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田舎に住む妻の母は現在、一切の不要不急の外出を避け、自宅でケーキを焼き、ピアノを弾き、読書を楽しんでいる。
こういう時、自宅内で、かつ一人でできる趣味が豊富にある人は強い。
いや、そもそも「趣味が豊富な人」は、だいたいにおいて「幸せ度の低下リスク」が低めである。
2
昔から学校では、「最後までやり抜くこと」「あきらめないこと」が大切だと教わってきたけれど、大人になって気づくのは「いかに上手くあきらめるか」も大切だということ。
合わないと思ったら手を引く、向いてないと思ったら方向転換、こういう「器用な撤退」ができる人はストレスが少ない。
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前にも書いたけど、SNSの怖いところは、自分の信じたい話を「何とか見つけ出せてしまう」ことだと思う。
たとえ自分がとんでもなく誤っていても、自分を肯定してくれる心地良い主張を見つけ出すと「ようやくまともな人に出会えた」といって信念が補強され、そのうち取り返しがつかなくなる。
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ストレス耐性が強そうな人を見ると、実は「メンタルが強い」というよりは、「自分のメンタルに害を与えそうな人と距離を取るのがうまい」ということに気づく。
メンタルの強さそのものに大差はなくても、ダメージを予見し回避できれば消耗しにくい。
なお、自分はあまり上手くない。
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感染者がますます増える中で、「これまで慎重に対策してきた人」の方がむしろ不安や焦りを感じてしまうのではないかと思ったりしますが、どれだけ感染者が増えようと、きちんと感染対策できている人なら「これまで通りの対策を継続」で大丈夫です。
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いい小説を読んだり、いい映画を見たりした後、「登場人物たちが今もあの世界で楽しんだり苦しんだりしているのに自分だけはもう二度とその世界で彼らに会えない寂しさ」が尾を引いて、しばらく余韻に苦しめられるという経験がある。いい作品ほどこの種の「苦痛」があるなあと、よく思う。
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この時期、新人を大声で怒鳴りつけて萎縮させる人がいるかもしれませんが、そんな時は「これが突発的な怒りを理性で制御できない幼児性というものか…」と淡々と自分の中で言語化するといいと思います。他人を怒鳴りつけていい理由なんてないです。
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職場に入った新人さんにとって最初辛いのが、明文化されていないローカルルールを気づかず違反してしまい、予期せぬ叱責を受けるという経験。
職場に長くいる人ほど、我が身に染み付いたローカルルールに気づいていません。「初見なら知らなくて当然」であることに案外気づけないものです。
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肛門のすごいところは、「降りてきたのが気体か液体か固体かを識別できること」、さらには「固体を残して気体のみを排出するという高度な機能を持つこと」ですね。
9/1発売の新刊「すばらしい人体」の内容を、ダイヤモンドオンラインで少しずつ紹介です。
diamond.jp/articles/-/280…
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何かを批判したいと思ったら、その前に「もしかしたら背景に自分の知らない情報があるのかもしれない」と一度は疑ってみることが大切だと思っている。
後から事情を知って「そういうことだったのか」と恥ずかしい思いで感情的に反発した自分を振り返る機会なんて、子供の頃から数え切れないほどある。
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医療デマの中には、学校で習う理科の知識があれば瞬間的に「ありえない」と分かるものが結構ある。学校教育は、こういうところで私たちの身を守るのだと思っている。
「分からない時はググれば済む」と言う人がいるかもしれないが、そんなことはない。
「ググらずに済む」から安全なのである。
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語彙力が豊富で言語化が得意な人は、自分の中の感情を整理したり、自らの悩みや眼前の困難を正確に把握するのがうまく、効率的に手を打つ。
「言葉をたくさん知っていることがなぜ大切か」の答えに「自己解決の効率性」があるというのは、重要な事実だと思う。
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現在Googleで「コロナウイルス」と検索すると、特別枠で公的機関のページが並び、その下にも公式情報。広告はなし。
