伊豆の美術解剖学者(@kato_anatomy)さんの人気ツイート(古い順)

美術解剖学を通じて人体が素晴らしいと思えたら、自分がその素晴らしい人体そのものだということに気付くだろう。自分はダメだと卑下するのは意識だ。意識を作る大脳は人体の中では新入りである。
美術解剖学を学ぶと、自分の作品を自分でチェックできる目が養える。表面から内部構造を透過させると、ボリュームや位置関係のチェックだけでなく、デフォルメの際のコントロールも行える。より正確にデフォルメするためにはオリジナルのフォルムを知っている必要がある。
上野の西洋美術館でも鑑賞することができる『考える人』は、手足(肩甲骨も)が一回り大きくみえる。手を広げたらオトガイから毛髪の生え際まで覆えそうである。美術作品における手足は、ロダンに限らず大きめに造形されていることが多い。"Sculptures de Rodin"(1933)
腋窩の筋配置は概念的に捉えるとさほど難しくない。上腕二頭筋と烏口腕筋のボリュームを広背筋+大円筋と大胸筋が包んでいる。(肩甲下筋は外形に影響しにくいので省略)
筋の起始停止をある程度把握しているのであれば、起始停止間を直線的に描くと痩せ型に見え、丸くすると筋肉質に見える。例えば、同一キャラクターのトレーニング前後に使えるかも知れない。
芸大で行ってる授業をまとめるのと、アップデートする意味でオンラインの講習会のようなものをやろうと考えている。内容は「ゼロから描く美術解剖学」のような感じ。あらためて形を探っている。記事は部位別にわけ、図と簡潔な文章を添えてワンコイン制にするつもり。
よく、人体の内部構造のことを「気持ち悪い」とか「怖い」と言う人がいる。そういう人は、それらは自然が作り出したもので、自分の中にも存在していることを一度考えてみると良い。私は、自然が作り出し、自分や他人の中にある構造を排除したり否定する気にらない。
「ゼロから描く美術解剖学」シリーズをスタートします。Twitterよりは不定期更新になるかと思いますが、よろしければぜひ。まずは全身骨格の第一回目。 1: 頭蓋骨を描く|伊豆の美術解剖学者 @kato_anatomy|note(ノート) note.mu/kato_anatomy/n…
足のレントゲン写真を見ると、いつも地面から骨までの距離を見てしまう。骨は周辺の構造に支えられ、体の中で浮かんでいる。
顔や頭の形が異なれば、脳の形も異なる。したがって厳密には他者と同じ意識や感覚は存在しない。同じと思っているのは自分の脳の投影である。本当の意味での他者とのコミュニケーションは、感覚の違いを味わうことである。
芸大の大学院に通っていた頃、毎週人物クロッキーの授業に参加していた。体表の起伏を観察しては解剖図を眺めていたが、それらの図や記述を実際に確認したり、検証できないことにもどかしさを覚え、医学に進学することにした。
美術解剖学を学んでも、いちいち骨や筋を描いてから人体像を作ったりしない。しかし、目が覚えているので、内部構造が収まらない形には「なにか変だな」という違和感が生じる。そうした箇所を直していくと形の歪みが少なくなっていく。
ピオ・クレメンティーノ美術館にあるラオコーン。発掘時にミケランジェロが駆けつけたというエピソードがあるが、これが土の中から出てきたら驚くだろう。後世の人にモチベーションを与えた作例。
ボルゲーゼ美術館にあるベルニーニ作『アポロンとダフネ』。非常に器用につくりこまれていて、ダフネの指先が神話にちなんで植物化している。指背から枝が生え、足指は爪から先が根になっている。こういった移行部の造形は解釈の余地がまだまだあると思う。
ベルニーニの『プロセルピナの略奪』。技術が高くなり、造形に余力ができると、指が食い込む表現など、物と物の干渉部分のリアリティに注力できるようになる(ただし、技術に偏りすぎると大きな形が失われる)。この像は足元のサポート部分がケルベロスになっている。
ミケランジェロ作『サン・ピエトロのピエタ』。23-25歳の作で、美大の修・卒業年次で言うと、1浪の修了制作ないし3浪の卒業制作。現代よりも練習量や情報量が少ないにもかかわらず、どうしてここまで到達できたのでしょうか。
ミラノのドゥオーモにある『聖バルトロメオ』。マルコ・ダグラーテが1562年に制作した皮剥ぎ刑の聖人像。纏っているのは衣服ではなく自身の皮膚。背中に回ると毛髪付きの頭部が見える。1562年に美術解剖学書はなく、教育があったか不明。よく彫ってあるが、実際の構造とかなり違う。
空港で目の前に修道士がいたので、「もしや、これが」と思って一枚。以前も紹介したが「僧帽筋」の名称は、キリスト教カプチン・フランシスコ修道会のフードの形状と筋の形状が似ていることに由来する。被った姿も見たかった。
一見無秩序に見える皮下の血管(皮静脈)。これらの走行と位置は、ある一定の法則に基づいています。一度覚えると、目で追えるようになり、そこから外れた表現は不自然に感じるようになります。これらの解説は10月の講習会、第2回の胸部内臓の心臓と合わせて行います。 passmarket.yahoo.co.jp/event/show/det…
20世紀にアメリカの素描講師が提唱した美術解剖学の教育方法は、プロセスと見方が結びついている。骨格(1枚目、目測用)、大まかな面による把握(2枚目、第1段階)、稜線とアウトライン(3枚目、第2段階)、それらに基づく陰影(4枚目、完成)。John H. Vanderpoelによるデモンストレーション。
解剖図の歴史を見ると、下図にカメラを用い始めた頃から歪みが極めて少なくなる。カメラなどの機器によって視覚が補助されたのだ。制作において肉眼にこだわることは、目が悪いにも関わらずメガネを外した状態で観察することと似ている。
noteにアップしている「ゼロから描く美術解剖学」シリーズ。出張や講習会で中断してますが、諸種の業務の合間に進めています。
無理がなく、クセのない図を描いてみたいと思って、時々見る本。シーレの師ヘルマン・ヘラーの復刻書 "MODELLE DER KÜNSTLER ANATOMIE VO HERMENN HELLER"。
斜め方向。
100
本日のボーンデジタルさんでの講習会は内臓。欧米の教科書ではあまり取り上げられていない知識だが、アーティストにとってさまざまな示唆に富む。