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「自分がされて嫌なことを相手にしてしてはいけません」は
「自分は嫌じゃないからしてもいい」につながる可能性の面で、やっぱりアップデートが必要な考え方だと思っていて
子ども達に教えるべきは
「嫌だと思うことは人によって違う」だし「相手が嫌なことをしない」だと思っています。
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この辺、一応専門なので少し語ります
「聴きながらメモを取る」という行為には、少なくとも二つの認知的なスキルが得意か最低でも苦手ではないことが必要です
聞いたことを一時的に記憶保持する能力と、聞いた情報にタイミングを合わせてスムーズに文字を書くという能力です twitter.com/tarareba722/st…
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社会に出たら理不尽な事が多いから子どものうちに「我慢」「受け流す」力を身につけさせておく必要があるという考え方
保護者や教育、支援者でそう考えている人がまだいらっしゃるなら
考え方をアップデートされることを強く強くお勧めします
現代社会の理不尽は我慢でなんとかなるものじゃないです
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「自律的にやりたいことをする」能力は、周囲からの働きかけで比較的簡単に奪うことが出来て
そして一度奪われてしまうと回復にとても時間と努力を要する、という事実はもっと知られてよいように思っています
散々我慢を強要した後で「ほら、すきになさい」と投げ出されても出来ないことが多いです
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心配していた方向に動いてしまってます
これやりだすと、保護者が教師役をせざるを得ない状況になり家庭内不和の原因になります
オンライン授業が出来ない中では、この通知は取り下げるべきだと私は思います
教科書に基づく家庭学習を 児童生徒の状況把握も 文科省 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200421-…
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もっと言えば
「自分以外の誰も嫌だと思っていないことでも、あなたが嫌だと思うなら嫌だと言っていいんだよ」
「そしてそれはみんなが同じことだから、誰かの「嫌だ」に敏感でいようね」
多様性が尊重されるって、そういうことなのではないかと思っています
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脳波やfMRIでADHDが診断出来るみたいな情報が巷に溢れ始めた危機感から、井手先生@IDEmRes K先生@psydrk と三人で緊急スペース配信をすることになりました
医師、脳科学者、心理士の発達障害ガチ専門家三名が放つ魂の叫びを是非多くの方に聞いて頂きたいです
twitter.com/i/spaces/1OyKA…
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優生思想というやつは、いわゆる「素朴理論」の一つなんだろうなと最近は思うようになりました
生活上は地球が平らに感じるのと同じで、なんとなくそう感じてしまうことから人は逃れにくい
そこを乗り越えるのが人の知性で、知性を育むのが教育なんだと思います
つまり優生思想は教育の敗北でもある
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一番怖いのは子どもたちがいわゆる「学習性無力感」という状態になってしまうことだと思うのです
「自分が何かをしてもどうせ何も変わらない」
人生の早い時期に強くこう感じてしまうことを何とかして避けなくてはいけないと思うのです
我慢の強要は学習性無力感を促進させるのではないかと思います
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言いたいことは、人の認知特性は一般に考えられているよりは遥かに多様で、人による個性がはっきりあるということです
これは能力の優劣とは別の話です
なので多くの場合、「やり方を限定、指定」してはいけないのです
敢えて言うなら「その人に合った方法ですること」を指定する必要があります
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社会の理不尽に巻き込まれて命を落とされてしまった方、重篤な心の病を発症せざるを得なかった方
そういう悲しい事例がたくさんあることに私たちは向き合わないといけない時代になっていると思うのです
その時代に子どもたちに身につけて欲しい力は、理不尽への忍耐力でも受け流す力でもないはずです
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そう考えると理不尽に出会った子どもたちが取り得る選択肢は結局「戦う」か「逃げる」のどちらかということになるかと思います
だから、子どもたち若者たちの戦う、逃げるを応援する大人が増えなくてはいけないと思うのです
個人的には戦うか逃げるかを決めるのは子ども自身でいいのだと思っています
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修行が足らないなと思った話
