武田大臣や山田真貴子内閣広報官が給与の一部を「自主返納」。これだけ繰り返された接待の「根」は深いはずなのに、そこに追及の手が及ぶ前に表面的、形式的な”けじめ”だけで幕引きをはかる。あとは「ほとぼりが冷める」ことを待つ、という繰り返しに歯止めをかけたい。 jp.reuters.com/article/japan-…
Coccoが好きで、「お菓子と娘」のカバーも何度も聴いていたのに、戦時中「ひめゆり学徒隊」を励まそうと、引率の教師が歌った歌だったということを、この記事で初めて知った。いつか直接、お話を聴いてみたい。 news.line.me/issue/oa-ryuky…
今朝のサンデーモーニングの動画です。なるべく質問に答えない、なるべく議論の場を開かない、という「負の一貫性」は、次に誰が総裁になっても、引き継いではいけないことの一つ。 youtube.com/watch?v=DxZDeh…
昨日まさに、サンデーモーニングで懸念を伝えたことと重なる。悲しい。「命に別状」がなければいい、という話ではない。 twitter.com/CHANGHAENG/sta…
「弱かったのは、個人でなく、社会の支えでした」 この言葉をもっと届けたい。 twitter.com/NatsukiYasuda/…
相模原での殺傷事件から今日で5年。犯行に及んだ植松氏は「障害者なんていなくなればいい」という発言を繰り返してきました。優生思想とは何か、「生きるに値しない命」などあるのか、なぜ”生産性”で人をはかる「命の選別」は根深く残るのか。今だからこそ読んでほしい記事。 d4p.world/news/2775/
「日本」という大きな主語と自分を一体化させてしまい、日本政府などを批判されると「自分」を批判されたかのように感じてしまう「集団的ナルシシズム」。意見の違う人に「外国人」とレッテルを貼り、「自分は間違っていない」と「安心」を得ようとする心理にもつながる。 d4p.world/news/17940/
皆さんに大切なお願いです。祖母の生きた証を探しています。私の父は亡くなるまで、自身が在日コリアンだと一切語らず、家族の縁も絶っていました。古い書類から少しずつ家族の歩みをたどってきたものの、どうしても埋まらない「空白」があります。詳細はここに書きました。 d4p.world/news/8397/
これは「理解が足りない」のではなく、はなから「理解する気がない」のだと思うし、その姿勢である限り議員を続ける資格はないと思う。 「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、ばかげたことがいろいろ起きている」 asahi.com/articles/ASP5M…
自身が自衛隊内で受けた性被害を実名で語る五ノ井さん。「セクハラじゃなくて、コミュニケーション」と正当化する加害者。その加害者、傍観者側の言い分をうのみにしてしまう組織と検察。「被害を受けた女性隊員がいなくなるしか解決策はない」という状況は、あまりに理不尽。 dot.asahi.com/dot/2022071300…
先月のサンデーモーニングでも触れた問題。クーデターから1年の日のデモに集ったミャンマー出身の方々からも、この間の日本の対応に対する深い失望や憤りの声が聞かれた。 防衛省がミャンマー軍幹部らの教育訓練受け入れ 人権団体から批判 digital.asahi.com/articles/ASQ26…
これまで、父のルーツをたどる旅には、多くの方が我が事のように親身に相談に乗って下さり、協力して下さいました。その全てが、私の財産です。旅の原点はこの記事にまとめていますので、よろしければぜひご一読下さい。そして、道のりはまだ、続きます。 d4p.world/news/8032/
5年前にお邪魔した横浜市内の高校に、今日もまた講演で伺ったのですが、20分の質疑の時間では答えきれないくらいたくさんの質問を頂いた。なぜ入管は変わらないのか、なぜ同じような事件が繰り返されてしまうのか。「なぜ?」という疑問が尽きない理不尽なことが実際に起きてきたと、いうこと。
亡くなる前日、苦しそうにうめくウィシュマ・サンダマリさんの前で「(あのお医者さん)かっこいい」などと談笑する看護師や職員、ベッドから落ち、職員が来るも素足が床についた状態で放置されるウィシュマさん――金井真紀さんの絵と共に、視聴した映像について記事にしました。 d4p.world/news/20001/
元ラグビー日本代表・大学教員である平尾剛さんの、入管法改定案へのコメントです。 《追い打ちをかけるようなこのたびの入管法改定は、到底受け入れられるものではありません。廃案を望みます》 chng.it/8DmNzyHk
適切な検証という土台なくして、どんな「改革」ができるのでしょうか。2019年にナイジェリア人男性が大村入管で亡くなった後も、「再発防止」のためと、当時の河井法務大臣の私的諮問機関の下に「専門部会」が設置され、その提言を元に出てきたのが、あの入管法政府案だった。 www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
「バスや電車の中では、上着を見て、ぼくが朝鮮人だと知った大人がいやがらせをしてくることがあります」「ですが、ぼくが朝鮮人だと知りながらも、やさしく声をかけてくれる日本の方もたくさんいます」 朝鮮人だと知りながらも、という言葉を、小学生に言わせてしまう社会。 digital.asahi.com/articles/DA3S1…
米議会で起きていること、遠い国のこととして傍観できない。日本国内のヘイト街宣で、なぜかトランプ氏や支持者の「Make America Great Again」帽子をかぶる参加者たちを目にする。大国の大統領が堂々と差別発言をすることで、ヘイトスピーチを繰り返す人々にある種の「お墨付き」を与えてしまう。
どのような背景があっても、不当に人権が踏みにじられていい人などいません。そして、国が管理する施設で死亡事件が起きるのは重大なことです。「在留資格のない人間は、亡くなっても致し方ない」かのような声が社会に根強く残る限り、同じことが繰り返されてしまうでしょう。
誰かに「寄り添う」を掲げる前に、自身の言動が誰かの苦しみを生み出していないか、もしくは踏みにじっていないか、という視点は常に持っておきたい。
なぜ、被害者自身ががここまでのリスクを背負い、ここまでの労力をかけて訴え出ざるをえなかったのか。性暴力、ハラスメントの実態だけではなく、加害者や傍観者の言い分をそのままうのみにしてしまう組織や捜査の構造的な問題があったのではないか、ということも含めて、徹底的な検証を。 twitter.com/judo_gonoi/sta…
求められているのは、「死にたい」と言わせない厳しさではなく、「死にたい」と安心して吐きだし、心を落ち着けてまた明日へと向かえる社会ではないだろうか。 kangaeruhito.jp/article/3511
そして、同じ友人に、「人間である限り、戦争って終わらないのかな」と尋ねたことがあった。「人間だからじゃない。”どうせそういうものだ”って諦めてしまう、人の心がそうさせる」。彼は静かに答えてくれた。忘れない言葉。「戦争反対」の言葉を無意味に揶揄する大人にこそ聞いてほしかった言葉。
法の解釈が時の政権によって恣意的に、不透明な形で捻じ曲げられるのであれば、私たちは「法治国家」に生きているとはいえなくなってしまう。そう考えるとこの問題は「一部の人の問題」では決してないのだと思う。 twitter.com/ChooselifePj/s…
3月12日。父の誕生日であり、兄の命日。居酒屋の店長だった兄は、私が中学三年生の時、過労の末亡くなりました。 今日、私が支えにしているこの言葉を、改めて届けたいと思います。「弱かったのは、個人でなく、社会の支えでした」。 d4p.world/news/4297/