もうお読みの方も多いと思いますが、忽那先生が書かれた大切な記事です。 現場で数々の感染症を最前線で診療してきた感染症専門医の意見に耳を傾ける方が増えることを切に願います。 news.yahoo.co.jp/byline/kutsuna…
人間関係に疲れやすい人は、無意識に他人に対して「こういう人であってほしい」という欲求を”強めに”持っている傾向があるように思っていて、これは悪いことでも何でもないと思うのだが、少なくともこの種の欲求を一切持たないタイプの人は日常のストレスが少ない。
ある先生が講演中にされた身の上話が興味深かった。 ご祖父様が茶道の先生だったらしく、茶道に人生の70年間を捧げた人だったが、亡くなる前に言った一言が「結局お茶はよく分からん」だったという話。 何事もそうだが、エキスパートほど「分かる」という感覚のハードルは上がっていくのだなと。
時事メディカル連載 週刊誌やネット記事などでよく見る、「この薬は飲んではいけない!」を信じて必要な薬をやめてしまい、病気を悪化させてしまう方がいます。 本来、薬をやめたり中断したりするには細心の注意が必要です。 medical.jiji.com/topics/2109
これは本当に重要なことで、 「どんなワードを検索窓に入れる(ことができる)か」 の時点である程度勝負がついてしまうんですよね。 たとえば「がん 消える 水」と入れた時点でもう信憑性の高い情報に行き着くのはなかなか難しいわけです。 twitter.com/Koike_Masato/s…
語彙力が豊富な人が得なのは、何より「豊富な語彙を使って考えること」ができるところにあって、普通なら長々と説明的に表現しないといけない現象や情景や感情を短い言葉で的確に表現できるなら当然思考は「はかどる」し、頭の中の情報の整理も速くて効率的。 ゆえにアウトプットの質も高い。
人間関係に疲れやすい人は、相手が攻撃的な人であるほど「好かれよう」と努力してしまう側面があると思っていて、これは攻撃の矛先が自分に向かないための自己防衛なのだけど、おそらく本当に自分を守るには、「十分な距離をとる」「相手に一切の関心を抱かない」が正解なのだろうと思う。
エピペンの使い方については、文科省のYouTube動画が分かりやすいです。 とっさの場面では慌ててしまうケースもあると思いますが、あらかじめ映像を見ておくと印象に残りやすいです。 youtu.be/caZv1Zwznis twitter.com/bu0210/status/…
風邪やインフルエンザなど誰もがかかる軽い病気や小さな怪我に関わる簡単な医学知識、どのように病院や薬を利用すべきか、といったことを学校で学ぶ機会があるといいと思う。がんに関するごく基本的な話も知っておく方がいい。 私で良ければいくらでも話しに行くし、大塚先生も似た試みをしている。
ドクターX、コード・ブルー、TOKYO MERがいずれも視聴率として成功しているところを見ると、「分かりやすくて面白い」だけでなく、「何を言っているのか分からない、ところどころついていけないけどすこぶる面白い」もアリで、いずれにしても熟慮の上、絶妙なバランスで作られているのだろうと思う。
「公益のために正確な情報を発信すべき」と考える人から見れば、少し調べれば容易に誤りと分かるようなデマの発信が謎で仕方ないのだが、実は「一定数の支持を得るためなら誤りを承知の上で誤情報を発信できる人」は必ずいて、誤りを指摘されても絶対に撤回しないのは「そんなことは百も承知」だから。
他人に思いやりを持つためには、自分自身にそれなりの余力が必要で、そう考えるとまずは「自分への思いやり」が優先でいいんだろうなと思う。そうでないと結果的に誰も「思いやれ」なくなる。
一般論として、患者さんの受けた治療や検査の可否に関して、第三者があれこれ意見するのは極めて品のない行為だと思います。 医療者、非医療者に限らずそうです。 細かな事情は、患者さんご本人と直接関わった医療スタッフにしか分かりません。 第三者が何かを「評価する」ことなど到底できません。
