哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(リツイート順)

小梅氏の字がこのように正気の状態で書いたものとは思えない状態にあるのは、やはり自動筆記(図2)と同様に、意識が朦朧とした状態での記述を試みているからであろう。 小梅氏のシュルレアリスム的実践の証拠がここに垣間見えるのだ。
まいチクの英訳は困難です。例えば、上の句の主語を「I」とすることは正しいことなのでしょうか。 また、「女の子になっちゃう体質」を持つ人物を「you」としていますが、これも曖昧です。下の句を踏まえると「ET」なのかもしれませんが判然としません。 まいチクの英訳は数多の問題を抱えています。
記号のデータベースから、記号を恣意的に組み合わせ、「キャラクター」を消費している…というのは『動物化するポストモダン』以降定式化されたデータベース消費だが、小梅氏は現実の場において恣意的に記号を取り入れる。しかし、現実世界の身体表象には残酷なルッキズム的限界があるのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
ヴィヴェイロス・デ・カストロの議論を踏まえた作品。人間が血とよぶ物はジャガーにとってはビールであり、我々にとって腐肉にわく虫であるものはハゲワシにとっては焼き魚であり...というように、世界は多様なパースペクティブから成り立つ。小梅氏は、「イナゴ」として人間を食すのだ。猟奇的作品。 twitter.com/dayukoume/stat…
時間的概念である「年齢」に対して、「精神年齢」という概念は評価基準によって変動する。アメリカの心理学者ターマンの用いたものでは2-18歳までが年齢尺度となっており、以降は成人級として一括される。精神年齢において永遠の18歳を生きる小梅氏は、直線的時間の堆積を直視できず、畜生と嘆くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 何故、お雑煮では無くお雑巾だったのか。お雑煮には通常、「餅」が入るが、この「餅」は多くの命を奪う事で有名だ。「餅」が死を想起させる事から、「自己の死」を抑圧し、無意識的に避けた小梅氏は、ラカンの述べる「換喩」の働きにより、雑煮との言語的連関から、雑巾を無意識的に食したのだ。傑作。
@dayukoume 某金融会社の「むじんくん」は、機械による自動契約機である。さて、トマス・モアは「羊が人間を喰う」と述べ、農民の仕事が奪われる様を描いた。この一節を念頭に置いた小梅氏は、「むじんくん」を権力の象徴たるライオンに喩え、人々の仕事が権力者により機械に置換され奪われる危険性を訴えたのだ。
@dayukoume 嘗てのアメリカの黒人差別は凄まじいものであった。まっくろ黒助と黒人を揶揄する差別主義者と、黒人を見世物にする白人に「テレビに出ない!」と抗議する黒人達の当時の様子を鮮やかに描いた小梅氏は、差別の歴史を振り返り、「汝の隣人を愛せ」とするキリスト教の隣人問題へ立ち返れ!と説いたのだ。
@dayukoume 小梅氏の「スベった回数」が有限であるなら計測可能な筈だが、ここでは計測不能とされる…即ち“無限”である。さてクザーヌスは、神は“無限”であるとし、無限こそが「神へ通じる道」なのだとした。クザーヌスの議論を踏まえた小梅氏は、無限に滑る事により、"無限”を体現し、神との合一を果たしたのだ。
@dayukoume 最早哲学的解釈以前の問題である。本格的にシュルレアリスムの境地に入った小梅氏の作品を解釈すること自体が誤りなのではないか。小梅氏は我々を嘲笑い続ける。まいにち「チクショー」を叫ぶべきなのは、読者の方かもしれない。
ここで重要なのは、小梅氏が”いくつお菓子を買ったか“が示されていないことである。つまり、4個で100円のお菓子は、「8個なら200円なのか?」という問題である。そう、「4個で100円」は、それ以外の場合について言及していない。クリプキ的「クワス算」により、小梅氏は破産してしまったのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 哲学的困難は何から生じるのだろう。ウィトゲンシュタインは、「文法的錯誤」をその原因と見做し、哲学の課題をその治療とした。「小梅氏が寒い」と、「最強寒波が寒い」は文法形式は全く同じ「xが寒い」だが、意味は全く違う。この混同が文法的錯誤だ。小梅氏は敢えて文法的錯誤を犯してみせたのだ。
