「ちゃんとやろう」も大事だけど、「楽しくやろう」も大事。 間違えないように、失敗しないようにって気を張りすぎて倒れちゃうくらいなら、肩の力を抜いて50~70%くらいの力でやればいい。 いつも120%の力を出してたら、疲れちゃうからね。 力のON/OFF、ゆっくり覚えていこう。
私には「この人に出会わなければ死んでいた」ってくらい尊敬している命の恩人がいるけど、彼を盲目的に英雄視しちゃいけないんだなと思う。 彼は私にとって最高の英雄だけど、人は人。 きっと彼が人であることを忘れたら一生勝手な理想と憧れを押し付けて、その苦労や涙を見えなくしてしまうんだろうな
「使えない」と言われても、落胆するな。 人や物を「使えない」という時、そのほとんどは「使い方を間違っている」時だ。 水泳選手に山登りをさせたら「使えない」けれども、彼らは水の中に入れば本領を発揮するようになる。 だから失敗に囚われず、自分が本当に生きる場所を探せばいいだけなんだ。
やらない善よりやる偽善。 だからこれ迷惑かなと小さくならずに、やりたいことはやってみたらいいよ。 それが相手に必要なことだったならお互い儲けもの、お節介だったなら潔くやめればいいんだ。 余計なお世話と分かったのに「してやったのになんだ!」と押しつけないようにだけ気をつけたらいいよ。
誰も傷つけないためには、何も言わなければいい 失敗しないためには、何もしなければいい でも、もし誰かの支えになりたいなら、傷つけることも覚悟の上で口を開かなきゃならない 何かを成し遂げたいなら、失敗も覚悟して挑戦しなきゃならない 恐れてもいい、失敗してもいい、大事なのは受け止める心
「大胆な人というのは怒鳴ったり武器を持って戦う人のことではなく、そのように攻撃されても柔和で笑顔で接して打ち勝つ人のことだ」と聞いて、深いなぁと共感した。外面ばかり強そうに見せて相手を脅すのは実のところ弱くて怯えている人で、何があっても揺れない芯のある強さを持つ人になりたいなって
精神科・心療内科に行く=弱者・異常者 こういった偏見が未だにあること自体驚きなんだけど、ほんっっとうにそんな人の目なんて気にしなくていいから!! そんな人のせいで受けるべき治療を受けられない方がよっぽど問題。 倒れてからじゃなくて、気になることがあるだけでも迷わず行ってみてほしい。
自分に余裕がない時は“ちょっと嫌なこと”も“ものすごく嫌なこと”に感じてしまうのが人間なので、余裕がない時に嫌いな人は作らない方がいい。実際その人が嫌なようでも、ただ自分に余裕がないだけのことも意外とある。ギリギリの時こそ人を攻撃することより、自分を満たすことを考えられたら
負わなくていい重荷を負って、怖がらなくていいことに怯えて生きていたら苦しくなるよ。降ろしていいんだ。怯えなくていいんだ。大丈夫なんだ。敵だと思っているものは、実は敵じゃないこともある。頭がいっぱいなら、少し距離をおけば落ち着くこともある。解決法は1つじゃなくて何通りもあるんだ。
無感覚になってはいけない。 痛いこと、辛いこと、悲しいことに対して「こんなの当たり前」とかいって耐え続けていると、人は段々と感覚が麻痺して何も感じられなくなっていく。 でも、それは感じられなくても確かに心身を蝕んでいるから危険だ。 生きるためには、無感覚になる前に抜け出すことだ。
何があっても肯定してくれる存在は貴重だけど、道を誤りそうな時に「それは違うんじゃない?」って言ってくれる存在はもっと貴重だし、そう言われたらきちんと耳を傾けられる人でありたいな
他人をけなしても自分の価値は上がらないんだ。誰かをバカにしている人は自分に余裕がない証拠だし、輝いている誰かを否定したくなる時は自分が満たされていないから。本物の自信がある人は誰かを否定する必要もなければ比べる必要もない。人と比べた価値より自分そのものの価値を認めてあげられたら。
失ってはじめて気づくよりも、いつも感謝して過ごせたらいいよね。今あるものを当たり前だと思わないこと、過去それを得るために苦労してもがいたこと、手に入れて本当に嬉しかった最初の心を忘れないこと。物も人も価値を忘れるほどに錆びついてしまうから、大事なものはいつも感謝して磨いていけたら
