哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(リツイート順)

小梅氏は男なのか、女なのか。男/女の二元論の超越、男⇆女を往来する小梅氏のスキゾ的性格は、ジェンダーを固定的に考える旧来のジェンダー観と真っ向から対立する。小梅氏が、「男なのか、女なのか」という問題に明確な答えが出せないことは、流動的なジェンダーという複雑な問題の一端を示すのだ。
@dayukoume VR空間内でのVR視聴は、視覚情報がVR内でのハイパー現実と一致し、世界が二重、三重と多層化されていく。まるで『荘子』の胡蝶の夢を思わせる様に、多層化した超現実は、一種の可能世界として、さも“本物らしく”振る舞う。小梅氏は、ボードリヤールの議論を援用しながら、VR空間の危険性を訴えたのだ。
「コウメ太夫」トレンド入り スッキリラスト出演でネタ不発「軽く放送事故」「理解できない境地」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース news.yahoo.co.jp/articles/a2af8…
@dayukoume 台風の消滅に伴い生じる〈わたし〉の消滅。何故、こんな事が起きるのだろう。先日、三人称の死を一人称の死へと還元した小梅氏は、更に、世の一切を非人称へと…謂わば西田哲学に於る主客未分の純粋経験のように…還元する。〈it〉という非人称的な場から小梅氏は、だんだんと消滅してゆくのだ。傑作。
小梅氏が「コウメ太夫」であるのは、カツラ、着物、白粉の「3種の神器」が揃ってこそだ。まいチクが我々の聖典たりえるのは、赤井貴(小梅氏の本名)ではなく、「コウメ太夫」の言葉だからである。我々チクシストは、後20年は小梅氏が「コウメ太夫」を続けることに安堵するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume ユクスキュルが提唱した環世界論では、生物毎に異なる時間を生きているとされる…そこではより小さな生き物は短い時間をより長く感じるのだという。小梅氏は一日が五分の世界で生きているが、五分を一日相当と捉える為には必然として鼠より小さくなる必要がある。環世界論的に時間概念を論じた傑作。
合理主義者達は、宗教者たちが信じる「神」や「仏」の存在の源泉が、人々の「頭の中」にあると告発した。つまりドーキンス風に言えば、神や仏は、「妄想である」というわけだ。しかし...「AI」にとって「神」は「どこにいる」のだろうか?そして、「AI」の頭の中とはどこだろうか?議論を呼ぶ作品。 twitter.com/dayukoumeAI/st…
@dayukoume キリスト教の“隣人問題”を念頭に置く一作。原始共産主義的世界観に感銘を受け、きものちゃんと化した小梅氏だが、なんと“のけもの”とされてしまう。小梅氏は“フレンズ”を基督教における“隣人”に類する概念と定義し、恣意的にセルリアンを除け者とする『けものフレンズ』を痛烈に批判したのだ。
@dayukoume 度々議論が起きる“嫁論争”。ビアンカフローラのジレンマ…デボラを加えればトリレンマ…に陥った小梅氏は、ドラクエのプレイを断念してしまう。「結婚しない」という選択肢が与えられない点を大胆にも非難する小梅氏は、他作品の世界に逃げ込み、皮肉な事だが…小梅氏の“ユアストーリー”を生きるのだ。
@dayukoume 『夢判断』にて、フロイトは「車にひかれる夢」が、性交渉を意味すると分析した。さて、小梅氏はサイドブレ〜キを引き、事故を防ごうとしている。だが、車が向かう先が事故ではなく…性交渉ならどうだろう。フロイト的男根としてサイドブレ〜キはポコチンに変容し、小梅氏は“車を走らせ”るのだ。傑作。
@dayukoume アーレントは人間の不死性について論じ、「活動」を不死性の獲得に向けた営みと見做し、「人々の間にあること」を「生」とした。さて、小梅氏の「活動」たる芸人活動は、小梅氏のファンという「人々」との間で初めて成立する。ファンを失った小梅氏は、「活動」の条件を欠き、“死んだ”のだ。遺作。
@dayukoume フロイトは、妊娠欲のある女性同性愛者が飛び降り自殺した事例を分析し、独語のniederkommen(子を産む)が同時に“下に落ちる”という意を持つ事から、女性が飛び降り自殺したのではないかと述べた。この事例と同様、ロ〜ルケーキを見た小梅氏は、その言語的表象から目を“roll”し、回転死を遂げたのだ。
