Twitterを定期的に見る習慣があると、「少し見ないうちに話題についていけない!」みたいなことが起こるけど、さらにもう一段階見る頻度を落とすと「ついていけてないことに気づかない」という段階に達し、それが割と楽だったりする。たぶん世の中には「知らなくても困らない話題」が結構多い。
全く同感です。 単に子供向けの番組が多いチャンネルというだけでなく、一つ一つのクオリティがものすごく高く、センスも光っている。 そして、この価値は当事者である子供の頃には気づかない。大人になってから気づく。それがまたいい。 twitter.com/ryoinalf/statu…
もちろん治療選択は個人の自由で、第三者が口を挟む権利は全くない。ただその選択は「十分な情報が提供された上でなされたものであってほしい」という強い願いがある。 例えば、代替療法を行うと(標準治療との併用でも)予後が悪くなるというエビデンスなど、以下の本が分かりやすいのでオススメ。
昔は「相手の身になって考えよ」という一種の呪縛に囚われていた時期が確実にあったのだが、「相手の身になって考えても”しばしば分からない”(だって違う人間だから)」というところまでセットで理解しておくのが大事と気づいてからは、多少生き方は楽になったと思う。
人は信じたいものを信じる。 自分が持っていた何かへの怒りや妬みを代弁してくれて、信念を補強してくれる言説は、それが科学的に正確かどうかを判断する前に「拡散したいという気持ち」が勝ってしまう。 いかに私情を退け、冷めた頭で科学的に物事を考えられるか。 医療デマの拡散は人の命を奪う。
「41歳会社員、傷害容疑で逮捕」 「肛門付近に、業務用の空気圧縮機をズボンの上から押しつけて空気を注入する暴行を加え、負傷させた」 この種の外傷は本当に多い。人工肛門造設を伴う大きな手術になることもあるし、命に関わる。 あまりにも危険な行為だと知ってほしい。 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200307-…
今日はどうしても自慢したいことがある。 大学構内の一番大きな書店に、「京大的作家」という、それはもう"濃すぎる"コーナーがある。 このそうそうたる色紙たちの中に、今日私の書いた色紙が加わった。 本当におこがましいけれど、ここに自分の本が並ぶことこそが、学生時代からの夢だった。
熱中症で50〜90代の男女14人が死亡、うち13人は屋内。8人はエアコン使用なし。 熱中症で来院されたご高齢の方に話を聞くと、 「熱中症のことはよく知っている」 「でもエアコンは体に悪い」 「自然な風に当たる方が元気になれる」 と話す方が結構いる。 悩ましい問題。 www3.nhk.or.jp/news/html/2020…
新しく研修医になる皆さんに伝えたいのは、 「医師だけでできる医療行為はほとんどない」ということです。 何をするにも、誰か他のスタッフに協力を依頼することになります。それは全てその「誰か」の時間を奪う行為です。 事前の打ち合わせと時間の調整は必須。熱い想いだけで仕事はできません。
「批判すればするほどサービスの質は向上する」と思っている人が一部にいるように思う。それどころか「ひとたび批判の手を緩めればサービスは劣化するぞ」という焦燥に近い空気を感じることすらある。 当人にとって「市民代表として批判し続けること」は紛れもない善行で、正義に他ならないのだろう。
ネットで情報発信を始めて3年以上経つ。始めた当時、ネットの医療情報は今とは比較にならないほどひどかった。 「肩こり」と検索したら、1位に「幽霊が原因」と書かれた記事が出た。嘘ではない。本当の話である。ほんの3年前の話だ。 なぜか「自分が何とかしないと」と奮い立ちウェブサイトを作った。
批判された時にまず「自分が間違っているのかもしれない」と考え、一歩引いて客観視する、他の人の意見を参考にする、という行為はそれなりに痛みを伴うし、その痛みは歳をとるごとに増していくのだろうなと思う。少なくともそう自覚して「備えておく」ことは大切だと思っている。
