哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(リツイート順)

@dayukoume いつも支離滅裂だが、本作はより一層支離滅裂だ。何故だろう。ブルトンは『シュルレアリスム宣言』を著し、自動記述の手法を用いた奇妙なテクストを次々と著した。シュルレアリスム運動を現代で再び展開しようとする小梅氏は、その手法を大胆にも用い、支離滅裂な作品を描いてみせたのだ。傑作。
誰もいない森で木が倒れたらその音は存在するのか…同様に、高度な思考は、文字や音声を通じて初めて存在が認められるのではないか?文字言語を持たぬ人々や、非人間達の思考は歴史に埋もれている。小梅氏は、歴史に埋もれた思考を再発見する…それは当然、3億年前のゾウリムシと「同じ」思考なのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「親子関係」は、古今東西に存在する問題である。その関係は、親から子への贈与だけでなく、子から親への「返礼」を必要とする。母に「笑顔」をプレゼントした小梅氏だが、経済的な援助を必要とする母親は、非物質的な物の贈与しか行わない小梅氏を「畜生」と罵ってしまったのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
「ミーム」の語源の一つはギリシア語の「ミメーシス」であって、これは模倣という意味がある。新たなネタを作る時に、”以前の”コウメ太夫を模倣する…小梅氏は、「コウメ太夫さん」のネタを真似て、再帰的に増殖する。小梅氏は、ミームとしてのコウメ太夫の絶え間ない自己増殖を大胆に描くのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 前澤社長の100万円プレゼント企画は、100名と与えられる人数が限定されている。確かに抽選というと公平な様に思われるが、その過程は我々には公表されておらず、ブラックボックス的である。こうした事を踏まえた小梅氏は、真に平等なプレゼント企画を実施し、前澤社長を大胆にも批判したのだ。挑戦作。
本日4月20日は小梅氏の誕生日です。 おめでとうございます。
ANT(アクターネットワーク理論)を提唱した人物の一人、ラトゥールによると、ANT論者は、ant(アリ)の如く地道に探求を行わなければならないという。ANT論者である小梅氏は、「アメ」を含む不特定多数のアクターに囲まれ、めまいを起こすありんこ(ant)となり、その探究の困難さを畜生と叫ぶのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
@soshina3 @tikuporadio 粗品氏は、小梅氏の作品を「訳がわからん」と切り捨てている。然り。この作品は、訳がわからない…ナンセンスな作品だ。「胃がバヴ〜バヴ〜」という小梅氏が提示した“私的シニフィアン”に対し、そのシニフィエの領域は無かもしれない。だが、その無の領域を模索する事を小梅氏は求めているのでないか。
@dayukoume そもそも、何故お墓の前でスリラーダンスをしたのだろう。14世紀から15世紀にかけて、ヨーロッパでは死の恐怖を前に人々が踊り続ける「死の舞踏」という意匠が流行した。墓参りの折、我々が皆、“死”の運命から逃れられぬ事実に改めて気付いた小梅氏は、発狂し、死の舞踏としてスリラーを舞ったのだ。
「思想が強い」ことは、「弱い」ことよりも遥かにマシだ……しかし、現代の観客は、映画を社会から切り離し、無味無臭なものとして鑑賞したがる。映画マリオをめぐる言説はそれを明らかにした。小梅氏の作品は常に政治的意図を含み、思想が「強い」作品であるが故に、ブ〜イングを受けるのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume “私”を解体する「死」…そも、「私は死んだ」などという文章はナンセンスではないか。然り、だが、だとしても!小梅氏は幾度となく象徴的な死を繰り返すのだ。当に“清水の舞台から飛び降りる”が如く、決死の覚悟で自身の死をテクスト上で繰り返す氏は、死者を疎外する現代社会に反旗を翻すのだ。傑作。
人類は有機性と、それに伴う「死」の呪いにかけられている。人生は有限なのだ。しかし小梅氏は、その有限性の克服へ乗り出す。ハラウェイの「サイボーグ宣言」よろしく、「サイヴォ〜グ」と化した小梅氏であったが、その機械化も「期間限定」と、有限性から逃れられぬことに畜生と涙したのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 不条理は哲学に於いても度々論じられてきた。例えば哲学者カミュは、不条理を受け入れることを推奨した事で知られる。さて、小梅氏は人生に「明かり」を灯す事は不可能だと断じ、数々の不条理を謳いあげながらも、それを甘んじて受け入れ、“たのしいひなまつり”を過ごすのであった。不条理文学の傑作。
