自分が「やさしい医療情報発信」にこだわるのは、かつて強い言葉で発信して激しく非難や中傷を受けた時、『情報発信にこういう反発はつきものだからこれに耐えるメンタルが必要だ』なんて言うなら決して後進は続かないと思ったから。 後輩が「やってみたい」と思ってくれるような手法を考えたかった。
読書が苦手な人は「読書とは書いてあることを全て理解するものだ」と考えがちのように思うけど、実は読書家でも本を隅々まで理解できることはたぶん多くなく、「理解できるところだけサラッと読み、いつかこれを理解できる日が来るのだろうかなどと思いながら終える読書体験」もあっていいんですよね。
以前から何度か同じことを言っているのですが、有能な人は「実はもう1人か2人影武者がいるんじゃないか」というくらい何でもできます。 何か一つに熱意を注いで結果を出し、それに多大な時間を割いている(ように見える)人が「それ以外に使える時間は少ないはずだ」と考えるのはよくある誤解です。
研修医の頃に「医師免許見せろや!」と凄まれたことがあり、医師免許は表彰状っぽいA3の紙だから誰も持ち歩いてないという話をツイートしたら、 「そういう時に備えて縮小コピーを名札の裏に入れている」「写真をスマホに入れている」 という反応をいただいたのを思い出した。 後輩の皆様ご参考に…。
高山先生の非常に重要な記事です。 致命率の考え方、比較する時の注意点、私たち日本人がこれから必ず防がねばならないことを分かりやすく解説してくださっています。 「もっとも大切なことは、医療崩壊を起こさないことです。すなわち、患者数を急速に増大させないこと」 m.huffingtonpost.jp/entry/story_jp…
趣味も、「楽しむ技術」みたいなものはやっぱり「習得する」必要があって、身体機能の落ちた老後だとそのコストはぐっと大きくなる。 心身ともに柔軟な若い頃こそ、あれこれかじって一人でできる趣味を増やせるチャンスだと思う。
もし科学者が各方面の利害に配慮して科学的に正しい知見を発信できなくなったら、そこで科学の歴史は潰えると思います。 科学が非科学的なものによって歪められてはならない。
「食事しながら話す」というのは実はすごい技術で、咀嚼、嚥下、発声、呼吸という複雑な動作を口という単一の器官のみを使って同時に行う。 「むせる」とか「食べ物が口からこぼれる」とかが”たまにしか起こらない”のは奇跡とすら思えるし、高齢になるとこの複雑な動作が難しくなるのも自然に思える。
Twitterでもテレビでも、何かをきっかけに大勢が誰か一人をひたすら叩き、憎む様子をよく見るけど、そもそも直接会ったこともないような他人は本来「嫌いになれない」ものだと思うし、全く見知らぬ人を嫌いになった時は、嫌いになってほしいと願う誰かの術中にはまっている恐れがあると思う。
以前、ことあるごとに反医療的な発信を繰り返すメディアの方とお話ししたことがある。 その真意を問うと、「医療界に巣食う悪を駆逐したい。善良な医者の助けになりたい」と善意に溢れ、驚いたことを覚えている。 正義感に突き動かされた時ほど、視野を広げ、自身を客観視しなければと実感した経験。
SNSなどで一般にウケやすい発信者の特徴として、「物事を単純化するのが上手い」という点が挙げられる。単純に見せれば納得感を与えやすく、支持も得やすい。 一方、複雑な知見を正確に解説しようと骨を折る人は、誠実なのに「なんか分かりにくい」と敬遠されやすい。悩ましい問題。
SNSで情報の海に溺れてしまう人も多いので、宇野さんのおっしゃる「みんなTwitter見過ぎじゃないか」は一理あるとは思います。 一方、自分の観測範囲に限ると、Twitterで情報収集できる人の情報リテラシーはむしろ高い印象で、逆にテレビや新聞のみが情報源、という人が少し心配だったりもします。
