とても厳しく苦しい現場で働いていた研修医の時期をふと思い出すと、不思議と今でも尊敬できる先輩といえば、能力が高い人よりむしろ「どんなに忙しくてもテンションが安定している人」だった。 厳しい現場ほど、「機嫌の良し悪しがなく浮き沈みがない人」がチームの心理的な柱になってくれる。
今日の #SNS医療のカタチONLINE で志賀先生からお話のあった「喉にものが詰まって窒息している人のサイン」です(東京消防庁HPより引用)。 窒息している人自身は「窒息しています」とは言えません。 このサインを知っておくことは大切。 youtu.be/TwFv5uQC2Vw
Yahoo!ニュースで新しい記事を書きました。 子どもの誤飲に注意を! 水と接触することで多量に吸水し、自重の100~1000倍に膨らむボール。誤飲による腸閉塞や小腸穿孔(小腸にあながあく)の例の報告もあります。 個人的に実験もしてみたので参考にしてみてください。 news.yahoo.co.jp/byline/yamamot…
日循は本当にすごい。SNSを利用した広報の仕組みをいち早く確立し、各種学会の中で圧倒的に最先端を行く。 歴史ある組織で新しいことを始めるのは、半端なく大変なことだと思う。 中心となった先生方は学会におけるTwitterの意義について論文発表もされていて、綿密な計画がなされたのだろうと思う。 twitter.com/JCIRC_IPR/stat…
これはすごいコラム…。 文房具好きの語りが始まるのかと思いきや、話はうねるように展開し、最後は一つの熱い想いに収束していく。 これほどに長い文章が、心地よいリズムのおかげでぐんぐん読めてしまう。 note-pentel-sharppen.jp/n/nebd859259950
大人のトライアスロンの大会だと、冒頭にある代表者的な人の挨拶は「最後までやり抜こう」ではなく、「やばいと思ったら棄権せよ」「あきめる勇気を持て」であることが多いように思う。 参加者が無理をして健康を損なわないよう、最後までやり抜くことだけが美徳ではない、とあえて釘を刺す。
昔から学校では、「最後までやり抜くこと」「あきらめないこと」が大切だと教わってきたけれど、大人になって気づくのは「いかに上手くあきらめるか」も大切だということ。 合わないと思ったら手を引く、向いてないと思ったら方向転換、こういう「器用な撤退」ができる人はストレスが少ない。
他人を激しく攻撃できる人は、自分が攻撃されてもそのことを短時間でサクッと忘れられる人なのだと思う。 攻撃されたことを長く引きずって辛い思いをするような人なら、他人に同じ思いをさせたくないと思うものである。
今日の西先生(@tonishi0610)先生のお話は、根本的には医療に関わるあらゆる話に通じることだと思います。 「グレーなものをグレーなまま受け入れること」が苦手な人は多い。 私だって領域が違えばそうです。 twitter.com/keiyou30/statu…
知人や親戚から頻繁に「病気が治ったかどうか」を問われて困る、と患者さんに相談されることがあります。 病気の勢いを抑えながら治療を続けつつ付き合っていく病気はむしろ多く、その場合、どこかでスッキリ「治ってしまう」わけではありません。 「治る」という言葉の使い方に注意が必要です。
これはとにかく毎年拡散したい話。 ポスターにもあるように、映画やテレビなどによって刷り込まれた「子どもがバシャバシャと溺れるイメージ」は一切忘れて、「子どもは音も立てず静かに溺れる」という知識を上書きしてほしいです。 twitter.com/oshietedoctor/…
大学入試までの各教科の勉強が「実はそれぞれの学問のほんの入口部分で終わっていて、その先に広大な世界が広がっている」ということに気付かせてくれる先生は少なかったように思う。 受験までの苦しい勉強を乗り越えれば何かが完成する、と思い込んでいたことに気づいたのは受験の後だった気がする。
#アンサングシンデレラ 第2話を見た方にご覧いただきたいページです。 (自著「医者と病院をうまく使い倒す34の心得」より) 医者も薬剤師も上手に「利用」することが大切、特にこの知識は薬剤師に聞いてみるのがオススメです。 ちなみにこの本は薬剤師の児島悠史先生に監修いただきました。感謝…!
