医療の現場にいると、昨日まで普通に元気だった人が今日突然命の危機に瀕する(場合によっては亡くなる)例には日常的に出会う。「次は自分や家族かもしれない」と現実感を持って想像できる。 「今日も一日みんなが元気だった」という事実は、一見当たり前のようで実はあまりにも尊いこと。
人間関係に傷つきやすい人は、理不尽な暴言を投げかけられた時ですら「相手の意図を理解しようと努力してしまう」習慣があるんですよね。 相手の行動に「こちらが納得できる論理」などあるはずがないのに。
昔を思い出すと、仕事中一緒にいて最も心理的に安心感があったのは「今日は機嫌がいいか悪いかを気にしなくていい先輩」だったから、後輩が増えたいま自分も気をつけている。 人の気分なんて当然一定ではないものだが、その浮き沈みが周囲にネガティブな影響を与えないよう制御するのが大人だと思う。
「緩和ケア」を「終末期ケア」と混同して、「もう治療の手立てがなくなったから緩和ケア」といった解釈をしてしまう方がまだ多くいる(医療者にも)のですが、 「緩和ケアは、がんと診断されたときから始まります」 「がんが進行してから始めるものではありません」 ganjoho.jp/public/dia_tre…
たとえ正しいことを言っていても、言葉が汚かったり、侮蔑的だったり、皮肉に満ちたものだったり、誰かを傷つけるものだったりすると、その言葉は当然届けたい相手に「届きにくい」だろうし、丁寧に言葉を選ぶ方がお得だ、とは思う。たぶんコストに見合った効果も得られやすい。
興味深い研究結果。 誤情報を信じている人の43%は、たとえ訂正記事があってもクリックを避ける傾向がある。 信じたいことを信じ続ける人にはファクトチェックが効かず、自分の信念が正しいと信じて誤情報を拡散してしまう。確証バイアスの恐ろしさ。 nitech.ac.jp/news/press/202…
フィリピン人の医師と話す機会があり、普段タガログと英語をどう使い分けるのかという話題から、「医学をタガログで学べるか」という質問をしてみたら「まさか!」と笑われた。ほとんどの学問は英語じゃないと学べないよと。 母国語だけでここまで学んだ我々がいかに恵まれているかを改めて痛感した。
以前はがんの患者さんに「ネット情報は危険なものが多いのでググらない方がいいです」と伝えていたが、今は「ネットで調べる時は国立がんセンター『がん情報サービス』をお使い下さい」と伝えている。 自分や家族の病気について調べずにはいられないと思うし、「調べ方」を伝えるのがベターかと思う。
その上で、 『がん情報サービス』を見ても疑問が解決しなければ、その時は何でもご相談ください。ネットで調べ過ぎると誤った情報に行き着いてしまうことがあります。 と伝えている。 患者さんにとって個別に必要な情報は、直接診察できる主治医にしか提供できないということは伝えたい。
どうしてもググる時はキーワードの後に「or.jp」を付けると安全性の高い情報が出やすいです(絶対ではないですが) と伝え、 病名や手術の名前で検索するなら正式名称でお願いします と言って紙に正式名称を書いてお見せする。 ググらないで、ではなく、ググることを前提に考える。
誠実な人ほど「真剣に話し合えばきっと分かり合えるはず」と考えがちだが、「分かり合えるか否か」はこちらの努力よりむしろ「相手が分かり合いたいと思っているどうか」に依存する部分が大きいと思うし、分かり合う気がない相手とは決して分かり合えないので、早目に気づいて体力を温存する方がいい。
錠剤のPTP(包装)を一錠ずつに切り離すと、包装ごと飲みこむリスクがあるため非常に危険です。 PTP誤飲は医療現場で本当によく出会う事故で、緊急で処置が必要になります。 自分は大丈夫、と思った人は油断禁物で、認知機能のしっかりした若い人の誤飲も少なくないです。 medical.jiji.com/topics/amp/2432
