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日本で抗議の声をあげる意味を息子に問われ、声を上げなければ賛同とみなされても仕方ないこと、多くの人が抗議することで、国の対応が変わる可能性もあるし、ウクライナの人たちを孤立化させないことに繋がることなどを話す。関心をもって自分で考えて意見を言える大人になってほしい。
#NoWar twitter.com/nhk_news/statu…
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障害者じゃなくても子育てが困難な人はたくさんいる。虐待をする人、貧困下で育てなくてはならない人、夫みたいに途中で障害者になる人もいる。でも、子どもは親を選べない。親ガチャなんて言葉がなくなるように、親だけに責任を負わせるのではなく社会で子どもを育てることが当たり前になってほしい。
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寒さに耐えたり、喉の渇きに耐えなきゃ聞けないものなんてない。そんなマナーいらない。私がやっていることを当然やっている学校もあるけれど、そうじゃない学校もまだまだある。
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何度も繰り返しますが、子どもの権利は人権とほぼ同義なので、子どもは義務を果たさなくても当然権利を認められるのですよ。子どもの権利とセットなのは、子どもの義務ではなく、子どもの権利保障をする大人の義務です。
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普段子どもの権利なんて全く尊重していない人たちが、困ったときになると「子どもたちのため」と言い出すの、腹が立ってしょうがない。「子どもたちのため」と言いたいなら、まず子どもたちに聞いてくれ。うちの子たちは、オリンピックより部活の試合や流れてしまった林間学校に行きたがってるよ。 twitter.com/free_andpeace/…
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ちなみに、担当した訴訟で、一度も認諾されたことはない。認諾された経験ある弁護士探すほうが難しいのでは。それくらい、普通選択しない手段。
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最近は、お伝えすると1と2は元々やってます!って学校がどこの自治体でも増えてきた。良い傾向。
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しかも、普通の損害賠償請求なら、細々と損害の算定の仕方を争うところも、それをせず言い値全額払うと。税金で。どっち向いても不誠実。
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最後の方しか見てないけど、子どもをこんな時間に使うかねぇ?もっと早い時間にすればいいのに。放映権の関係で早く開始できないなら、余計に子どもを大人の都合のために「使っている」感じ。なんともいや〜な気分。
本人たちにはよい経験だったと思うけど、大人の判断としてはダメでしょ。
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「いじめは先生に相談しちゃだめ」ってツイート見た。先生に相談しても解決しない場合はあるけれど、先生に相談して解決するいじめはもっとたくさんあるよ。解決しなかったのには様々な要因がある。ひとつの経験だけを元に発信することで、苦しんでいる子の相談先を奪う可能性に気づいてほしい。→
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そういう伝え方をするようになって、改めて思うのは、聴いているときの態度はあまり関係ないなってこと。他事しながらでも、こっち見てなくても、意外とちゃんと聞いてる。だから、態度で怒るのは無駄。「またか」「うるさいな」と思われると、聞く気が失せるから、そうならないことが大事だと実感。
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文科省は、不登校を30日以上の欠席としてカウントするの、いい加減やめた方がいい。授業には出られないが、夕方にちょっとだけ先生に会いに行く子は、不登校にカウントされない。学校に行けない、クラスに入れない子達がたくさんいるという学校が抱える事態の深刻さを、しっかり直視して欲しい。
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毎日毎日政府与党はどうしてこういう思考になるのか本当に理解ができない。今を生きる子どもの権利保障をする気が一切ないのか。奨学金を受けなければ学ぶ権利が保障されない状況をどう考えているのか。それと出産がどうして関連するのか。子どもの権利がわからないなら呼んでください。講師します。 twitter.com/jijicom/status…
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それを意識して、声かけを組み立てる。気になったら言う、ではなくて。毎日小言言われてたら、大人だってやる気もなくすし、居心地悪くなる。一度声かけて説明したら、信じて待つ。時間が経ったら「この前の考えた?」と意見を聴いてみる。この2年、そんなことの繰り返しだった気がする。
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子どもの支援者の立場なので、当然「この子はヤングケアラーになっていないか」という観点で考えるけれど、子どもにアプローチすることで根本解決する問題ではないよね。「子どもの貧困」も同じようなところがある。
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こういうところでも、子どもが権利の主体と見られていないなと思う。中2にもなれば、自分で考えられるし、わからないことは聞ける。そして、本人が行きたいと思わなきゃ意味がない。受験の主役は子ども。親はお金も含めて支援したり、知識を補充したり、意見を伝えるだけの役割と思うんだけどな。
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癌とわかって会えないままバタバタと入院したため、義実家に挨拶に。「ご心配おかけしてすみません」と言ったら義母は「本当に心配よ」と涙目に。義父は「お金は僕が出すから後悔しない治療をして」と。いつもありがたいなと思っていたけれど、ちゃんと家族と思われてたんだなぁ、と改めて感じて涙。
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「大人は子どもを下に見ていると思っていたから、大人は椅子、子どもは床なのはおかしいと言われて感動した」など。何の講演するにせよ、きちんと子どもの権利について伝えて行かねばと改めて思う。
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子どもは経験値が少ないから、守ってもらったり、一人で判断が難しくて助けてもらったりする必要があるだけ」という話をしたところ、感想で「大人と子どもは対等な存在」ということについて触れていた子が多数いた。「大人は子どもに厳しく接する人だと思っていた」「子どもだから意見がいえなかった」