哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(いいね順)

カントは、人間を「手段としてのみ扱う」ことを批判し、互いの人間性を尊重し、目的として尊重しあう事が重要であると説いた。助手席に彼女を乗せた小梅氏はふと、彼女を耳かきの手段として扱っていた事に気付く。小梅氏は彼女の人間性を尊重していない事に気付き、己を「畜生」であると恥じたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
現代人は普通、レシピに基づいてカレーを作るであろう。これは「設計主義」に基づいていると言える。しかし小梅氏は、レシピを用いず、材料を寄せ集めて…レヴィ=ストロースの言を借りれば「ブリコラージュ」する。その結果、カレーではなく本棚が完成した。ここに小梅氏の反-設計主義が見出せるのだ。
通常、そんなことは起きない。しかし、列車というのは「ここではないどこか」に我々を連れて行ってくれる。「ここではないどこか」に思いを馳せる小梅氏は、「青海駅」で、「青い海」という象徴性から、沖縄へと意識が移り、空間概念を超えた旅路を歩んだのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
ノートを書いてみました。拙い文章ではありますが、よろしくお願いします。 「コウメ太夫はなぜつまらないのか?」  —コウメ太夫とシュルレアリスム試論ー|哲学者コウ・メダユー #note note.com/koume_philo/n/…
すみません、非常に個人的な発信をします。 少女歌劇レヴュースタァライトの劇場版がアマゾンプライムで見れるようになりました。この機会にまだ観ていない方は是非ご覧ください。
マスク着用の有無それ自体が現代では政治的権力によって決定されるが、一度権力によって構築された慣習は、大衆のパノプティコンの中で再生産され続ける。権力は正常を定め、異常と見做される者を排除する。小梅氏は、マスクを外す事は、非人間化を意味し、人生を踏み外す事になると鋭く分析したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
周央サンゴさんに認知されていたようです。ありがとうございます。 twitter.com/Suo_Sango/stat…
正直なところ、責任を感じております。
[お詫び] 最近の小梅氏の作品は、精神分析、エーコやバルトの記号論や、図像解釈学及びカルチュラルスタディーズなどの手法を持ってしても分析が困難である事が非常に多く、解釈が十分に行えていません。 大変申し訳ございません。
本日4/1、コウメ太夫氏との共著『まいチク哲学365日』が畜生社さんから出版されました。なんと、小梅氏が新作のネタを365個、このために書き下ろしてくれました。私はその全てに解説を加えています。一日一ページ読むことで、一年間毎日、簡単な哲学のレッスンを行うことが出来る書籍となっています。
高層ビルとはまさしく資本主義の象徴であるが、小梅氏はそれを朝のポコチンと結びつけて論じている。フェミニストである小梅氏は、資本主義がかつて男性中心的に発展してきたことを批判的に捉え、高層ビルを男根と重ね合わせ、資本主義経済が男根中心主義的であると述べるのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
よく小梅氏は哲学と倫理学だけは得意だったと言及しています。 こちらの動画を是非みなさんもご覧ください。 田村淳とコウメ太夫、サシでトーク番組するとこうなる。 youtu.be/jmmBT-F1lSQ @YouTubeより
このように、私の考察を楽しみにしてくださっている方が多くいます。 しかしながら、私の力不足のため全てのツイートを考察することができません。 手のひらから溢れていく砂のように、小梅氏のまいチクは掴みどころがないものです。 最近は一層その傾向が顕著になっています。 申し訳ございません。
朝ごはんにおいては「ご飯派」と「パン派」の二項対立が構築されている。しかし、この二項対立は「日本」の食文化を中心化することによって成立しているとも言える。小梅氏はこれを日本中心的として批判し、「ニョキニョキペンギン派」という第三項を提示するのだ。駄作。 twitter.com/nickthatime/st…
非常に鋭い現代の商業主義批判だ。「コ〜ドレス」な家電であれ、それが企業によって製造されたものである限り、常に特定の企業の「ブランド性」を付与されており、そのブランド性は商品そのものから切り離せないものである。企業は、家電商品を通じて我々と緩やかに”接続“し続けているのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
今日はコウメ太夫氏の誕生日です。おめでとうございます。
ニーチェの「永劫回帰」を踏まえた作品。ニーチェによれば、我々は同じ人生を何度も繰り返す……それは、全く同じ人生を、である。決して「より良い」人生を生きることはできないのだ。小梅氏は、永劫回帰がチクショー!な経験であることを述べつつも、それを引き受け、「超人」となるのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
高度経済成長以後、地方都市は画一的な都市計画によって、「ファスト風土」と呼ばれる景観が支配的になった。小梅氏は、ファスト風土の元に育った我々にとって、日本の原風景は、寧ろテレビ番組の中にこそあるのではないかと述べ、その風景が日々の芸能ゴシップに彩られていたことを述べるのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
学校と刑務所の相似性は、フーコーを持ち出すまでもなく理解できる。「あだ名禁止」によって、学校=刑務所は、、“囚人“達のコミュニケーションをも規律化し、囚人間に生じる差異を均質化しようとする。しかしそれを推し進めると…「番号」によって、彼らのアイデンティティは剥ぎ取られるのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
我々は大抵、「カンフ〜でアチョ〜」する時の「アチョ〜」がどのような身体技術によって行われているかを知らない。同様に、我々は「レンジでチン」の「チン」の内実を詳しくは知らない。小梅氏は、簡略化された技術であれ、達人の技術知であれ、技術は大抵ブラックボックス的である事を示したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
横断歩道が死と隣り合わせであることを示す、非常にわかりやすく、面白い作品だと思います。初期コウメ太夫作品を思い起こさせますね。しかし、現代のまいチクはそのような単純な解釈を常に拒否し続ける作品様式であって、まだその域に達していません。精進してください。
小梅氏のネタは明らかに年々「意味と論理」からの乖離への志向が強くなっており(拙稿「コウメ太夫とシュルレアリスム試論」にて解説)、私自身困惑しています。 テレビに出るたびその「奇怪さ」が加速しており、タレントによる突っ込みによってなんとか維持できている現状はあまりに不健全です。
本日、『まいにちチクショーで学ぶ 哲学入門』を出版させて頂くこととなりました。カントやニーチェなどの代表的哲学者の思想だけでなく、現象学やポスト構造主義、フェミニズムや精神分析など、多岐に渡る思想を網羅した一冊となっています。「まいチク」を通じ、まいにちを哲学してみてください。
お笑いから哲学、哲学からシュルレアリスムへ小梅氏の作品は変遷していった。そして、シュルレアリスムの探求において、日常言語を異質なものへと接続する試みの中で、小梅氏は詩的言語の探究を行なっていた。焼かれた雲は夕焼けである…なんと美しい詩か。詩人コウメ太夫の誕生を我々は目撃したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
AIによって絵画が描かれる現代。人々はその絵の「生成過程」に注目し始めています。即ち、人によって作られたか、AIによって作られたか、という問題です。 小梅氏の作品は既に「コウメAI太夫」の作品と見分けがつきません。 我々は小梅氏を通じて「AI時代のシュルレアリスム」を考える必要があります。