時事メディカル連載 私が医師になる前のこと。病院に行く日に限って症状が良くなってしまい、「一番ひどい時を見てほしかった…」と残念に思った経験があります。 でも実は「良くなっている」という経過そのものも重要な情報なんです、というお話です。 medical.jiji.com/topics/2194
激しい怒りを誘うような情報や、意外性のある情報を見ると、人は「拡散したい気持ち」に抗えなくなるものです。たとえそれが明らかなデマであったとしても、目が曇って嘘を見抜けなくなります。 とにかく根拠のない情報に騙されないようにと、常に常に注意しておくことが大切です。
SNSでは、本当に根も葉もないデマがよく拡散します。医療に関するデマは、たった1回のリツイートが誰かの健康を傷つけるかもしれません。 その情報に根拠はあるのか。一旦立ち止まって考える必要があります。鵜呑みにして拡散する前に。 嘘を嘘だと見抜く力が必要です。
昨日の市民公開講座、未視聴の方はぜひYouTubeのアーカイブでご覧いただけたら嬉しく思います。 米エモリー大学小児感染症科、およびCDCにも所属され、ワクチン関連の仕事に世界最前線で携わられている、信頼できる専門家、紙谷先生のご講演でした。 今まさに必要な情報だと思います。 twitter.com/SNS41010441/st…
知念先生も以前おっしゃっていたけど、エビデンスに基づく正確な情報発信をしてもお金は儲からないし、それどころか多くの活動は手弁当なので赤字になってしまう。 一方、我流の健康法を広めたり、独自の思想やデマで信者を集める活動は、お金儲けにつなげやすい。 残念だけど、これが現実。
たとえ大きな誤解であったとしても、他人の信じるものを決して真正面から否定してはいけなくて、なぜそれを信じたのか、その背景にどんな不安があるのか、ゆっくり時間をかけて話し合うのが大切だと思う。 家族や親友など親しい人が相手のときほど、むしろ慎重さが必要になる。
デマを信じ込んでしまった人に対し、「懸命に説得すれば改心させられるはず、何とか救いたい」という強い善意で真正面からぶつかって行くと、かえって誤った信念が強化され、人間関係も悪化して取り返しのつかない事態になることがある。 「話せば分かる」と考える、正直で誠実な人が陥りがちなこと。
自分は昔から一人で食事をするのが割と好きな方なのだけど、その最大の理由は端的に「味に集中できるから」で、複数人だと誰かに気を遣ったり、会話に熱中しすぎてあまり味を覚えてなかったりすることすらあるので、一人飯のメリットは実は結構大きいと思っている。
このような経緯で、信じられないほど思考が偏ってしまった方の発言をSNS等で見ることがあるけど、これは何もその方が悪いわけではなく、誰しも「詳しくない分野」では陥りうる事態なのだと思うし、いつも警戒しているのが得策だと思う。
自分も経験があるけど、何か不安や疑問があって情報検索する時、無意識に「自分の考えを補強してくれる答え」を懸命に探してしまう。これが怖いのは、その「答え」にたどり着いた時の安心感や心地良さがとてつもなく大きいために自説の誤りに気付けず、坂道を転がり落ちるように思考が偏っていくこと。
時事メディカル連載 多くの病院で、新型コロナの影響による面会制限が長らく続き、手術後にご家族が患者さんと容易に面会できなくなっています。手術を行う医師としても、これは本当につらいことです。 medical.jiji.com/topics/2145
自分は「知らなくて当然」の地雷を踏んだ後輩を怒るようなことは決してしたくはないので、この種のローカルルールには努めて自覚的でありたいと思っています。
職場に入った新人さんにとって最初辛いのが、明文化されていないローカルルールを気づかず違反してしまい、予期せぬ叱責を受けるという経験。 職場に長くいる人ほど、我が身に染み付いたローカルルールに気づいていません。「初見なら知らなくて当然」であることに案外気づけないものです。
「ソースが付いていれば正確性も自分で確認できる」 これは大切なことですね。 科学的な情報において出典を明示することは「正しさの証明」ではなく、「どのくらい正しいかを第三者が検証できるようにする手段」であって、そこでようやく議論の入り口に立てるのだと思います。 twitter.com/ent_univ_/stat…
SNSでデマが拡散している時、リプ欄には必ず「真実に目覚めた人」がいる。これが最も危ない。 真実というのは、生涯をかけてわずかでも近づこうと努力し続ける対象であって、ある瞬間に「目覚める」ようなものではない。
「専門家から聞いた話では」「ある情報筋によると」「最新の研究によれば」といった枕詞は、ソースが明示されない限り、その情報の信憑性を全く保証しない。 不思議と信じてしまう人は多いのだが、ソースがないならむしろ積極的に疑いたくなるほど「分かりやすく怪しい」と思う。
「今日も家族が生きていた」というのは実は尊いことで、「私が今日を無事に終えられる」ということもまた当たり前ではない。 これは繰り返し言い続けたい。
時事メディカル連載 週刊誌やネット記事などでよく見る、「この薬は飲んではいけない!」を信じて必要な薬をやめてしまい、病気を悪化させてしまう方がいます。 本来、薬をやめたり中断したりするには細心の注意が必要です。 medical.jiji.com/topics/2109
いい小説を読んだり、いい映画を見たりした後、「登場人物たちが今もあの世界で楽しんだり苦しんだりしているのに自分だけはもう二度とその世界で彼らに会えない寂しさ」が尾を引いて、しばらく余韻に苦しめられるという経験がある。いい作品ほどこの種の「苦痛」があるなあと、よく思う。
一見すると説得力のある批判の中にも、知識不足が垣間見えるものは多い。 「〇〇してから言え!」(→もうやってる) 「〇〇もきちんと考慮しろ!」(→もうしてる) 「じゃあちゃんと報告しろ!」(→してる) みたいなケースは割とよくある。 怒る前にまず冷静に情報収集、ってとても大事。
「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ」というのは川端康成の言葉。自分のできることを、気負わずコツコツやっていく。きっとそのくらいがちょうどいい。
知識が豊富で信頼できる専門家ほど安易に白黒はっきり断言しないものだが、そうすると、いわゆる著名人やインフルエンサーの端的で分かりやすい断言に「もやもやが晴れました!」とか「よくぞ言ってくれました!」のような反応が殺到するのもやむを得ないのだよな……というのは昔から思っている。
今日の #いどばた でも話題にあがった、医療情報のネットパトロール。 ウソや大げさな表示、不適切な表現、「医療広告ガイドライン」違反を見つけたら、このサイトから通報できます。 ネットを安全なものにするために、広く知られてほしいです。 iryoukoukoku-patroll.com
一般論として「感じの悪い人」と関わるのはしんどいことではあるけど、「感じ良く振る舞うのに必要な労力は人によって違う」ということを知っておくと少しおおらかに過ごせるとも思っている。 「感じ良く」するのにほとんど労力ゼロの人もいれば、ものすごく労力を要する人もいる。人それぞれ。
「辛そうじゃない人」を「頑張っていない人」だとみなす考えは、運動に限らず、様々な場面でよく見てきたように思う。 でも努力してしっかり結果を出している人ほど、余力があったり努力の過程を楽しんだりしているから、たいてい「辛そう」ではない。