一見当たり前のように見えるが、そんなことはない。数年前までは「コロナウイルスって何?症状や原因は?調べてみました」のようなブログ記事が大量生産され、上位に表示されていた。
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自分も経験があるけど、何か不安や疑問があって情報検索する時、無意識に「自分の考えを補強してくれる答え」を懸命に探してしまう。これが怖いのは、その「答え」にたどり着いた時の安心感や心地良さがとてつもなく大きいために自説の誤りに気付けず、坂道を転がり落ちるように思考が偏っていくこと。
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そういえば昔、学校の先生から、授業のランニングで「楽しそうに走っていた」ことを叱られて謝罪したことがあるけど、「辛くなければならない」という指導は運動の楽しさや運動習慣の大切さを学ぶ障壁になるのではないかと、医療・健康に関わる今なら思う。
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SNSの怖いところは「自分が信じたい話を何とか見つけ出せてしまうこと」だと思う。それがたとえ大きく誤った考えでも、これだけ大勢いれば「自分の耳に心地よい話」は見つけ出せる。
そして「良かった、まともな意見の人もいて」という「安心」を繰り返し、自らの誤りの修正がきかなくなる。
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小中学校の頃の体育の授業では、運動が苦手な子に何とか「苦手の克服」をさせようとして、かえって運動嫌いになる子がいたように思うが、将来の健康維持のためには運動「能力」よりも運動「習慣」が大切で、得意でなくても運動を「苦痛なく続けられること」に意味があると医師になって強く感じている。
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努力家で真面目な人ほど、病気になった時に「病気を治すためなら金は惜しまない」と大枚をはたく決意をし、周囲もそれを全力で支援しようと奮起することはよくある。
だからこそ、健康保険制度の整った日本では「効果が確かな治療ほど安い」という事実を発信し続ける必要がある。
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どこかで終わりが来るとしても今回だけで終わらせてはいけないのは、風邪気味、発熱などの症状があれば早めに休むという生活様式を習慣化することだと思う。これまでもインフルエンザで亡くなる人は毎年大勢いた。
学校でも、体調が悪い時に休む生徒が過度に背徳感を抱かない環境は大切だと思います。
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連載中のメディアに「テレビの誇大な発信にご注意を」という趣旨の原稿を書いたら、
「新型コロナに関しては、ネットは分かりませんが、テレビを含めた報道は結構まじめで慎重。悪意のあるもの、ひどい誤解を生むような内容が多数あるとは思いません」
と反論され頭を抱えています。
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私のボスがよく使う言葉に、“trust but verify(信じよ、されど確認せよ)”というのがある。
「信頼できる他者から得た情報はひとまず信じてみるが、ソースを自分で確認するまでは判断を保留にする」という習慣は大切。ただし「自分で確認するまで納得はしない=相手を信頼しない」ではない点も重要。
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医療者にとって悩ましいのは、「軽症なら自宅療養」を強調することにより、症状は重いにもかかわらず「迷惑をかけるわけにはいかないから」と必死で我慢してしまう性格の人にばかりこうした呼びかけが強く刺さってしまうことではないかと思う。
啓発とは、かくも難しいもの。
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「勉強」の難しいところは、「なぜ勉強が必要なのかは勉強してからでないと分からない」という点にあって、勉強しない限り「勉強など必要ない」と容易に言えてしまう。
「価値はよく分からないが年長者がいいと言うのだからひとまず勉強してみるか」と素直に思えた人のみが勉強の価値を知るという。
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大学生の時に歴史を勉強しようと思い立ち、本を色々読んだものの全然覚えられず悩んでいたら、父から「覚えなくていい。学ぶことの目的は覚えることじゃない。"学んだ時に何を考えたか" が大切だ」と言われた。当時は全くピンと来ず、知識として定着しないと意味ないじゃないかと反発心もあった。
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本当の専門家って、くどい、煮え切らない、細かい、断言しないなど、本質的に「テレビ向きじゃない」と思うんですね。特に医療は不確定要素が多く、知識がある人ほどクリアカットに説明しない。
逆に言えば「白黒はっきりしたメッセージだけを求める人」は良質な情報になかなか出会えない。