676
677
たらればさんとおかざき先生のツイを見て少し書いてみる。
私はかつて学校の授業でどうしても古典が好きになれず、当時は古典の勉強が苦痛で仕方なかった。
ところが、 #あさきゆめみし を読んで世界が変わった。古典に関心を持つ入り口になり、学びの扉が開いた。あの感覚は今でも鮮明に覚えている。
678
小説でも漫画でもゲームでも、「自分史」において何かに関心を持つ「入り口」になったような作品というのは、それだけでほぼ「人生を変えた作品」と言っていいと思うし、そういう作品をこの世に送り出してくれた作者には生涯をかけて感謝する、と言っても、これまた過言ではないと思う。
679
27年前の今日、私は神戸市で被災しました。
医学の領域で阪神大震災から連想するのは「クラッシュシンドローム」です。
阪神大震災では370人以上がクラッシュシンドロームの被害にあったとされ、この病名が一般にも広く知れ渡るきっかけになりました。
diamond.jp/articles/-/293…
680
飲み薬を包装ごと飲み込んでしまい、食道に詰まって壁を傷つけたり、腸の壁を突き破ったりする事故は頻繁に起こっています。
今の包装のミシン目は一つずつに切り離せないようになっていますが、それでもハサミで切り離し、誤飲してしまう事故が後を絶ちません。
medical.jiji.com/topics/2432
681
「〇〇は効果がある」と言うためには、しっかりした臨床試験で「人での効果」を確認し、既存の治療と比較する必要があります。
効果を実証するためには膨大な人たちの労力とコストが必要で、それでもなお多くの候補がふるい落とされる中、何とか生き残ったものが標準治療となり保険で認められます。 twitter.com/SatoruO/status…
682
すでに多くの方々が発信されていますが、私も小さな子を持つ親として、Yahoo!ニュースで記事を書きました。
「節分の豆、5歳以下の子には食べさせないで」
消費者庁をはじめ、各種の医療機関や公的機関が、窒息・誤嚥リスクについて何度も注意喚起を繰り返しています。
news.yahoo.co.jp/byline/yamamot…
683
実はお腹の中には臓器がぎっしり詰まっているわけではなく、スペースに余裕があります。
腸はある程度自由に動けるので、逆立ちすると腸は頭側にドサっと移動しています。意外に知られていない事実です。
diamond.jp/articles/-/295…
684
やってる人は少ないと思いますが、私は夜中にトイレに起きた時、片目をつぶってから電気をつけて用を足し、電気を消したのち再び目を開けて寝室に戻る、というのをやっています。
片目の暗順応が維持されるので、真っ暗でも見やすい視野が保てて移動が楽です。
diamond.jp/articles/-/295…
685
「勉強」の難しいところは、「なぜ勉強が必要なのかは勉強してからでないと分からない」という点にあって、勉強しない限り「勉強など必要ない」と容易に言えてしまう。
「価値はよく分からないが年長者がいいと言うのだからひとまず勉強してみるか」と素直に思えた人のみが勉強の価値を知るという。
686
さらに難しいと思うのが、「なぜ勉強が必要なのか」が分かるのは勉強してからずいぶん時間が経ってから、というところで、学校で勉強したらすぐに何かの役に立つわけではない。
大人になって「何も勉強していなかったら大変なことになっていた」と過去を振り返る時、心底勉強の大切さを知る。
687
前も書いたけど、“trust but verify(信じよ、されど確認せよ)”という格言はいつも頭の片隅に置いている。
あらゆる情報に関して「ひとまず信じてもよいが決して真偽の確認は怠らない。確認できるまで判断は保留にし、行動には移さない」というリテラシーは重要だと思う。情報が入り乱れる時は特に。
688
"trust but verify"のいいところは「何もかも全て疑え」ではない点にあると思っていて、「誰かを信頼すること」のハードルはひとまず低めに設定しておく方が心の安寧には繋がるし、その一方で「真偽の検証を行うまで防御姿勢は崩さない」という落ち着きは身を守るために大切、ということ。
689
「食事しながら話す」というのは実はすごい技術で、咀嚼、嚥下、発声、呼吸という複雑な動作を口という単一の器官のみを使って同時に行う。
「むせる」とか「食べ物が口からこぼれる」とかが”たまにしか起こらない”のは奇跡とすら思えるし、高齢になるとこの複雑な動作が難しくなるのも自然に思える。
690
「手術のときにお腹の脂肪もついでに取ってもらえませんか?」
という質問は医療現場の”あるある”なのですが、これが実は難しい、という話を関西風お好み焼きにたとえて説明してみました。
diamond.jp/articles/-/297…
691
努力家で真面目な人ほど、病気になった時に「病気を治すためなら金は惜しまない」と大枚をはたく決意をし、周囲もそれを全力で支援しようと奮起することはよくある。
だからこそ、健康保険制度の整った日本では「効果が確かな治療ほど安い」という事実を発信し続ける必要がある。
692
藁にもすがる思いで、科学的根拠のない高額な商品に頼るのも自然なことで、「やらないよりはいい」という発想も自然。
だが、効果の確かな治療に専念し、大切なお金と時間を旅行や美味しい食事、趣味などに使った方が治療に前向きになれることが多く、その点では「やらない方がいい」とも言える。
693
694
がん治療で困ったときは、まずがんの専門医に洗いざらい相談してほしいし、これは何度も何度も書いているけど、相談される側は正論を真正面からぶつけるのではなく、まず「相談してくださってありがとうございます」と笑顔で頭を下げたい。
相談すれば救われる、そういう安心感がないと変わらない。
695
どれほど自分の考えが偏っていてもSNSでは必ず仲間が見つかるし、少数派の連帯感ゆえ、”偏っているほど”仲間は強く賛意を示してくれる。
この心地良い環境に身を置き、自分で物事を考えるという「しんどさ」から解放され、さらに取り返しのつかないほど偏っていく。SNSの怖いところ。
696
経験値が増えると「仕事が素早くできるようになる」よりも、「やらなくてもいい仕事を見抜けるようになる」が大きいし、「分からないことが分かるようになる」よりも、「分からないままでも困らないことが見抜けるようになる」が大きいと感じる。
697
この時期、新しい環境に進む子どもたちに言葉を送るなら、「友達をたくさん作ろう」よりは「やりたいことを見つけよう」の方がいいかなと思っている。
その「やりたいこと」に「友達をたくさん作る」が含まれている人と、そうでない人はいると思うし、人それぞれ好む生き方は違う。
698
Twitterなんかやって何が面白いんだと言われることは未だにあるのだが、今や学会公式ですらTwitterを駆使し、有益な情報交換を行う時代。もう随分前からTwitterは「やるかやらないか」ではなく、「どのようにやるか」のフェーズに入っていると感じる。
699
そういえば学生時代、何となく世の中に対して斜に構えていた時期があり、「常に通説の逆張りをする識者」に強い信頼を置いていた。権威に媚びず忖度なしに真理を語る(ように見える)姿に心を熱くしたのだと思う。
今となっては恥ずかしいが、そういう経験は早めにやっておく方がいいとも思う。
700
そのあと少し歳を重ねると、今度は「その手の逆張り識者は常に間違っている」という正反対の揺り戻しが来た。「あの頃オレは斜に構えていた」という別の「斜に構え方」に変わっただけだった。
今は、こういう過去を自省的に振り返れるくらいには落ち着いてきたように思う。