哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(新しい順)

神代雄一郎によると、日本の集落構成は中国や欧洲に存在するような「広場村」の形態を取らず、一本の道路の両側に家並みが連なる「紐状集落」の形態をとるのだという。小梅氏はこれを踏まえ日本の共同体の中心は広場ではなく、むしろ往来の場であるストリートにあると逆説的に論じてみせたのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
「存在の概念がない世界」という思考実験を踏まえた作品。「白という概念が無い世界」において、小梅氏が、世界外から「白という概念」をもたらした時、一体何が起きるのか。受容か、排除か、狂乱か。全き異質さは、クトゥルフ的「宇宙的恐怖」を世界に齎し、チクショー❗️と絶叫する事態が生じるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
ANT(アクターネットワーク理論)を提唱した人物の一人、ラトゥールによると、ANT論者は、ant(アリ)の如く地道に探求を行わなければならないという。ANT論者である小梅氏は、「アメ」を含む不特定多数のアクターに囲まれ、めまいを起こすありんこ(ant)となり、その探究の困難さを畜生と叫ぶのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
若手起業家が増加するなど、昨今では最早「社長」という存在は「高年齢の男性」に限られなくなっている。若いスーツ姿の人を一目見て「新入社員」かと思ったが、実際は「社長」であったという経験をした小梅氏は、自身がステレオタイプのエイジズムに囚われていた事を悟ったのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
「親子関係」は、古今東西に存在する問題である。その関係は、親から子への贈与だけでなく、子から親への「返礼」を必要とする。母に「笑顔」をプレゼントした小梅氏だが、経済的な援助を必要とする母親は、非物質的な物の贈与しか行わない小梅氏を「畜生」と罵ってしまったのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
「思想が強い」ことは、「弱い」ことよりも遥かにマシだ……しかし、現代の観客は、映画を社会から切り離し、無味無臭なものとして鑑賞したがる。映画マリオをめぐる言説はそれを明らかにした。小梅氏の作品は常に政治的意図を含み、思想が「強い」作品であるが故に、ブ〜イングを受けるのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
高度経済成長以後、地方都市は画一的な都市計画によって、「ファスト風土」と呼ばれる景観が支配的になった。小梅氏は、ファスト風土の元に育った我々にとって、日本の原風景は、寧ろテレビ番組の中にこそあるのではないかと述べ、その風景が日々の芸能ゴシップに彩られていたことを述べるのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
普段なら「潰れました〜」だが、潰れていない。それも隠蔽体質の病院が潰れていないのは示唆的だ。医療ミス等、様々なものを隠蔽する病院には一見問題がなく見える。寧ろ問題があった際に、素直にそれを露呈させる方が健全ではないか。小梅氏は、隠蔽体質の病院が潰れないことを逆説的に風刺したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
大阪大学コウメ太夫研究会さんの『築抄』が大阪大学の学祭にて販売されているようです。 是非皆さんもお買い求めください。 twitter.com/ou_koume/statu…
秩序の逸脱者としての変態。パラレルワ〜ルドの「私」は、「あり得たかもしれない他の可能性」だ。男女の越境を行うこの世界の小梅氏はクィア的だが、他世界の小梅氏もまた、他のあり方での秩序の攪乱を行っていた。小梅氏は自身の哲学のため、どの世界でも一貫して、逸脱者として振る舞うのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
通常、そんなことは起きない。しかし、列車というのは「ここではないどこか」に我々を連れて行ってくれる。「ここではないどこか」に思いを馳せる小梅氏は、「青海駅」で、「青い海」という象徴性から、沖縄へと意識が移り、空間概念を超えた旅路を歩んだのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
「カメラが小さくなり…」は小梅氏が超小型カメラを開発した事を示している。すると上の句は、科学者として「自然」を解き明かすことを示しており、近代合理主義の精神を小梅氏は「人間として当然」と捉えていることがわかる。しかし小梅氏はそれを「畜生」と捉え、自身の科学的態度を反省したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