いわゆるトンデモ医療をひとたび信仰してしまうと、科学的根拠のある医療がいかなるものかを理解していただくのは本当に難しい。とても頭のいい人でも、「ここだけは譲れない」という科学を超越した信仰のようなものは、本当に覆らない。 とにかく病気になる前から関心を持って情報収集するのが大切。
#フェイク・バスターズ では扱われていませんが、個人的には「新聞に掲載された書籍の広告」も相当大きな問題を孕んでいると思います。 新聞に載っていたら信頼できそう、と考える人は少なくありませんが、むしろ科学的根拠の乏しい本が非常に多いのが新聞広告だと思います。 diamond.jp/articles/-/307…
以前の同僚、読書は嫌いだけど漫画は大好きで、誰にも負けないほどに大量の漫画を読んできた、と豪語していたのだが、何せ語彙力や知識がとてつもなく豊富だった。 結局、媒体を問わず「言葉を夢中で追う経験」がもたらすものはやはり大きいのだな、と実感した記憶。
たとえ大きな誤解であったとしても、他人の信じるものを決して真正面から否定してはいけなくて、なぜそれを信じたのか、その背景にどんな不安があるのか、ゆっくり時間をかけて話し合うのが大切だと思う。 家族や親友など親しい人が相手のときほど、むしろ慎重さが必要になる。
リスク管理の観点では、「ミスが起きないよう気をつける」とか「問題が起きないよう注視する」は「対策」にならないんですよね。ヒューマンエラーはゼロにできないので。 人命に関わる場合などは特に、「エラーが起きても有害なトラブルにはつながらない仕組み」が必要。
仕事柄、人体に起こる「不可逆的な老化」を日々実感する。たとえ健康な人でも、何十年と使い古した体にはダメージが確実に蓄積していて、その多くは「元通り」には回復しない類のもの。少しずつ一方向に摩耗する。 常に「今の若さ」だからこそできることがあるのだと痛感する。今を大切に。
前にも書いたのだが、誰かの発言を批判するなら、 「その発言の裏に自分の思いもよらぬ配慮とか思惑があるのではないか」 と一度は疑ってみた方がいいと思う。 たいてい相手も呆れて嘆息するのみで「理解の浅さ」を丁寧に指摘してくれるとも限らないし、結局反射的に浅い批判を続ける羽目になる。
自分や家族ががんになり、何とかしたい一心で「金に糸目をつけない」と強く決意し、科学的根拠のない治療に次々とのめり込んで高額を費やす人は多い。 国民皆保険のある日本では「効果の確かな治療ほど安い」という事実は大切。 貴重なお金と時間は、真に心身を豊かにするものに注いでほしいと思う。
これ本当に重要なので、ぜひ知っていただきたいです。 ただ、こういう商品は、効果を強く信じている方に対してその行為を否定すると不快な思いをさせたり強く反論されたりすることもあり、指摘が難しかったりします。 テレビなどで繰り返し注意喚起されれば変わるかもしれませんが…。 twitter.com/cutetanaka/sta…
医学は「白か黒かはっきりしないこと」ばかりですが、厳密な臨床試験を経れば「白か黒かどちらかになる」わけでもありません。 「ある医療行為が妥当と判断できる程度に白寄りになるか、許容されない程度に黒寄りになるか」です。 テレビや新聞でも、ぜひこういう話を繰り返し伝えてほしいです。
昔を思い出すと、仕事中一緒にいて最も心理的に安心感があったのは「今日は機嫌がいいか悪いかを気にしなくていい先輩」だったから、後輩が増えたいま自分も気をつけている。 人の気分なんて当然一定ではないものだが、その浮き沈みが周囲にネガティブな影響を与えないよう制御するのが大人だと思う。
家族とはあんまり喧嘩しない方がいいよなあといつも思っていて。次会った時に謝ろうと思っても「次」はもうないかもしれないし、その時の後悔は計り知れない。 人の命は全く予期しない形で突然にして失われる。決して少なくない頻度で。この仕事をしているとよく分かる。
心がしんどい時は趣味を楽しんでリラックスしよう、みたいな話はよく言われるけど、「趣味を楽しむ」ためにはむしろ心にそれなりの余裕が必要だと思う。 心にゆとりがある時に、その時間の質を高めてくれるのが趣味である気がする。