医学の歴史において、期待された薬や技術が数々の研究を経て「益が少なかった、害の方が大きかった」と後から分かる、という事例が数え切れないほどあったことを知っている人なら、ある薬や技術に対する期待が大々的に報道される時は、かえって慎重に、むしろ懐疑的になるのではないかなと思います。
Yahoo!ニュースで新しい記事を書きました。 パルスオキシメーターの生みの親、青柳卓雄さんが逝去されました。 医療現場に必要不可欠で、そしてとてつもなく利便性の高いこのツール。まさに世界に誇る大発明と言えます。 「なぜすごいのか」を簡単に解説しました。 news.yahoo.co.jp/byline/yamamot…
すでに言及している人は多そうだけど、ここに来て「おじぎ」という手法の利便性を痛感している。会話が不可能なほど距離が離れていても、相手が視界に入っていさえすれば無言で挨拶を交わすことができ、かつ丁寧な印象すら与えられる。 近距離で密接しないとできない挨拶だと今の時期はやはり辛い。
COVID-19に関わる皮膚症状について、皮膚科医の視点から大塚先生が解説されています。 こうした知識が全くないと、症状に戸惑って慌てて受診してしまうかもしれません。知識を持っておくことは、不安を軽くする意味でとても大切だと思います。 twitter.com/otsukaman/stat…
大須賀先生もおっしゃる通り、著名人の病気に関する報道は頻繁にありますが、たいてい詳細が分からないため、医師の立場から見ても何かを判断、解釈することはほとんどの例で不可能です。 こうした情報の接し方に関して以前書いた連載記事を紹介します↓ medical.jiji.com/topics/793 twitter.com/SatoruO/status…
多くのトンデモは「わからずや」によってなされるのではない。大半は「分かってやっている」のである。 やっているうちに支持者が集まり、自分でもどこまで嘘かが分からなくなる。そのうち、真っ当な批判をしてくれる人が公益を損わせる敵に見え、「正義感」のもとに戦い始める。恐ろしいことだ。
トンデモ治療やトンデモ検査は無数にあるけど、こういうものに誰もが見向きもせず、倫理観の欠如にうんざりし、「消費者が想像以上に賢かったこと」を売り手が思い知り静かに手を引くような、そんな世界が来ればと思う。 実現は無理でも、少しでも多くの人が科学的に妥当な選択ができるようになれば…
もうお読みの方も多いと思いますが、忽那先生が書かれた大切な記事です。 現場で数々の感染症を最前線で診療してきた感染症専門医の意見に耳を傾ける方が増えることを切に願います。 news.yahoo.co.jp/byline/kutsuna…
「Aは間違いですよ」という指摘に対し、「もしBならAじゃないか」というようにBという仮説を持ち出して反論し、さらに「Bという仮説が成り立つ根拠はない」という指摘に対し、「CならBは成り立つ」という新たな仮説Cを登場させる、という論法を時々見ますが、あまり意味のない議論だと思います。
耳鼻科医ひまみみ先生のご解説もここにぶら下げておきます。 twitter.com/ent_univ_/stat…
これは本当にそうで、患者さんによって鼻の穴の形も微妙に違い、奥まで入れるのに苦労する人もいます。 きちんとした手法で行われた検査でないと、結果には何の意味もなくなってしまいます。 twitter.com/SaitoSeiji/sta…
大須賀先生たちが大変重要な情報を訳してくださっています。 がんを治療中の患者さんにとっては、毎日本当に不安が大きいと思います。ぜひ参考にしていただければと思います。 twitter.com/SatoruO/status…
批判された時にまず「自分が間違っているのではないか」と一旦我が身を振り返る人と、まず「相手の方が間違っているのだろう」という考えから入る人がいる。 後者のタイプで、かつ間違いをおかさないよう勉強を重ね必死で努力を続けてきた自負を持つ人だと、なかなか修正が効かないように思う。
今世の中は、みんなのために何かしたい、何か言いたい、という想いに溢れている。このこと自体は尊い。 しかし「何もしない何も言わない」「詳しい人に全部お任せ」が最善の選択肢であることをよく理解している人たちもいる。この辺りの立ち位置、バランス感覚は大切だろう。
感情的な言葉が踊る文章は、時に人の心を打つのだけれど、煮えたぎる思いを理性と知性で冷えた文字列に昇華させ、読み手に「感情的だ」とは決して思わせないように、しかし溢れる感情は確かに伝わるように、そういう精緻な心配りで書かれた文章の方がむしろ心を動かされるし、書きたいとも思う。
もし科学者が各方面の利害に配慮して科学的に正しい知見を発信できなくなったら、そこで科学の歴史は潰えると思います。 科学が非科学的なものによって歪められてはならない。
現在YouTubeの感染症学会公式アカウントでライブ放送中です。 どんな番組よりも安全かつ有用な情報かと思います。 twitter.com/syutoken_sanka…
前にもつぶやいたけど、Twitterの楽しさって、好きなアニメとかゲームとかスポーツとか音楽とかを「好きだ」と宣言する人に「私も好きだ」という人たちが同じ熱量で集まる様子を見る瞬間だと思う。 たとえ自分の全然知らないものだったとしても、その瞬間に居合わせることそのものに幸せを感じられる。
『新型コロナウイルスに効くとうたって漢方薬の売買契約をした』 『1人暮らしの80代女性宅を訪れて漢方薬の売買契約を結んだ』 この手の話は無数に出てきます。 ご高齢のご家族がいらっしゃる方は特にご注意を…。 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200416-…
この種の人は、一定数の支持を得て自分のポジションを守れるなら「自らの発信が正しいか誤っているか」については特に興味はない。 だからこそ、たまに正しい。 「誤っていること」そのものよりも、「正確性に対する関心がないこと」が罪深いと思う。
「公益のために正確な情報を発信すべき」と考える人から見れば、少し調べれば容易に誤りと分かるようなデマの発信が謎で仕方ないのだが、実は「一定数の支持を得るためなら誤りを承知の上で誤情報を発信できる人」は必ずいて、誤りを指摘されても絶対に撤回しないのは「そんなことは百も承知」だから。
時事メディカル連載 病院で医師に不満を感じた、という体験談をSNSでよく見ます。確かに医師の落ち度が実際あったのかもしれません。 しかし、第三者が限られた情報をもとにこうした怒りに共感し、投稿を拡散するのは危険だと感じることもあります。 その理由を書きました。 medical.jiji.com/topics/1612
Twitterに疲れてしまった人は容赦なくTwitterに触れる時間を減らすといいと思います。寝る前にサクッと見るくらいでいい。 Twitterにどっぷり浸かっていると、さもこれが世界の全てかのように錯覚しますが、外から見ればほんの小さな世界です。心と時間の多くを割いて疲れるなら割りに合いません。
何かを真剣に学んだことのある人は誰しも「分かったような気になるフェーズ」の存在を知っているし、その後に「無知を自覚し "分からなさ"を思い知るフェーズ」が来ることも知っている。 ゆえに、ある分野を極めた専門家は、自分の知らない領域の専門家を見下したり馬鹿にしたりはしないものである。
ウェブメディアの連載記事などで「必ず出典をつける」ということをひたすらこだわって続けていると、初稿で出典の記載が抜けていた時、編集者から「ここには出典を記載する必要はありませんか?」と聞かれるようになる。 これは、とても重要なプロセスだと思う。