ウィトゲンシュタインは、人々の言語活動を「言語ゲーム」として捉えた。ここでは、言葉の意味は予め決まったものではなく、状況や使用方法によって決定される。ガールズトークを耳にした小梅氏は、そこでの言語ゲームにおいて、「銀ダラの切り身」について語られている事に気付いたのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
フーコーによれば解剖学的臨床医学への転換は19世紀ころに生じたという。解剖という近代科学的な行為は、常に主体である人間を特権化しており、解剖の対象は動物や死体などの客体だった。小梅氏はそれを逆転させ、畜生によって小梅氏自身が客体として生体解剖される様子を生々しく描いてみせたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
近年、サウナで「整う」ことが文化的に流行の兆しを見せているが、ここでの「整い」は当然「私」の肉体と精神の「整い」以上のものではない。小梅氏は、あくまで「整い」は私的な体験であって、その上で外的な志向性の発露へと繋げよと説くのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
『ウルトラマン』においては、突如市街地が戦場になることがある。そんななか、怪獣を倒すウルトラマンは一見ヒーローのように見えるが、作中において踏み潰される一般人の存在は不可視化されている(三人称の死)。小梅氏は、三人称の死を一人称の死に引き寄せることで、その死を重く受け止めるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
今日はコウメ太夫氏の誕生日です。おめでとうございます。
本日4/1、コウメ太夫氏との共著『まいチク哲学365日』が畜生社さんから出版されました。なんと、小梅氏が新作のネタを365個、このために書き下ろしてくれました。私はその全てに解説を加えています。一日一ページ読むことで、一年間毎日、簡単な哲学のレッスンを行うことが出来る書籍となっています。
「コウメ太夫」トレンド入り スッキリラスト出演でネタ不発「軽く放送事故」「理解できない境地」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース news.yahoo.co.jp/articles/a2af8…
春といえばなんだろう。桜やそれを見る花見、或いは卒業シーズン…色々なものが思い浮かぶが、小梅氏は「パイプ椅子」と春の訪れを関連付ける。確かに、よくよく考えてみればパイプ椅子は、卒業式や入学式などの式典に必須だ。小梅氏は、春の行事を支える立役者としてパイプ椅子に注目してみせるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
彗星の存在は、様々な器機、論文といった資源を動員することによって「構築」される。あくまでそれは、実験室の中で構築された事実であり、より固い事実が構築されれば、過去の事実は覆される。小梅氏は、彗星がチワワという畜生だった事例から、科学的事実が粉砕され更新される様を描きだしたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
近年の人文科学においては、「オブジェクト指向存在論」や「アクターネットワーク理論」など、事物に注目する存在論的転回が生じており、そこでモノに魂の存在を認めるアニミズムが注目されている。小梅氏はボックスシーツとの対話を通じて、アニミズムを実践しようとしたが、失敗したのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
マスク着用の有無それ自体が現代では政治的権力によって決定されるが、一度権力によって構築された慣習は、大衆のパノプティコンの中で再生産され続ける。権力は正常を定め、異常と見做される者を排除する。小梅氏は、マスクを外す事は、非人間化を意味し、人生を踏み外す事になると鋭く分析したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
どこからが実力で、どこまでが影響によるものなのか。「花粉」といった、特異なものからの影響がある場合は、本来の実力でないのだろうか。小梅氏は、「本来の実力」の存在を想定せず、我々にはあらゆる存在との影響関係が常にあるのだから、花粉の影響下であれ、それは「実力」であると主張したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
フリ〜スタイルといっても、あくまでスキーである以上、「スキー」の枠組みで行為が行われる。それは果たして自由なのだろうか。そこで小梅氏は、スキーを構成する道具に注目する。小梅氏は、既製品を用いたスキーは商業主義的だと述べ、大根おろしを用いたブリコラージュ的スキーを実践するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…