私が以前一緒に働いた優秀な病棟薬剤師(私の新書の監修をしてくれた方)も、患者さんのことは何でも知っていて、患者さんからも医師からも信頼は厚かったが、淡々と仕事をこなすイメージで、患者さんと適度な距離を保てる人だったと思う。 ドラマの主人公にすると、たぶん物足りないんだろうなと思う。
ただし、このスタイルを唯一の理想像として描いているわけではない点も共通していて、「そんなに患者に近づきすぎるなよ」と主人公に忠告するドライ系同僚キャラが必ず登場する。 実際にも、患者さんから信頼の厚い医療スタッフはむしろ「患者さんと適度な距離を保てる人」であることが多い。
医療ドラマには色んな類型があるが、主人公になる医療従事者が「患者さんとの心の距離がかなり近い(近すぎる)人」として描かれるパターンが割と多い。 この傾向は今クールの #アンサングシンデレラ もそうだし、ラジエーションハウスやコウノドリなど、硬派なマジメ系医療ドラマに見られやすい。
今日はどうしても自慢したいことがある。 大学構内の一番大きな書店に、「京大的作家」という、それはもう"濃すぎる"コーナーがある。 このそうそうたる色紙たちの中に、今日私の書いた色紙が加わった。 本当におこがましいけれど、ここに自分の本が並ぶことこそが、学生時代からの夢だった。
無症状の感染者はどこにいるか分かりませんし、常に感染対策が必要であることに変わりありません。 「本来自分に必要のない情報」とか「正誤を知る必要のない(正誤が誰にも分からない)情報」を何とか知ろうとして、そして「知らせてもらえないこと」に不安を感じてしまうのは割に合わないと感じます。
今朝の #あさイチ のテーマが医療情報で私が少し出演したのですが、視聴者から「市が感染者情報について住んでいる区すら公表してくれない」というお便りがありました。 「病気に関する個人情報は公表されるべきでないし、そもそも公表されてもされなくてもやるべき感染対策は同じ」とお答えしました。
ファクトフルネスの著者ハンスロスリング氏が講演で、アフリカ諸国の経済や教育、医療の目覚ましい発展についてデータをもとにファクトを明確に示したのを、聴衆の一人が全否定して「自分は仕事でアフリカにいたことがあるから分かる」と言ったというくだり、似たような話を本当に色んな所でよく見る。
もしかして、自分が外科系の医療ドラマを見る時のちょっと微妙な気持ちって、銀行や証券会社の方が半沢直樹を見る時の気持ちに似ているのだろうか。
忽那先生の分かりやすいYahoo!ニュース記事です。 『今の重症患者数は、1-2週間前に発症した患者のうち一定のハイリスク集団が重症化した数を見ているもの』 『重症者数が増えた時点で対策を始めても、そこから1-2週は重症者数は増加を続けるためすぐに効果は現れません』 news.yahoo.co.jp/byline/kutsuna…
「自分の意見を一切曲げるつもりはない」という人と言い争うのは精神的にも時間的にもコスパが悪すぎると思う。 「自分が正しいと思ってはいても、相手の意見を聞いて誤りに気づいたら考えを修正する」という人としか議論は成立しない。人生、他にコストを割かねばならないことはたくさんある。
保険外のがん治療に数百万円をつぎ込もうとしている知人がいて、十分な理解があっての決断であってほしいので、ひとまず #SNS医療のカタチ の大須賀先生の動画を見てほしいと伝えたらすっかり気が変わったということがあった。 しんどい時は文字より動画の方が情報が入りやすいかもしれない。
一般論として、外科領域において技術の進歩がもたらしたのは、「手術できなかったものが手術できるようになったこと」よりむしろ、「昔は”何でも手術”だったのが、手術以外の治療が最善であるケースを高い精度で識別できるようになったこと」と、「同じ手術が少ない負担できるようになったこと」です。