学生の頃、初の手術見学で驚いたのは、ドラマのように外科医が「メス!」と言い放つのではなく、「じゃあメスくださーい」と言ったことです。そして実際の手術はドラマより地味で淡々と進み、安全に遂行される。 あの「脱力感」に、プロとしてのカッコ良さを感じたものです。 diamond.jp/articles/-/286…
知識が豊富で信頼できる専門家ほど安易に白黒はっきり断言しないものだが、そうすると、いわゆる著名人やインフルエンサーの端的で分かりやすい断言に「もやもやが晴れました!」とか「よくぞ言ってくれました!」のような反応が殺到するのもやむを得ないのだよな……というのは昔から思っている。
一般論として「感じの悪い人」と関わるのはしんどいことではあるけど、「感じ良く振る舞うのに必要な労力は人によって違う」ということを知っておくと少しおおらかに過ごせるとも思っている。 「感じ良く」するのにほとんど労力ゼロの人もいれば、ものすごく労力を要する人もいる。人それぞれ。
医療ドラマには色んな類型があるが、主人公になる医療従事者が「患者さんとの心の距離がかなり近い(近すぎる)人」として描かれるパターンが割と多い。 この傾向は今クールの #アンサングシンデレラ もそうだし、ラジエーションハウスやコウノドリなど、硬派なマジメ系医療ドラマに見られやすい。
分からないことをすぐに調べる習慣のある人と、そうでない人との「蓄積された知識量の差」というのは、年を経るにつれてとてつもない大きさに膨れ上がっていく。 ほんの数十秒を面倒くさがらず、細かな疑問をその場で退治していくことが大切だと思う。
些細なことを根に持っていてお恥ずかしいのですけど、小学校の教師にみんなの前でお尻を思い切り叩かれたことは、その強烈な羞恥心もセットでいまだに覚えていて、だからたとえ小さなものでも「暴力」というのはほぼ一生、心に残るものだと思っています。 手を上げたが最後、誰かに消えない傷を残す。
『すばらしい人体』が好評をいただいており、7刷16万部となりました。 この本は、カバーを取るとデザインが変わる装丁や、図鑑の付録のようなジャバラ、末尾の読書案内など、全てを通して幸せな読書体験を届けたいという思いで作られています。 ぜひ年末年始のお供にご利用くだされば幸いです😊
人間関係にストレスを感じやすい人は、「ここは自分が担わなきゃ」と過剰に考えてしまう傾向があるように思う。 逆に「任せておいても "なるようになる"」と考える人のストレスはとても低い。 そして大体 "なるようになる" のだ。
ウェブメディアの連載記事などで「必ず出典をつける」ということをひたすらこだわって続けていると、初稿で出典の記載が抜けていた時、編集者から「ここには出典を記載する必要はありませんか?」と聞かれるようになる。 これは、とても重要なプロセスだと思う。
新刊のお知らせです。 人体の仕組みから医学の歴史まで、学校では学べない医学の面白い話を分厚い一冊に詰め込みました。 きっと楽しい読書時間をお届けできると思います。 ぜひご覧ください! amzn.to/3skWVgM
たとえ正しいことを言っていても、言葉が汚かったり、侮蔑的だったり、皮肉に満ちたものだったり、誰かを傷つけるものだったりすると、その言葉は当然届けたい相手に「届きにくい」だろうし、丁寧に言葉を選ぶ方がお得だ、とは思う。たぶんコストに見合った効果も得られやすい。
『人工呼吸器とは「肺が頑張れないと他の臓器に支障が出るから、肺を傷めながらなんとか働かせる機械」』 まさに。分かりやすい説明です。 そのマネジメントは、医師の中でもかなり専門性の高い領域。 twitter.com/mph_for_doctor…
何かができない原因を安易に「意志が弱いこと」に求めると、「強い意志を持つべき」みたいな身も蓋もない解決策しか出てこなくなる。 でも本来「意志を鍛える」なんて最も難度の高い取り組みで、むしろ習慣とか環境とか仕組みとか「意志以外の要因から潰していく」方が効果的だと思う。