目の前で人が倒れたら、どんな順番で何をすべきなのか、日本ACLS協会ガイドをもとに解説しました。 誰がいつ何時こういう事態に遭遇するか分かりません。必要な情報を定期的に頭の片隅に思い出していただけるとありがたいです。 medical.jiji.com/topics/1688
コロナ禍におけるこどもたちの生活と健康現状の調査、第2回「コロナ×こどもアンケ-ト」が開始されています。 大切な研究ですので、ご協力くだされば幸いです。 twitter.com/ncchd_pr/statu…
「がんが消える」と言われて600万円もの治療費を払い、1年9ヶ月後に亡くなった方の話。 がんに関わる危険な情報は山のようにある。慎重に情報収集しないと容易に誤情報に辿り着いてしまう。 記事でも紹介されていますが、国立がんセンター「がん情報サービス」にアクセスするのが確実です。 twitter.com/SatoruO/status…
怪しげな免疫療法に関しては、日本臨床腫瘍学会が公式サイトで一般向けに厳しく注意喚起しています。 ただ、このメッセージはサイトの奥深く下層にもぐり込んでいて、見つけるのは少し難しい。またPDFをダウンロードする形なので、スマホでは閲覧しづくなっています。 jsmo.or.jp/news/jsmo/
「無治療経過観察」という医療行為の重要性はあまり知られていない。例えば自然に治る(かもしれない)病気に無理に薬を使ってしまうと「薬を使わなかったらどうなったか」が永久に分からないし、状態が悪化した時、病気そのもののせいなのか薬の副作用のせいなのかが分からないという問題もあります。
実は医師国家試験では、ある症状で外来にやって来た患者さんの検査値やレントゲン画像が示され、「適切な対応はどれか?」として選択肢から答えを選ばせる問題が定番ですが、 a.経過観察 b.抗菌薬治療 c.放射線治療 d.化学療法 e.手術 として正解が「経過観察」という問題が普通にあります。
医師は口癖のようによく「様子を見ましょう」と言いますが、その時はこういうケースが多いと思います。 「経過観察」とは、「何もしない」ではなく、「全く治療介入せずに様子を見なくてはならない」という意味なんですね。 medical.jiji.com/topics/616
医師にとって、こういう考え方は当たり前のように染み付いていますが、患者さんにとってはもちろん当たり前ではありません。 「何もしてくれなかった」「放置された」と不安を感じる人も多い。 経過観察の意図や「次に受診すべきタイミング」などを医師が具体的に説明するのが望ましいと思っています。
幼い頃、父の書斎の巨大な本棚には海外の古典から最新の新書まで途方もない数の蔵書があり、巻末に一つ一つ読了した日付と感想メモが書かれていた。 父はとにかく物知りだったから、「豊富な知識を身につけるには本をたくさん読んだ方がいいんだろうな」と幼少期に漠然と思えたのは良かったと思う。
そんな父は決まって私に「おじいちゃんはこの比じゃないくらい本を読んでいるよ」と繰り返した。確かに、教師だった祖父の自宅は居住空間のほとんどが本で埋め尽くされていた。 知識とはいくら得たところで限界にたどり着くことは決してないのだと、幼心に思い知ったものである。
賛否両論あるとは思うが、私はこういう幼い頃の経験から、書棚の視覚的なイメージが我が子に与える影響は大きいと思っているから、「必要最小限のものしか所有しない」というミニマリスト的(?)な感覚は本に関しては持っておらず、むしろ自宅の書棚をたっぷり本で満たしておきたいくらいに思っている。
研修医の頃に「医師免許見せろや!」と凄まれたことがあり、医師免許は表彰状っぽいA3の紙だから誰も持ち歩いてないという話をツイートしたら、 「そういう時に備えて縮小コピーを名札の裏に入れている」「写真をスマホに入れている」 という反応をいただいたのを思い出した。 後輩の皆様ご参考に…。
学校教育に関して「〇〇は社会に出たら一切使わないから不要」のような論はよく聞く。 確かに目に見える実用性も大切だけど、むしろその「実用性」が自覚できないほど自分の中に深く潜り込み、血肉となって同化した成果こそ、人生で様々な困難に直面したとき無意識下で生かされるのだと思う。