ある思想、或いはある価値観を「徹底」することは出来るのだろうか。例えば、倫理学的な価値規範を考えてみよ。功利主義や義務論など、「徹底」すると、その考え方自体に無理が生じうる価値観は多々ある。小梅氏は、ある価値規範を「徹底」することの困難と、そこに生じうる問題を指摘したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
めぼしい梅干しが無いということは、梅干しが平準化されていることが示されている。工業的な「大量生産」によって商品が次々と生産される現代社会では、商品の差異は無い方がよいものとなる。小梅氏は、商品品質の平準化がめぼしいものを失わせてしまうとして、梅干しの個性が失われたことを嘆くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 『象徴交換と死』を著したボードリヤールは、「死の象徴交換」によって大量消費社会に反旗を翻す事が出来ると説いた。自身の死を覚悟したまいチク…これはハイデガーの議論にも通ずる…により、本来性に目覚めた小梅氏は、死を疎外する現代のシステムに反旗を翻し、真のチクショウを説くのだ。傑作。
現在世界人口が約78億人と言われているので、およそ最下位に近いが、何故こうなってしまったのか。そう、「世界中の誰よりも」という言葉は、実際は「私の知っている誰よりも」という意味なのである。我々は、自身の「知」の枠組みから逃れられず、常に「既知」の枠組みから事象を判断してしまうのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume そも、アパートは集合住宅であり、部屋が無い事は有り得ない。そう、この物件は激安故、防音設備が無いのだ。小梅氏は、この住宅では他者に常に配慮する必要がある以上、最早私的な個々の部屋は無いと述べ、哲学者ルフェーブルの述べる「表象の空間」として、“一つの空間”と化していると指摘したのだ。
@dayukoume 驚嘆の記号である「!」は、エクリチュールの領域にのみ現れる。それに対し元来宗教的シンボルであった卍は、今やデリダの述べる反覆可能性により、「まじ卍」としてパロールに於いて驚嘆を示す。小梅氏は、機械音声などでは表現し難い「!」を、卍によって話し言葉の領域で表現できると指摘したのだ。
「砂山のパラドックス」は、人間の言語が曖昧であることを示す思考実験だ。それに対して小梅氏は、「1日1円」を実質無料と定義するならば、「100万円」もまた無料でないか、と実験を行う。そして、100万日=約2700年の悠久の時を生きた小梅氏は、自身の死にすら気付かぬままその実践を終えたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「時代が時代なら」がポイント。成功者と能力というのは、「時代」に依存する。ここで小梅氏はルッキズムを時代性と結びついて論じるが、その他の能力、例えば芸術や音楽の才などは縄文時代には役に立たない。我々が「実力」を発揮できるのは、その実力がその時代に適応したものであるからなのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
note.com/koume_philo/n/… こちらのツイートですが、noteにて考察を試みてみました。 twitter.com/dayukoume/stat…
彗星の存在は、様々な器機、論文といった資源を動員することによって「構築」される。あくまでそれは、実験室の中で構築された事実であり、より固い事実が構築されれば、過去の事実は覆される。小梅氏は、彗星がチワワという畜生だった事例から、科学的事実が粉砕され更新される様を描きだしたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 我々は、我々の身体を意識的にコントロール出来ると考えがちだが、その実、臓器などは不随意的であり、我々の意思と独立している。そう、高鳴る鼓動は誰にも、まして「私」ですら止められないのだ。私の身体の一部でありながら、「私」では操作不能な臓器機能に恐怖した小梅氏は、畜生と嘆いたのだ。
初めて辞書を手にしたばかりの幼き頃、「男根」などの言葉を引き、純粋に喜んでいた…そんな経験はないだろうか。国語辞典を購入し、卑猥な単語を引いた小梅氏は悟る。「国語辞典は子どもにとって、その他の単語の付録の付いたエロ本では無いか…?」と。童心に帰らせてくれる作品。 twitter.com/dayukoume/stat…