自分が貴重に接した人からは貴重に扱われるし、自分がバカにした人からはバカにされるもの。相手は自分の鏡だから、自分が笑えば笑ってくれるし、自分が怒れば相手も機嫌を損ねてしまうもの。普段から人にやさしくする人には必ずやさしさが返ってくるし、人を大切にしない人にもまた返っていくんだ。
父、この間お店で肉食べてたら電撃走ったような顔して店長を呼び止め「これ!!すごくおいしいよ!!あなたすごい!!素晴らしい!!」って絶賛し出し、始終「いや〜ウマい…絶対友だち連れてくる…ウマい…」って感動ダダ漏れし続け、店長もずっとほくほく顔してた。感謝する人は自分も周りもハッピーにする。
過去できなかったことは、今やればいい。 崩れたなら、また立て直せばいい。 遅れたなら、今からやればいい。 まだ終わってもないことを、勝手に終わったと思い込まないで。 落ち込まないで。 大事なのは過去何をしたかではなく、今何をするかなんだ。 おはようございます🌞 今日も素敵な一日を🐧🍀
嫌な事で頭グルグルしてる時の対策 1.解決できる事なら潔く解決する(例:宿題を考えて憂鬱なら宿題を終わらせる) 2.解決できない事なら吐き出す、溜めない(例:昨日今日あった嫌な事なら人に愚痴る、紙に書いて破る) 3.嫌な事を考えないようにするより、他の事に没頭する(例:掃除、趣味、スポーツetc.)
アダルトチルドレンはね、今、生きてるだけでも奇跡だと思うんだ。 これまで、よく耐えてきたね。 死ぬほどがんばってきたんだね。 今生きてるだけでも、金メダルをとったくらいにすごいことだ。 上手く生きられなくたっていい、不器用でもいい。 今ここに生きていることが、何より大きなことなんだ。
「自分は弱い人間だ…」とか「自分はダメ人間だ…」と思うより、「今はそういう時なのかも」と思ったらいいよね。今はちょっと弱くなってる時。今はちょっとダメになってる時。その分きっとがんばった証拠だろうから、いつもより自分を労わってあげて、楽しい事をして、心身満たしてあげたらいいんだよ
考え方なんてどんどん変わっていっていいと思うんだ。「お前、それ○年前と言ってること違うじゃんw」といっても、そりゃ時が経てば変わるのが当然で。PCだって10年前の物を使い続けたら、どこかでバグがくるもので。思考も「あ、これいいな」と思ったらどんどん取り入れてアップデートしたらいいよね
中身も外見も取り柄がなくたって、 生きてていいんじゃない? 取り柄がないと生きてちゃいけない なんて誰が言ったか知らないけど、 言った方が100%命のわからず屋だし、 誰も言ってないなら自分で勝手に思っているだけ。 自分で勝手に思い込んでたことは、 自分で勝手に変えていいんだよ。
悩みを相談するメリットって、気持ちの問題だけじゃなくて「言葉に出すことで整理される」っていうのが大きいんだよね。頭でグルグル考えているだけじゃわからないことも、人に話すことで「あ、こうすればいいのかも」って自分に答えが浮かぶこともある。相談は甘えじゃないし、立派な解決手段なんだよ
趣味でも何でも、「やりたい」が「やらなきゃ」になった瞬間から苦しくなるんだよね。やりたい心って貴重に思わないと案外あっけなく変質してしまうもの。好きでやっていたことが苦しくなった時は、自分を振り返る機会なのかもしれないね。
ぶっちゃけた話、「痛い」とか「辛い」とかメンヘラツイートしてどうすんのよと思った時期もあった。でもやっぱり一番良くないのはため込んで爆発しちゃうことだよなって。耐えることが当たり前になると人にもそれを求めちゃうし。全部を口に出す必要はないように、全部を隠し通すこともないんだね。
人は認識した通りに生きるから、「自分はダメな人間だ」と思えば無意識にダメな方へ傾いて「ほらやっぱりダメだ」と確認しようとするし、「自分はがんばっているな」と思えばできているところに目が向いて自己肯定感が高まっていく。 負の連鎖に気がついたらお休みして、プラスの連鎖に変えられたら。
ある時気づいた。 自分、何気ない一言を重く受け止め過ぎ。 相手は「ちょっとお留守番お願いね〜」くらいの軽さで言ったことも「お前は寝ることも食べることも差し置いてこれをやれ。やらないとハラキリな」って重さで受け取ってた。 相手の意図とか全然考えてなかった。 もっとライトに生きよう。
