ちょっと調子がいい時にやっておくとオススメなのは、自分が好きなこと・ご機嫌になれることリストを書いておくこと。趣味でも食べ物でも、好きなことでいっぱいのメモを作っておくこと。そして落ち込んだ時には、それを見て好きを充電してあげること。落ち込んでから考えようとするのは大変だものね
子どもや部下を育てる飴と鞭の基本 ・肯定的で能動的な人に育てたい場合 →アメアメアメアメアメアメムチアメ くらいに褒める事を基本にする ・自尊心が低く命令通りに動く奴隷を育てたい場合 →ムチムチムチムチムチムチアメムチ くらいに指摘することを基本にする 後者で接してくる人からは逃げろ
定時退社について 自分「仕事終わったので帰ります」 上司「まだ仕事してる人もいるのに帰るの?(=残業しろ。配慮が足りん)」 じゃなくて、 自分「仕事終わったので何かできることありますか?」 上司「あとはこっちでやるから大丈夫だよ。今日もおつかれさま」 ってお互い配慮できたら良いのでは
元々できる人より、できない人の方が有利だ。初めからできた人は「できない」感覚が分からないから人に教える事が難しい。一方できなかったところからできるようになった人は「できない」感覚もわかるし、どうやったらできるか、できるまでどれだけ大変かも知っているから道標になれる。できないも個性
溺れている人は、溺れている人を救うことができないように。 貧しい人は、お腹のすいた人にごちそうしてあげることができないように。 大切な誰かを守りたいなら。 まずは自分が救われること、自分の心を満たすことが大切だ。 ないものは与えられず、持っていてこそ与えることができるから。
人は追い詰められると視野が狭くなるもの 「この道しかない」と思う時こそ、一歩止まって深呼吸しよう 「自分にはこの会社だけ」 「この人に愛されなかったら終わり」 「これができなかったら全てダメ」 多分、そんなことない 一つしか見えなくなる時こそ「他の選択もあるかも」と言ってあげられたら
んううううう甘いものが食べたい!!!!!!!!!!!! という時は、実は糖分不足ではなくタンパク質が不足しがちなことが多いので、肉・魚・卵・大豆等のタンパク質を意識して食事に加えると不要不急の甘いものを自粛しやすくなるのでオススメです🐷
虐待や機能不全家庭による“和解できない”親子の話になると、なぜか子供側が「冷たい」「親不孝だ」と言われがちだけど、そもそも原因が子供だけにあるわけがないんだよね。 顔合わせるだけでお金せびられたり、肉体的・精神的暴力にさらされる人もいるわけで、気持ちの問題だけじゃないんだよなと。
もっと失敗に寛容な社会になったらいいよね。失敗ができない社会は、挑戦ができない社会と同じようなもの。失敗ができない分、失敗を隠す人だって増える。失敗には反省がつきものだけど、誰かの失敗を他人が叩いていても仕方がない。無責任に叩くくらいなら、次どうするかを一緒に考えられたらいいよね
「私はね、実はポンコツなんだ」 と言ったら、 「あなたはポンコツなんかじゃない!」 と返してくれるのもありがたいけど。 「ポンコツでもいいじゃないか」 って言ってくれるのも、うれしいよね。
16歳の私へ お前は今、生きるか死ぬか迷っているだろうけど、とりあえず生きておけ 周りの人はアレコレ言うが、聞き流しておけ 1年後の秋、お前の人生は変わるから 生きててよかったと、心の底から言えるようになるから そして、こんな未来のお節介がなくても生きててくれてありがとう 25歳の私より
「自分は今まで生きてきて、何をしてきたんだろう」 「特別大きな事をしたわけでもないし」 「失敗もできない事も多かった」 それでもここまで生きてきた事、それ自体が何より大きな事だ 折れかけても完全には折れないで、死にかけても寝て食べて息をして、今ここに生きている事がもの凄い事なんだよ
