完全に私見だが、人間関係において、相手の気持ちを「がんばって読もうとする人」と「全く読もうとはしない人」がいるように思っていて、前者の人は、相手のふとした発言、表情、メールの文面等からひたすら背後に隠れた感情を読み取ろうとする。 で、それは無意識なので気づかないうちに疲れている。
感染症専門医、忽那先生がYahoo!ニュースで新型コロナ関連のおすすめリンク集を公開されています。 超有用です。 『感染症は間違った情報が独り歩きしやすく、テレビのワイドショーの言うことを鵜呑みにするのではなく、ご自身で正しい情報にアクセスすることが大事です』 news.yahoo.co.jp/byline/kutsuna…
すでに言及している人は多そうだけど、ここに来て「おじぎ」という手法の利便性を痛感している。会話が不可能なほど距離が離れていても、相手が視界に入っていさえすれば無言で挨拶を交わすことができ、かつ丁寧な印象すら与えられる。 近距離で密接しないとできない挨拶だと今の時期はやはり辛い。
自分は派手な飲み会や運動部のノリに居心地が良いと思うタイプではないので、今回の懇親会にも参加してませんし、見知った少数の仲間と静かに食事するか、ホテルに戻って一人で本読むか勉強する方が好きです。 こういう外科医も結構多いですよ。一応、書いておきます。
「やられたら倍返し」は確かに痛快だけど、「やられたら同じ土俵で喧嘩しない」というのも大事だと思う。 「やり返し」によって生産的な議論が始まるならいいが、悪意のある非難や中傷に対し、同じ土俵まで下りていって「やり返し」ても結局ダメージを負うのは自分だけ、ということもある。
誰かがこんな風に亡くなった、こんな薬で良くなった、などの話を時々見ますが、ある意味で、本来「症例報告」として詳細な情報を科学的な手順に則って提示し、複数の専門家の査読を受けてようやく発表できるような情報が、極めて中途半端な手順で大勢の目に触れている点で、不思議な現象とも言えます。
一方で、TwitterがFacebookより断然楽しいと思えた理由が、誰かへのささやかな応援や賛同、称賛の思いを、「対話を求めない一方的な発話」という押し付けがましくない形で届けられることだった。 距離感が適度に遠い。これがTwitterの利点でもあるのだと気づいた。
同じ病気を持つ知人から「私は〇〇の治療をしているけどあなたはなぜ別の治療を?」と言われ不安になってしまう人がいますが、同じ病名の知人は「病名しか同じでない知人」だと心得た方がいいです。 総称が同じでも細かな分類が違ったり、同じ病気でも状態に応じて治療が全く違うこともあります。
人工肛門(人工膀胱)に関して、Yahoo!ニュースで記事にしました。 オストメイトのことは、あまりにも知られていません。 入浴は普通にでき衛生上の問題もないのですが、温泉施設では他の客からのクレームで入浴を拒否されるという事例が各地で起こります。残念なことです。 news.yahoo.co.jp/byline/yamamot…
10年前に読んで感動し「10年後に再び読もう」と決めていた本がありました。「10年後の自分がどう読むか」を知りたかったからです。 それが今だったので予定通り読み、同様に感動したことに感動しています。全く内容が色褪せていなかった。 いい本というのはこういう本のことをいうのだと思いました。
「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解」 が公開されています。 mhlw.go.jp/stf/seisakunit… 重要なので全て読んでいただきたいですが、とても長いので特に重要と思われる部分を抜き出します。
何事においても「全く知らない人」より「中途半端に知っている人」の方が大きな誤解をしやすいように思う。 全く知らないなら詳しい誰かに頼るしかない一方で、中途半端に知っていると「手持ちの材料」を使って結論らしきものを自力で導き出せてしまう。