このままでは #まいにちチクショー が途切れてしまいます。 大変です、今年最後の日に投稿がありません。
@dayukoume シュルレアリストであるブルトンは、フロイトの自由連想法に着想を得て、無意識の世界を描き出す「自動筆記」を提唱した。さて、連想という言葉や、支離滅裂な内容、その特徴の一つである主語の喪失などからして、今作が自動筆記の作品である事は自明である。小梅氏は見事に超現実を描いたのだ。駄作。
小梅氏がトレンド入りしているようです。 小梅氏の哲学が日本全国に認められた瞬間です。おめでとうございます。
@dayukoume 「バヴ〜バヴ〜」とは何か。爪の垢と赤ちゃんをかけている事が分かったとしても、結局その意味は分からない。バヴ〜バヴ〜は、私的言語をナンセンスとしたウィトゲンシュタインの議論に於ける「感覚S」と同様、ナンセンスな私的言語だが、小梅氏は、ナンセンスな言葉の詩的効果を敢えて模索するのだ。
メインディッシュとしての「唐揚げ」は主体ではない。ただの「被造物」だ。さて、人間が作り出した「被造物」である唐揚げが裸を「恥」と認識したらどうなるだろう。当然、パンツを履きたくなる。禁断の果実…恐らくレモン…を味わった唐揚げは、「恥」に気付き、主体としての生を歩み始めるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 甲羅は亀の身体の一部であり、剥がれた場合亀は死に至る。そう、今作の亀は死んでいるのだ。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という一節があるが、小梅氏は「死して甲羅を遺した亀」を例に上げ、死に向かう有限な存在者としての我々人間も何かを残さねばならぬ!と力強く説くのだ。傑作。
@dayukoume バウマンは現代社会を「液状化社会」とし、その流動性と不安定さを指摘した。さて、この「液状化社会」の前提として「個人のアトム化」が挙げられるが、小梅氏はこの点を強調し、現代を液状ではなく、「粉状」化社会だと述べる。小梅氏は、個人が容易に吹き飛んでしまう現代社会の脆さを描いたのだ。
エリアーデが言うように、「宗教的人間にとって空間は均質ではない」のである。日本人的な空間論でいえば、空間は「ウチ」と「ソト」に分けられる。しかし、小梅氏の空間論はより広い視座から空間を把持する。小梅氏の空間原理は、宇宙をベースにしたものであり、空間は宇宙との関係で把握されるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 自由民権運動により人権概念の拡張が行われた頃、同様に動物の権利拡張を求める運動がレーガンやシンガーらの思想家により展開された。動物を商品として消費する社会に対し疑念を抱く小梅氏は、ペットショップの近くに引っ越し、反対運動を堂々と展開し、遂に店を一つ潰してしまったのだ。大問題作。
@dayukoume またしてもナンセンスな作品であるが、トリケラトプスと元カノの共通項は、どちらも過去の存在である事だ。ベルクソン的な「持続としての時間」に於いて、現在に過去を巻き込んだ小梅氏は、元カノやトリケラトプスらの存在を重層的な時間意識の中、創造したのだ。駄作。
@dayukoume ラカンによれば、赤ちゃんをあやす母親は、赤ん坊にとって、その時絶対的な“他者”とされるのだという。すると、地球をあやす小梅氏は、地球にとっての絶対的他者となる…これは即ち、神と言って差し支え無い。先日、無限との合一を果たし、現人神と化した小梅氏は、自身の神話を自ら綴ってみせたのだ。
@dayukoume 楽曲『イイ波のってん⭐️NIGHT』では、「イイ波」という概念が提示されるが、これは柳田國男が見出した概念の「ハレ」に相当する。現代的な「ハレ」である「イイ波」を歌い上げる楽曲に対し、小梅氏は数々の不条理を謳い上げ、厭世主義の立場から、不条理な現実から目を逸らすな!と警鐘を鳴らすのだ。
どうして「お月さま」を駐車場に見立てたのか。小梅氏の目は、「現在の月」ではなく、「未来の月」に向けられているのかもしれない。我々人類は、自然を次々と征服し生活圏を拡げてきた。NASAによる月面着陸は、その一端だ。小梅氏は、将来的に「お月様」が、駐車場と化してしまうことを危惧するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…