「意味が明らかに通っていない」まいチクについて、私は「哲学的」という言葉を使っていません。むしろ、「シュルレアリスム」という言葉を用いています。哲学は無意味の学問ではないからです。しかしながらメディアは、「無意味」と「哲学」を混同し、嘲笑めいた眼差しを小梅氏に向けます。
@dayukoume そもそも、イエローカ〜ド三枚なら、赤青黄色の信号機とは色の並びが異なる筈である。小梅氏はここで、「逆転クオリア」の問題を提示する。小梅氏は、三枚の「イエロー」の内二枚が、“他者にとって”の青や赤である可能性を示唆し、黄色のみで、「交通の信号機」が成立するのだ!と述べたのだ。挑戦作。
@dayukoume 「不思議の国のアリス症候群」と呼ばれる病をご存知だろうか。これは、知覚された外界が、巨大に見えたり、自分自身が小さくなった錯覚が生じる病である。小梅氏は、ユクスキュルの環世界論を援用しながら、小さくなった我々にとって、🍦が螺旋階段である事を示し、アリス症候群の考察を行なったのだ。
学部生の皆さんはそろそろ卒論を書き始めなければならない時期ですが、いかがお過ごしでしょうか。 もし、卒論のテーマが決まっていないのであればコウメ太夫氏を卒論のテーマに扱ってみるのも面白いかもしれません。 是非ご一考ください。
@dayukoume Christmasのmasの意味は礼拝である。さて、これに即すとチクショマスは「畜生-mas」となり、畜生(生物)一般に感謝し祈願を行う儀と解釈できる。「クリスマス」の西洋中心性とその儀礼の持つ宗教性に憤った小梅氏は、代替案として「チクショマス」を提案し、全ての生きとし生けるものに感謝するのだ。
@dayukoume 🍒と爆弾という二語から、楽曲「さくらんぼキッス〜爆発だも〜ん〜」が示されている事は明白である。さて、クザーヌスは、完全に厳密な調和が見出せる曲は無いとした。クザーヌスの音楽論を理想視する小梅氏は、電波ソングを一例に出し、世界の楽曲は全て“歯抜け”(不完全)であると論じたのだ。問題作。
こちらのツイートは私のものではありません。 念のため周知しておきます。
@dayukoume アリストテレスが「人はタウマゼインによって哲学を始める」と述べたように、驚き(タウマゼイン)は、古代ギリシャに於いて「哲学の始まり」と看做されていた。人生を驚きの連続と看做す小梅氏は、焼き鳥を食す際にすら「焼き鳥は畜生だったのか!」と一口毎に驚き、まいにちを哲学するのだ。駄作。
コンセプトとコンセントをかけた親父ギャグ、という所で解釈を止めてはいけない。我々は皆なんらかの「concept(概念)」に基づいて世界を解釈する。哲学者達も、多くの概念を創り出し世界を解釈してきた…プラトンの「イデア」、ニーチェの「力への意志」など…では、小梅氏は? twitter.com/dayukoume/stat…
我々は、自分が「何者か」を社会との関係に於いて措定する。家族という社会単位なら、「私」はAの子で、Bの母だといった風に関係的に自己を理解できる。しかし、都市社会は人々を均一化してしまう。買い物に出かけた小梅氏は、都市社会という空間にて自身が「何者でもなくなっていく」事を嘆くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
逆チューリングテストを行う作品。チューリングテストは、ある機械が「人間的」であるかを試す試験であるが、この小梅氏の作品は、もはや「非人間的」である。比べて、コウメAI太夫氏の方が一層人間的だ。小梅氏は、我々の認識論的基盤を崩し起こし、人間/非人間の境界域を人間の側から侵犯するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume フロイトによれば、固有名詞を思い出せない場合、その固有名詞に関わる要素を抑圧してしまい、思い違いをするのだという。愛媛の“媛”に何らかのトラウマを抱えていた小梅氏は、愛媛と愛知を取り違えてしまったのだ。(媛は姫とほぼ同義。離婚した小梅氏にとっては姫[=妻]は抑圧の対象である。) 駄作。
公認されない理由は小梅氏の哲学のスタンスにあるのだろう。小梅氏の哲学は「畜生」の哲学である。畜生…つまり、動物を人間より優位においたり、或いは幾度となく死を繰り返し、「死」の価値を認めるなど、価値の転覆をその思想の根底に置いている。Twitter者は価値の革命者を「公認」できないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…