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@dayukoume 色とりどり、つまり様々な色が混在する虹色といえば、昨今話題となっているLGBTを象徴する色である。しかし、ここでは虹色では無く、実は黒であったと小梅氏は言う。黒色といえば、無政府主義、アナキズムの象徴である。人権派運動が一転、反権力的社会思想へと陥る危険性を小梅氏は指摘している。
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@dayukoume ネタが思い付かない事は芸人失格と言えるが、小梅氏は敢えて「ネタが思い付かない」と述べている。デカルトは唯一確実な真理は他ならぬ我の思考だと考え、「我思う、故に我あり」と述べた。小梅氏はこれを踏まえ、「我思う」を出発点に捉え直し、一からネタと真理を探求していくのだと意欲的に述べた。
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@dayukoume 何故数学的真理が自明であるのか、多くの数学者が議論してきた。数学の真理性の源泉は一体何だろうか。数学的経験主義者の小梅氏は、1+1という数式に疑問を持ち、今までの数学的経験を白紙とし、改めて「1+1」を探求する試みを為した。が、解はやはり2だった。数学の奥深さを感じさせる一作。
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@dayukoume 夕日は、同時に朝日でもある。現代の宇宙観を棄却し、「太陽に辿り着けるのでは」と考えた小梅氏は、夕日に向かって途轍もない距離を走った結果、先程まで夕日であった太陽が同時に朝日でもあることを知った。小梅氏は対象を指す言語は、対象を取り巻く状況に因って変化するのだと改めて指摘したのだ。
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@dayukoume 今作もまた西田哲学の“場”を念頭に置いている。実はナス場は🍆ではなく、“為す場”を示しており、この“為す場”とはまさしく西田哲学における、様々な現象が為される場を指している。スナからナスへの変異を通じ、小梅氏は“砂場で遊ぶ”という現象は”為す場“に依拠する事を見事に指摘したのだ。
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@dayukoume 嘗て人々には職業選択の自由は無く、固定的な生涯を送っていた。では近代以降はどうだろう。自由が謳われ、個人主義化していくに伴い、職業選択の規範は壊された。だが、我々の多くは未だ、好きな事を職には出来ていない。小梅氏は、誰もが“自己実現”の為に好きな事を職に出来る社会を構想したのだ。
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@dayukoume キリスト教の“隣人問題”を念頭に置く一作。原始共産主義的世界観に感銘を受け、きものちゃんと化した小梅氏だが、なんと“のけもの”とされてしまう。小梅氏は“フレンズ”を基督教における“隣人”に類する概念と定義し、恣意的にセルリアンを除け者とする『けものフレンズ』を痛烈に批判したのだ。
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@dayukoume さて、No(Not)という概念無しに我々は個物を個物として認識出来るだろうか。例えば、<男>は<女>(=not男)の存在により成立し、<私>は<私以外>(=not他者)の存在に依拠している。“No”の概念が無くなった小梅氏は、世界を分化出来ぬ“脳なし”の状態と化してしまったのだ。
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小梅氏の哲学エッセイである『まいチク』が書籍でなく、暦として上梓された事態には、恐らく小梅氏から我々への、日々を哲学して欲しいという願いが籠められているのであろう。マクルーハンも「メディアはメッセージである」と述べたが、暦という“メディア”を通じ、日々を哲学しては如何だろうか。 twitter.com/owarai_natalie…
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時に人々は、人間の精神は野生的なあり方に打ち克つ事のできる高尚なものと考えがちだが、その実、我々は眠気や排泄欲に敗れるなど、生理的欲求からは逃れ得ない。小梅氏は、リビドーを中心に精神を考えるフロイト的精神論を展開し、人間精神に対する我々の誤謬を見事に指摘して見せたのだ。挑戦作。 twitter.com/Astalos_pkpk/s…
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@dayukoume 隠された文字に注視すると…「“ク“が隠されていると思ったら、“シ“でした」…と読み替えられる。実は、クは“苦“を、シは“死“を指すのだ。我々は日常、逃れ得ぬ“死“という苦を秘匿し生きているが、一度「死の隠蔽」を自覚すれば最後、実存的不安に駆られ○○○!と発狂するのだと小梅氏は指摘したのだ。
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@dayukoume 我々が消費している「美」は、穴場であれど「桜の美」である事は変わらぬ。「美」が大衆化すると、「美を消費する事」がイベントと化し、「美そのもの」が蔑ろにされてしまう!と述べた小梅氏は、落とし穴という比喩を用い、穴場を探す人々は大衆と同調している事に変わりない!と警鐘を鳴らしたのだ。