批判された時にまず「自分が間違っているのではないか」と一旦我が身を振り返る人と、まず「相手の方が間違っているのだろう」という考えから入る人がいる。 後者のタイプで、かつ間違いをおかさないよう勉強を重ね必死で努力を続けてきた自負を持つ人だと、なかなか修正が効かないように思う。
Twitterではよく不安を煽るテレビ番組が問題視され、ウェブニュースとかSNSでも情報収集する方がいいよという話になるし、自分もその話はよくするけど、実はテレビも新聞もウェブニュースもSNSも「何も見ない」という人が一定数いて、その方々は超絶楽観的という別の問題があったりする。
理不尽な批判にはしっかり反論する。これ間違いなく大事なんですが、「言いたいヤツには言わせておけ」を適宜発動するのも大事なんですよね。自分の時間とメンタルを守るためにも。
よく思うのが、たとえ仕事量が多くても自分でコントロールできる仕事なら意外と辛くない一方で、たとえ仕事量が少なくても自分でコントロールできない場合はかなり疲れやすく、「忙しい」と感じやすい。 仕事量がすごく多いはずなのに「忙しそう」に見えない人は、前者のパターンが多いように思う。
定期的に紹介します。 私のサイトでは、各科の先生方からのご意見をまとめ、信頼できる一般向け情報サイトのリンク集を診療科別に作っています。学会・公的機関等が中心ですが、使いやすく、分かりやすいものばかりです。 医療・健康問題で困った時はググる前にご覧ください。 keiyouwhite.com/guideline-for-…
何かを学べば学ぶほど気づくのは、「世の中の大体の疑問には過去の偉い人がすでに答えを出している」とか、「自分が思いつく”名案”は大体偉い人がすでに思いついている(その上すでに試行済み)」という事実であって、学びの大切さとは、圧倒的な自分の小ささを思い知ることにあるのだと思っている。
自分も何度か経験があるのだが、何か体に異変があって精密検査を受けることになった時、結果が出るまでの時間って震えるほど怖い。 この不安度は、自分自身が当事者の時と、医師として他人に検査を受けてもらう時とでは天と地ほど違う。 当事者にとって精密検査とは、それだけで怖いもの。
単なる噂話にしても、科学的な情報にしてもそうだけど、基本的に他人から聞いた「〇〇らしいよ」という話については「ソースを自ら確認するまで判断を保留にする」という行動パターンを自分に染み付かせておいた方が確実に安全だし、人間関係にも傷がつきにくいと思う。
「公益のために正確な情報を発信すべき」と考える人から見れば、少し調べれば容易に誤りと分かるようなデマの発信が謎で仕方ないのだが、実は「一定数の支持を得るためなら誤りを承知の上で誤情報を発信できる人」は必ずいて、誤りを指摘されても絶対に撤回しないのは「そんなことは百も承知」だから。
もちろん啓発は大切だし、強い言葉で呼びかけることは確実に必要。 一方で、控え目な人の思いは可視化されにくい。 「あ、私このタイプだ」と思ったあなたです。 あなたが「これはやばい」と思った時はたぶん我慢しなくていいし、専門家の勧める指標を頼ってください↓ mhlw.go.jp/stf/seisakunit…
これ、要注意ですね。 十二指腸や小腸の中で膨張したらほぼ確実に閉塞し、手術が必要になります。 特に連ツイで紹介されているような十二指腸の閉塞だと、部位によってはかなり大掛かりな、リスクの大きな手術になりそうです。 twitter.com/nuno40801/stat…
どれほど努力しても報われないことなどいくらでもあるし、「努力は嘘をつかない」と言える人は、自分の強みを生かして戦えるフィールドを上手に選べる人だと思う。 「努力を生かせる場所を選べる」というのは一つの才能。
現時点で得られる最良のエビデンスを用いて推論を立て、新たな知見が手に入るたび再評価、軌道修正、というのは科学においてごく自然な流れ。 でもこれを「誤りの訂正」と捉える人がいるのもまた事実で、最初から100%のベネフィットとゼロリスクを期待されてしまう医療現場の「日常」とも言える。