Eテレの子供向け番組が秀逸だと思うのが、「これを見ればこんなことができるようになります!」的な「分かりやすくて即時的な教育効果」を強調することなく、見ている子供の頭の中で「文字への興味」とか「科学への関心」がじんわり高まっていく仕組みになっていること。 とても丁寧な仕事だと思う。
クラスター対策班の先生方が公式アカウントを開設されています。 こうして一次情報に触れられるTwitter。 当たり前のようだが、冷静に考えればとんでもない話。 大袈裟じゃなく、Twitterユーザーと非ユーザーの情報格差はかなり大きくなりそう。 twitter.com/nishiurah/stat…
週刊誌等でよく見る"極端な"健康情報。 ①単純化された極論 「〜すれば病気が治る」 ②過度に負担の少ない解決策 「〜するだけでやせる」 ③現代医学の否定 「医者や薬は不要」 ④リスクの誇張 「〜薬は危険、飲むな」 ⑤一般論を覆す新情報 「実は〜検診を受けてはいけない」 keiyouwhite.com/magazine
自分も割とそうなんですが、「他人の機嫌の良し悪しの原因をまず自分の中に探す人」は、常に神経を研ぎ澄ましているので疲れやすい、というのがあると思います。 なので、逆に自分がそういうタイプの人と接する時は、「機嫌良さそうにすること」が大切だと思っています。
私がいつも伝えたいと思っているのは、今後誰しも健康に関わる危機や不安に直面することがあるので、その際に情報に翻弄されることなく、適切に情報と付き合うための方法や心構えです。 藁をも掴む思いで情報検索し、結果的に誤情報を信じて健康被害を受ける方を、これまで多く見てきたからです。 twitter.com/keiyou30/statu…
デマツイートそのものより、デマを否定するツイートの方がむしろ拡散し、それによりデマが広く知られ、信用する人が増えてしまうという現実。 なかなか難しい問題です。 #フェイクバスターズ
慣れてしまうと忘れがちな事実ではあるけど、Twitterって「まさかこの方の生の声が読めるの!?」というくらいの著名な方々が普通にごろごろいて、その発信を無料で読めてしまう貴重なツールなんですよね。
現時点で得られる最良のエビデンスを用いて推論を立て、新たな知見が手に入るたび再評価、軌道修正、というのは科学においてごく自然な流れ。 でもこれを「誤りの訂正」と捉える人がいるのもまた事実で、最初から100%のベネフィットとゼロリスクを期待されてしまう医療現場の「日常」とも言える。
優れた技術を持つ人の手術ほど「簡単そうに見える」「誰でもできそうだと錯覚する」という現象があるのだが、同様に、知識が飛び抜けて豊かな人が誰にでも分かりやすい説明をすると、皮肉にも「自分も同じ土俵でその分野を語れるほど知識が身についた」と誤解してしまう人はいるように思う。
我が子が本屋さんに住みたいと言い出した。分かる。リアル書店での本との出会いは何ものにも代え難い。 そこで、居間の小さな本棚に「定期的に新刊が入荷する棚」を作ってみた。時々新しい本を買ってこっそり入れておくのだが、これがとても好評で、自分も選ぶのが楽しく、意外といい仕組みができた。
大人になってから改めて気づいたのだが、小学生時代の理科の自由研究で学んだのは、「何かを比較する時はそれ以外の条件を必ず揃える」とか「母集団が違うものはそのまま比較できない」とか「そもそも比較してはいけないものは比較しない」などの科学の「常識」だったのかもしれないなと思う。
忽那先生の記事、今回もとても分かりやすいです。超重要な内容。 忽那先生の連載を読み続けてきた方は、情勢の変化に応じた科学的な考え方にますます強くなれそうに思います。 にしても先生の本名がトレンド入りしているのはすごい…。 news.yahoo.co.jp/byline/kutsuna…