とぶつかったり踏み荒らされる事があったとしても、人生のハンドルまでは奪われちゃいけない。 何をするか、何をしないか、何を選んで何を捨てるかは全部自分が決めるんだ。 「あの人に言われたから」といってしまえば楽だけど、それは自由を捨てる事だよ。
過去によく頑張ったことを忘れちゃいけないよ。つらくても乗り越えたこと、ここまで生き抜いてきたこと、努力して何かを得たこと、自分だけの経緯は全部他の何とも比べられないくらい大切な宝物。今は微妙だなと思っても、過去まで否定したらもったいない。やってきたことは何一つ無駄にはならないから
「誰かのために生きること」と、 「誰かの都合良く生きること」は、 イコールじゃない。 「人のため」という綺麗な言葉に惑わされて、自分を殺してしまうなら本末転倒だ。 「自分の人生は、自分のための人生だ」ということを忘れないで。
人の成功を喜べない時は、自分と比べて劣等感を感じてしまっているから。相手を勝手に敵視してしまっているから。自分と相手は競走相手ではなくただの人と人で上も下もない。水泳選手が陸上選手を羨む必要がないように、自分は自分の競技に没頭できればそれでいい。自分も他人には無いものを持っている
自粛警察にマスク警察、結局のところ、相手が子供や女性だったり自分が勝てそうな対象を選んでいるあたり、何かにつけて他人を攻撃したいだけの人が正当化される場と勘違いしちゃってる感があるな。本当に止めたいなら一方的な攻撃じゃなくて誠実に注意すればいい話。唾や暴言を吐くのは正義じゃないよ
心に余裕がない時ほど、食べる事、休む事を楽しむ意識が大切。 何かに一生懸命になるのもいいけれど、夢中になりすぎて生活が疎かになり始めると基盤が崩れ、やりたいことも崩れてしまう。 怒りや不満も同じで、頭いっぱいにグルグルしている時は、プツと風船に針を刺すように息抜きしてあげないとね。
ただ強いだけの人よりも、 弱さを乗り越えた人の方がずっとかっこいい。 弱くたっていいじゃないか。 弱いからいいんじゃないか。
誰かを救いたいなら、傷つく覚悟が必要だ。 人助けをするっていうと、ありがたがられて沢山感謝されると思うでしょ。 違う。 本当の意味で誰かを助けるっていうのは、それだけ命懸けだ。 救おうとしても手を振り払われることなんてざらにある。 傷つけられても、最後まで愛せるかどうかだ。
他人に迷惑をかけられたら「許してあげる」と考えるのではなくて、「お互いさま」と思うようにしてる。 私もしょっちゅうやらかしてるもんね、いつもありがとう。
夢を叶えた人の中で、途中諦めたいと思わなかった人はほとんどいない。誰にも反対されず、皆に応援されて成し遂げた人もほとんどいない。成功者の今だけを見る人は嫉妬するけれど、誰もが時には反対されて、上手くいかない時にも耐え忍んだから今があるんだよね。嫉妬するより努力を学ぶ方が糧になる。
何にもなさそうな子に限って何かを抱えながら生きているんだ。元気そうに見えるのはそう見せているだけ。間違っても「○○って悩みとか全然なさそうだよね〜」とか言っちゃいけないし、言えばその子の悩みは一層深いところに落ちていくし、そんな子が打ち明けられる場所を作ろうとする方がずっといい