Twitterを定期的に見る習慣があると、「少し見ないうちに話題についていけない!」みたいなことが起こるけど、さらにもう一段階見る頻度を落とすと「ついていけてないことに気づかない」という段階に達し、それが割と楽だったりする。たぶん世の中には「知らなくても困らない話題」が結構多い。
ことあるごとに医療者や病院を追い詰めるような発信をするメディアの中の人と話したことがあるのだが、困ったことに「自分は医療者を尊敬しているし病院の力になりたい」という強い正義感があり、「そのためには内部の"悪者"をやっつけて浄化しないといけない」と思っているらしいことが分かった。
この「任せろ、俺が悪者を叩きのめしてやるから」という姿勢は確かに心強く、支持も得やすい。時に市民の利益にもなる。 一方で世の中には「余計なお世話」という言葉もあって、特にセンシティブな専門領域に不十分な知識で乗り込んで刀をブンブン振り回すと、時に取り返しのつかないことになる。
ここ何年もの間、連綿と繰り返され医療者のモチベーションを削いできた理不尽な医療批判の背景にあるのはおそらく、「まともな医療者」(として"悪者"と区別された想像上の存在)を守りたいという「正義感」(として自覚された漠然とした"熱い思い")であると思われ、だからこそ対処が難しいのだろう。
「クレーマーと同じだ」という反応を多数いただいたが、もっと言うと、誰もが潜在的に持つ正義感なのかもしれない。 「お前のために言ってやってる」「叱られるうちが花」などという台詞は大昔からある。 誰かを叱る前に、背景に自分の知らない事情があるのでは、と一度は疑ってみることが大切だろう。 twitter.com/keiyou30/statu…
定期的に紹介します。 私のサイトでは、各科の先生方からのご意見をまとめ、信頼できる一般向け情報サイトのリンク集を診療科別に作っています。学会・公的機関等が中心ですが、使いやすく、分かりやすいものばかりです。 医療・健康問題で困った時はググる前にご覧ください。 keiyouwhite.com/guideline-for-…
自分は時々、医療と関係のないことを意識的にツイートするようにしているのですが、それは医療に関わる話だけだと「医療に興味がある人」にしかフォローしていただけないからです。 情報発信を行う者にとって、「医療に全く興味がない人」にいかに気にかけてもらえるかは永遠の課題だと思っています。
避難所での感染対策について、災害対策の専門家への取材をもとに書いたYahoo!ニュース記事です。 「新型コロナウイルス避難生活お役立ちサポートブック」が更新されたことを受け、初回公開版から最新の情報に改訂しています。 ぜひご利用くださいませ。 news.yahoo.co.jp/byline/yamamot…
誰かが困っているのを知った時、「自分に何かできないか」「自分が何かしなければ」と思うのはごく自然なことではあるけれど、中には「何もしない」「座して待機」が最善の選択肢、ということもあると思う。 見切り発進で動く前に、一旦保留、情報収集。 これ簡単なようで結構難しいけど、大切。
「突然怒る人」って、実はそれまでに小さな怒りの蓄積があり「この程度ならいいや」とスルーしてきたのがついに限界を超えたというケースがあると思っていて、でも相手にとっては「突然」になる。 逆に「怒らない人」は、たぶん「感情を制御できる」というよりは小さな不快をスルーしない技術がある。
今は幼稚園児の息子、昔言葉をあまり話せなかった頃は、「本人は機嫌が悪いけどこっちは理由がよく分からない」みたいなことが頻繁にあったけど、最近になって言葉をたくさん覚えた結果、機嫌が悪い時に「何かが満たされない」と言うようになった。 結局、言語化できない不満を抱えていた。
坂本先生の取材記事です。 『アメリカ小児科学会も、「子ども、そしてできる限り10代も水害後の清掃には関わるべきでない」とし、「清掃されていない場所には、子どもは近づけないようにすべき」と呼びかけています』 周囲の大人と報道機関が知るべき内容と思います。 buzzfeed.com/jp/sumirekotom…