人の痛みと自分の痛みは比べられない。 「自分はもっとつらかった」 「それくらいなんでもない」 と言ったって、痛みも耐久度もそれぞれなんだ。 100%わかってあげたくてもできないし。 きっと私たちにできるのは1%の理解と、補う分の尊重と思いやりくらい。 完璧じゃなくても、その心が大事なんだね。
ほんの一言を切り取って誰かを叩くのはなんだかなぁと思うけど、何気ない一言に人の本性が出るのも事実だよね。好きだった人の些細な一言に幻滅することもあれば、飾り立てた言葉よりポロッと出た素直な言葉に「この人の尊さは本物だわ…」と圧倒されることもある。
陰口・悪口への一番の対処法は、とにかく気にしないこと。 世の中には誰でもいいから悪口を言いたいだけの人や、自分とは根本的に価値観が違い過ぎて分かり合えない人がいる。 そういう人の悪口は気にする価値さえない。 自分を嫌う人の為に時間を使うくらいなら、大切な人の為に使った方がずっといい
自己肯定感がド底辺だった時、人からほめられたり認められても「いや、そんな自分なんか…」って言っていつも謙遜してた。 でもそれって謙遜なんかじゃなくて、相手の好意を否定することなんだよね。 と、気づいてからは、まず「いや」というより「ありがとうございます」って言えるようになった。
誰かにクレームをつけたいならその人と同じことをやってみたらいい。スーパーの店員に口を出したいなら自分がやってみること、スポーツ選手に口を出したいなら自分も選手までのぼりつめること、アイドルなら同じだけファンを集めてみること。相手の努力も知らずに批判するのは場外のヤジにすぎないよね
「役に立たなきゃ価値がない」 そう思ってがんばろうとすると苦しくなる。何ができる、できないは関係ない。何もできなくたって自分には価値がある。 「夢のためにこうしたい」 「この人のためにやりたい」 せっかくやるなら、「やらなきゃダメだから」より「やりたいから」と思えたらいいよね。
心が満たされれば塩むすびでも嬉しいのに。 お金はきっと、どんなにあっても満たされることがないんだな。 人の目に見えないところでお金をとって、バカ高いお給料とお小遣いをもらってもまだ足りなくて、弱い立場から絞って絞ってまた絞りとる人達。 お金より他のものを満たしたらいいのになぁ。
何十年も木を育てている人の言葉が胸に響いた 「木は手をつければ手をつけるほど育たなくなる。まして人はもっとそうだ。人もあれこれ指摘してばかりいると萎縮して育たなくなってしまう。だから自由に育てる事が大切だ。誰かが言うからじゃなく自分がやりたいからやるように」 と。本当にそうだよね
子どもの頃、蝶は可愛いもの蛾は汚いものと教えられた。 ある日とても綺麗な虫を見つけて「見て!綺麗な蝶!」といったら「あれは羽を広げて止まるから蛾だよ」といわれた。うげっ蛾だったのかとショックを受けるのと同時に、でも綺麗だなと。 種別への偏見なんてきっと自分の世界を狭めるだけなんだな
Twitterをやるまで知らなかった病気の名前が沢山ある。 何となく見かけたツイートのプロフに飛んでみて「ん?なんだこの病気?」と軽い気持ちで検索かけて、自分が考えた事もなかった重い闘病生活をしている方々を知って衝撃を受けた事が何度もある。 全ては知れないから、大事なのは知る努力だと思う
「お前にはできない」と何でもかんでも否定する人は大したことない。 「できる」と思わせてくれる人が、本当に大きな人なんだ。 無理に強制するでもなく、足踏みする心を、進めない背中をそっと支えて寄り添える人が、もっとずっと大切な存在なんだ。
最近はコロナのこともあるし、地震や水害もあるし、低気圧で体調優れない人も多いしでフォロワーさん元気かな…と心配になるけれど、ツイートやリプを見るだけで「あ!生きてる〜☺」と元気になるのでTwitterやってる人みんなえらい!!生きててありがとう!!