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非常に優れた論考です。小梅氏の作品の類型化や集合論を用いての分析など、小梅学の研究として新たな試みが為されています。また、小梅氏を中心とした社会構造をフラクタル構造と指摘する社会学的考察も見事でした。 twitter.com/kenhori2/statu…
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@dayukoume アーレントは、動物が有する野生的なあり方をゾーエとした。例えば人間の性行為や排泄はこれに当たるが、公的には敬遠されている。一方、亀の排卵は神秘的なものとして語られている。ヒトのゾーエのみが秘匿される現状を憂慮した小梅氏は、野糞と亀の排卵が本質に於いて同一であると指摘したのだ。
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@dayukoume 言葉により世界を分化出来ぬ存在にとって、目に映る光景は「光景」ですらなく、まして「世界」ですら無い。その視覚情報は科学的原理に還元したもの……即ち光に過ぎないと言えるだろう。小梅氏は、「光」が言語を伴い初めてゴボウへと分化される様を描き、言語論的転回以降の視覚認識論を論じたのだ。
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@dayukoume フロイトは、妊娠欲のある女性同性愛者が飛び降り自殺した事例を分析し、独語のniederkommen(子を産む)が同時に“下に落ちる”という意を持つ事から、女性が飛び降り自殺したのではないかと述べた。この事例と同様、ロ〜ルケーキを見た小梅氏は、その言語的表象から目を“roll”し、回転死を遂げたのだ。
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@dayukoume ところで、フェニキア文字に「𐤄」という文字があるが、我々日本人からすれば…ヨのように見えるであろう。だが、実はこの「𐤄」は、フェニキア文字の後継であるギリシア文字やラテン文字に於いては「E 」にあたる文字なのだ。言語学者である小梅氏は一見ヨに見える文字がE に当たると解明したのだ。
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@dayukoume そも、アパートは集合住宅であり、部屋が無い事は有り得ない。そう、この物件は激安故、防音設備が無いのだ。小梅氏は、この住宅では他者に常に配慮する必要がある以上、最早私的な個々の部屋は無いと述べ、哲学者ルフェーブルの述べる「表象の空間」として、“一つの空間”と化していると指摘したのだ。
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@dayukoume ユクスキュルは、時間や空間は動物主体により、主観的に知覚されているとし、相対的な時間空間論である環世界論を唱えた。確かに、客観的には、全ての生物は同じ時間を生きるが、その「長さ」の知覚はそれぞれであろう。24時間を30秒の長さとして知覚した小梅氏は、環世界論を実証してみせたのだ。
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@dayukoume 🍒と爆弾という二語から、楽曲「さくらんぼキッス〜爆発だも〜ん〜」が示されている事は明白である。さて、クザーヌスは、完全に厳密な調和が見出せる曲は無いとした。クザーヌスの音楽論を理想視する小梅氏は、電波ソングを一例に出し、世界の楽曲は全て“歯抜け”(不完全)であると論じたのだ。問題作。
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@dayukoume シンガーらは、『大型類人猿の権利宣言』を著し、人類の権利を類人猿らに拡張する試みを為した。此れに感銘を受けチンパン高校の先生になった小梅氏であったが、🐵らが🍌を神と見做す物神礼拝を行い、🍌から王権を授かったとする王権神授説を唱える現状に「🐵は所詮畜生だ!」と憤ったのだ。問題作。
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@dayukoume 言語は何処から生じたのだろう。ミュラーはドンドン説を唱え、自然界の音にその起源を見出した他、エイヤコーラ説では、人々の掛け声が言語と化したとされる。小梅氏はワールドカップ開幕に際し、スルスル(ドンドン説)や、てやんでい(エイヤコーラ説)等を検証し、世界の言語の普遍的起源を探ったのだ。
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@dayukoume シュルレアリストであるブルトンは、フロイトの自由連想法に着想を得て、無意識の世界を描き出す「自動筆記」を提唱した。さて、連想という言葉や、支離滅裂な内容、その特徴の一つである主語の喪失などからして、今作が自動筆記の作品である事は自明である。小梅氏は見事に超現実を描いたのだ。駄作。
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@dayukoume フーコーは、近代以降、医学が目前の個人を病気の苦悩から解放するのではなく、「死ぬ病人」を統計的に減らすことを目的としているのだと分析した。W杯を麻酔代わりに視聴させられた小梅氏は、麻酔の経費を削減する医師を畜生!と非難し、改めてフーコーの述べる生命政治の構造を明らかにしたのだ。
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@dayukoume フロイトが提唱したエディプスコンプレックスの概念を念頭に置くと、小梅氏の息子が、父である小梅氏の殺害を試みている事が明らかになる。北斗神拳に目覚めた小梅氏の息子は、「タタタタタタタタ」と秘孔を突き、小梅氏を殺害する事に成功したのだ。遺作。