著名な方の病気や死の原因について、事情を直接知り得ない第三者の専門家がメディアで断定的に語るのは適切ではないと思う。 憶測に過ぎないその発言が、関係者の方々を傷つけたり、誤解が広がる原因になることもある。 専門家の言葉の力というのは、それほどに大きい。
我が子が本屋さんに住みたいと言い出した。分かる。リアル書店での本との出会いは何ものにも代え難い。 そこで、居間の小さな本棚に「定期的に新刊が入荷する棚」を作ってみた。時々新しい本を買ってこっそり入れておくのだが、これがとても好評で、自分も選ぶのが楽しく、意外といい仕組みができた。
幼い頃から「正答を探す」「原因を見つける」といった思考を訓練するためか、答えのない問いや原因のはっきりしない現象を「グレーなままにしておく」「判断を保留にする」といった振る舞いを苦手とする人が多いように思う。 大人になると、むしろ結論に飛びつくことが危険なケースは多いのだが。
何かが上手くいかなかった時に、単純に努力の増量を求める人がいるけど、実際は努力の「方法」とか「方向」を詰め直した方がいいケースは多く、「よし今度こそ死ぬ気でやってやる」よりも、「何が悪かったかまずは作戦を練り直そう」の方が結局近道になりやすいと思う。
お見舞いの際は「差し入れ」に注意。 医学的な理由で食事をしてはならない患者さんが、家族からの差し入れを誤って食べ、危険な状態に陥ることがある。 健康な時は意識しづらいが、「食べる」「飲む」というのは時に人命を奪う危険な行為になる。 事前に飲食の制限がないか確認することが大切です。
「間違ったことを言う人」の害はもちろん大きいが、「100%の正解しか許さない人」の害もそれなりに大きくて、後者にかかれば「大多数の人にとっては許容範囲」でも”誤り判定”なので、周囲のモチベーションが削がれて生産性も落ちるというデメリットがある。バランス大事。
カフェのチェーン店は最近ほとんどセルフサービスだが、ご高齢の方にとって、心理的に急かされながらレジで商品を注文し、支払いを済ませ、熱いコーヒーを席まで自力で運ぶというのは結構難しいタスクだと思う。 ふらついてコーヒーがこぼれて、幼い子の頭にかかりそうになったのを見てそう思った。
80代や90代の方々からよく、同級生や友達が次々この世を去っていくという話を聞く。そんな中で生き生きしているのは「1人でできる趣味」を豊富に持っている人。誰にも頼らず自分を楽しませられる。 体力と知力があるうちに趣味を見つけておくのはとても大事。若いほど新しいことを始める労力は少ない。
どの分野でもそうだと思うが、「自分だけが真実を知っている」と言う人を見かけたら警戒した方がいいし、少なくともその発信の拡散を手伝うのは避けた方がいいと思う。
今までSNSで医療デマをたくさん見てきましたが、気をつけるべきなのが、デマをデマだと分かった上で拡散する人がいるということです。誰かを叩きたいという自分の目的にかなうなら、「真実かどうか」などどうでもいいのです。「デマを見抜けない人」は信じてくれるからです。注意したいものです。
運動会を見に行くといつも思う。 運動が苦手でリレーでぐんぐん抜かれてしまう子、心配しなくても将来困ることは一切ないから気に病まないでほしい、ということと、競争を伴わない「運動」自体は本当は楽しいもので、何より運動習慣は健康維持にも大切だから嫌いにならないでほしい、ということ。
セカンドオピニオン、名前はよく知られているのに実態はあまり知られておらず、誤解も多いです。 セカンドオピニオンでは、 ・検査や治療が行われるわけではない(意見を聞くのが目的) ・保険診療ではなく、自費で数万円(病院によって異なる) ・診療情報提供書が必須 medical.jiji.com/topics/3057
間違いを指摘された時にあからさまにムッとしたり機嫌を損ねたりする人は、他者から有益な助言を得られる機会が次第に減り、成長は期待できなくなる。 逆に能力の高い人ほど、他人からの指摘を明るく前向きに受容する。その態度は相手が目上でも目下でも変わらない。