人の目なんて気にすれば気にするだけ気になるし、自分さえ気にしなければ何にもならないものだよ。「変だと思われないかな…」「笑われないかな…」とか一度考え出したら他人の笑い声一つにも敏感になるし、しまいには誰も何も言ってないのに怯えるようになる。人よりも自分に恥じない生き方を大切に。
自分が人の為に100%してあげようと思わない方がいい。人の為にしてあげられる事はせいぜい5%、残り95%は本人が決める事。相手の人生は自分が決められるものじゃないし、自分がしてあげられるのはほんの5%支えてあげたり、応援したり、提案してあげる事くらいなんだ。人の分まで背負いこまない事、大事
「幸せが怖い」状態を抜け出すには、とにかく幸せに慣れるしかない。幸せからのドン底、幸せからの裏切りを繰り返し経験している人は幸せそのものに恐怖して遠ざけてしまうことがあるけれど、過去の幸せと不幸をセットで考える必要はない。幸せになってもバチは当たらないし、幸せに権利とかも必要ない
自分のことなのに泣けないことがある。 自分のことなのに自信が持てないことがある。 でもそんな時、まるで自分のことのように泣いたり喜んだりしてくれる人がいると救われる。 「ええー!!それ酷いよ!!ありえない!!」 「それ本当?!すごいじゃん!!うわぁ嬉しい!!」 って人ガチで天使。
友だちの結婚まで考えていた彼氏が別れた途端に態度激変して「お前と付き合っていた時間全部無駄だった」とか暴言吐かれまくったと聞いて、それは結婚したら態度変わるタイプの人間だったのでは…?と思ってしまった。親しい人の“愛する人以外”に接する態度って大事だと思う。店員には態度悪い恋人とか
人は他人の事を100%理解するなんてできないんだよなぁ。 だから「わかった気になる事」が一番怖い。 でも、ほんの一欠片でも理解しようと努力する事はできるし、理解はできなくても相手を尊重する事はできる。 受ける側も100%まで理解される事を求めなければ、きっともっと平和になれるんだよなぁ。
「いつも最後だと思って生きなさい」 今日のチャンスは、今日しかないと思って掴むこと。 今日見るものは、今日しか見れないと思ってよく見ること。 今日聞くことは、今日しか聞けないと思ってしっかり聞くこと。 今日会う人は、今日が最後になるかもしれないと思って大切に接すること。
外出自粛といっても出勤せざるを得ない人もいるし、コロナ疎開だめ!といっても介護や金銭的に実家へ戻らないと生活していけなくなった人もいる。 「あえてしない人」と「できない人」を無分別に叩くより、「できない人」はどう気をつけたらいいか、どう支えたらいいかを考えた方が建設的だと思うの。
私の罪は高校時代に友だちとファミレス行って「ドリンクバーなんでもいいよ」って言われたから「はい、コーラ」って言ってコーヒー出したことだけど、ある夏の夜後輩が辛いもの食べてヒーヒー言ってる先輩に「はい、麦茶」って言ってめんつゆ(原液)を飲ませたのを見て世の中大罪人がいるんだなと知った
公共と私事をごちゃ混ぜにして「私が嫌」を「みんなが迷惑」とかに変換して強要するタイプには要注意。「この人嫌だな」と思うことは誰でもできるし距離を取るのも自由だけど、わざわざ「あなたのここが気に食いません」とか「こう変えてください」と相手を自分好みに変える権利は誰にもないんだよね。
(いい意味で)もっと好き勝手に生きよう、と思った。それが自分にとっても人にとっても楽なんだよなと。あれこれ勘ぐりすぎ気遣いすぎよりスッキリ素直な反応して嫌なものは嫌、好きなものは好き、やりたい事はやる、の精神で生きた方がいい。「迷惑になるかも…」と思う人は大体たいした迷惑かけてない
「失敗したら終わり」と考えるのか「失敗したら何とかしよう」と考えるのかで人生の幅が変わる。はじめから100%ミスなく完璧を目指そうとしたら何もできなくなってしまうよね。失敗こみで仕事、失敗こみで挑戦、失敗こみで人生と思えば、ハードルもだいぶ下げられる。肩の力を抜いて生きていこう。