今外国人が「コロナで大変だから日本に行くのはやめておこう」「渡航を禁止しよう」っていうのは全然差別だと思わないし適切な感染症対策だと思うけれど、日本人をウイルス扱いされたら悲しくなる。それは日本から中国に対しても同じ事で。差別しなくても対策はできるし「お互い頑張ろう!」でいいよな
能力の高い人はいくらでもいる。 勉強がよくできる人、仕事で有能な人、運動が得意な人、顔が綺麗な人、人当たりがよく誰にも好かれるような人。 それでも、自分という人間はただ一人しかいないんだ。 自分という人生、自分という考え、自分という心、自分が自分らしく生きられる唯一貴重な存在なんだ
何もなくても自信をもって生きよう。お金がなくても、才能がなくても、今日まで生きてきたこの命がある。辛い事がなかった人はいないだろう、諦めたくなった事もあるだろう、それでも続けて生きてきたなら十分立派な事だ。生きている事が一番の功績で希望で最高の自負心だから、胸を張って生きられたら
人は傷つけられた後、2つのパターンに別れる。 1つは自分が受けた苦痛を誰かにやり返して、憂さ晴らしするパターン。 「昔は自分だって耐えてきたんだ」っていう親や上司がこのタイプ。 もう1つは、自分が苦しんだ分、他の人を同じ目に合わせないようにするパターン。 せっかくなら後者でありたいな。
いいか?みんなもう机に伏せたか? それじゃあ聞きます。 自分だと思う人は、正直に手を挙げなさい。 寝て起きたらすんごい気になる夢をみていて、続きみるために二度寝したことがある奴、全員挙手。
叱るとは寄り添う事、突き放す事ではない。 「あれが駄目だった」「これが悪かった」と責め立て相手を孤立させる事ではなくて、「ここがこのように良くなかった。だから次はこうしよう。一緒にやろう」と背中を押す事。行動で共にしなくても、その言葉が相手の次の一歩を支えるなら共にする事なんだ。
誰かに傷つけられたから自分も誰かを傷つけてやろうとする人もいれば、 過去助けてくれた人がいるから自分も誰かを助けようとする人もいる。 プラスもマイナスも連鎖するけど、 繋ぐも断ち切るも自分次第。 良いものも悪いものもまた巡り巡って自分にかえってくるのなら、プラスを繋いでいきたいね。
先日26歳の友人が「私はもう26なのに何もできないダメ人間だ…一生日陰で生きていくしかない」って言っていたんだけど、26なんてまだ人生の4分の1でしかない。春夏秋冬でいうならまだ初夏。春が上手くいかなかったからって「今年はもうダメだ」って諦めるようなもん。最後の一日まで人生に遅いはないよ
顔が見えない所でしか攻撃できない人もいれば、顔も知らない人の力になりたいと尽力する人もいる。ネットで陰口を叩く人は大した事ないけど、ネットを通して誰かを支援したり、あたたかい言葉をかけられる人はものすごいと思うんだ。繋がっている人に何気ないメッセージを送る、それだけでも大きいよね
心に余裕がない時、人や物に当たると「やってしまった…」って罪悪感でマイナスになるので、むしろ5分だけ掃除するとか人にやさしくするとかプチ徳を積んどいた方がいい。ただし、できなくても自分を責めないこと。できない時は休もう。休むことが仕事。
「もっと切り詰められるだろ」とか「もっと我慢できるだろ」とか、より貧しく生きるのを追求するより、もっと心身豊かに生きる方向を求めればいいと思うの。「ヨソが食費2万ならウチも」とか「生活保護は最低賃金の月収より高いから減らせ」とか、最低を基準にしてたら貧しくなるばかりやん
なんでもかんでも自分のせいにしがちな人、実は「自分が悪にならないと他の皆が悪になってしまうから」という理由でめちゃめちゃ優しい人の場合あるんだよな。「あの人のせいで」と誰かを憎むより、自分が悪かったことにして背負い込む方が楽だったり。人に向ける優しさは自分にも向けてあげられたら
人は学ばなければわからない。 普通の人が普通の家庭で教わって普通に生きていることが、ちょっと複雑な家庭で育った自分には分からなくて辛い事が沢山あった。 誰かに頼っていいんだよとか、心配かけてもいいんだよとか、当たり前がわからなかった。 でもわからなければ少しずつ学べばいいんだよね。