先日小3息子に
「今のあなたにとって大事なのは、漢字が書けること自体ではなくて、自分にあった覚え方を探して見つけることなんだよ そっちが目的」
という話をしました
そしたら息子、突然激怒してぷんすかその場を去って自分のベッドに潜り込んでしまいました
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そうそう
「自分がされて嫌なことはしない」という発想は「人がされて嫌なことは共通してる」ということが前提になるから、その弊害も大きいよね
自分が嫌だと思うことを人にされた時に「こんなことをしたら人が嫌に思うのは当然だ!」「わざと嫌がらせした!」って責める気持ちになりやすくなるもの
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これらのどちらかが苦手だと、メモを取ると話を理解することが難しくなります
人の認知能力のリソースは有限で、かつ苦手な部分に多く注がれるからです
聞いたことを頑張って(一時的に)忘れないようにし、それが消えてしまわない間になんとか文字にするということだけでリソースが尽きてしまいます
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逆にメモを取らないと覚えられないという状況も、少なくとも2つくらいの認知的な特性の可能性があるように思います
視覚的な記憶か、運動的な記憶に頼っているタイプの可能性です
つまり、書くという動作自体が理解や記憶を促進している場合と、書いたものを見ることでそれらが促進される場合です
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保護者が教師役をすることをスタンダードにすべきでない理由と、
家庭学習におけるあるべき姿についての私なりの考えは以前にブログに書きましたのでぶら下げておきますね
自宅でお子さんの「学び」と向き合う保護者の方へ inthevillege.com/jitakumanabi/
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「今は我慢しても仕方ない。後で自由に出来るときが来るから、そのときやりたいことをすればいい」
この考え方は実はとても危険です
時間や環境がそれを許しても、「やりたいことを計画的にする」能力が育まれていないと
まずそもそも「やりたいことなんてない!」の解決から始めなくてはいけません
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うわあ…!!
「ケーキを3等分できない」
認知のゆがみが引き起こす悲しみの連鎖。
NHKさま、今からでも遅くないです。
この文脈で「認知のゆがみ」という言葉を使用するのは、完全に誤用ですので修正をご検討くださいませ!!
nhk.jp/g/blog/9qrdy8a…
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そして注意すべきは
やりたいことをやっているように見える状態が、実は受動的に「ハマるコンテンツ」を消化しているだけということが、現代社会では簡単に起きることです
これは「自律的にやりたいことをする」状態とは、似て非なるもので、どちらかというと依存症的な構造が発生している状態です
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先日、自分の「情報処理の勝ちパターン」を知っておくことの重要性についてある方達ととても盛り上がった
とある学会では、発表パワポを一切見ずにずっと目をつぶっている人、ほぼ話聞かずに配布資料とパワポだけ見てる人、逐語に近いメモをとりながら聞く人、などなど、とても個性豊からしい
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これは、ASDに関わるすべての支援者、教育者が読むべきだと感じました。
私が支援者育成をする時に「理解」に重点を置き「手法」を紹介程度に留めることにこだわるのはこういうことです。
強度行動障害〜重度自閉症の息子が、自発的交渉ができるようになったわけ tetote-net.com/2020/08/11/%e5…
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実力のある支援者は
「問題を未然に防ぐ」
そこそこやれる人は
「問題に早期に対処し解決する」
実力不足な人は
「問題が深刻になってから必死に対応してなんとかする」
一番頑張っているように見えるのは実力不足な人で、熱意ある支援者と評価されてたりします
この構造かなり普遍的な気がします
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七転八倒の産みの苦しみをへて…
『〈叱る依存〉がとまらない』という、渾身の1冊を出版させて頂くことになりました
この問題をみんなが正しく理解し予防することが、誰もが生きやすい社会の実現に必ず役立つと信じ、ありったけの想いを込めて「叱る依存」を世に問います
amzn.to/3Ew7WjT
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けれども
自律的、主体的に「じぶんがやりたいことだから」と感じて、「計画的に楽しみながら取り組んでいる」という状態が全くない中で、「ハマるコンテンツ」だけを消費している状態は、とても危うい状態のように私は思っています
その体験は、「やりたいことをする」能力を育まないからです