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かなりユニークな仮説です。
コウメ太夫は国家を揺るがす重大な事実を握っている|代理 @Dairijjjj #note note.com/apt_b2/n/n91bc…
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フーコーによれば解剖学的臨床医学への転換は19世紀ころに生じたという。解剖という近代科学的な行為は、常に主体である人間を特権化しており、解剖の対象は動物や死体などの客体だった。小梅氏はそれを逆転させ、畜生によって小梅氏自身が客体として生体解剖される様子を生々しく描いてみせたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume ここでのゾウは、象ではない。そう、“像”である。ド・ブロスは、動物やモノそのものを、偶像として崇拝する未開民族を観察し、その崇拝をフェティシズム(呪物崇拝)と定義した。バッタそのものを、神たる“像”として信仰していた小梅氏だったが、その妄信に気付き、畜生を信仰していた事態を嘆いたのだ。
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打ち上げは一見科学的な目的のみによって行われるように思われるが、それは対外的な政治闘争であったりもする(宇宙開発競争)。打ち上げは、社会的な諸関係によっても生じる…科学知識の社会学(SSK)を踏まえた小梅氏は、自身が打ち上げに社会的な意味を生じさせる「燃料」となっている事を述べたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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ママ友たちのランチに行ったら、「私ばっかり」だったという。「私以外私じゃないの」という曲が存在するが、小梅氏の主張はその逆で、「私以外も私である」という西洋近代の「自我」を溶解させるものである。間主観的なママ友ランチを通じて小梅氏は、西洋近代の図式を転覆させるのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume そもそも、何が〈私〉なのだろうか。実は、本作では主語が示されていない点が重要である。主語を示さず、「我思う」といった現象から、我…即ち私を消去する無主体論の立場をとる小梅氏は、意識状態の記述に於いては〈私〉という人称を不適切とし、It rains.のような非人称表現を重視するのだ。傑作。
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死を刻印された器~コウメ太夫論序説|谷頭 和希|note(ノート) note.mu/improtanigashi…
素晴らしい小論です。小梅氏のテクスト読解に於ける「死」というモティーフについて私自身再考の必要を感じました。
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どうやら、大阪大学コウメ太夫研究会が立ち上がったようです。「まいチク」研究がより深く行われる事が期待できます。応援しています。 twitter.com/OU_Koume/statu…
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「死んだふり」という仮死状態への移行…秩序の超越としての仮死を行う小梅氏。更にそこでクマによる獣姦及び死姦が行われる。秩序の撹乱として、「タブー」を破ることによって、我々は秩序を再構成する。小梅氏とクマの性行は、秩序の攪乱と再形成という、ダイナミズムの実践なのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume フロイトが提唱したエディプスコンプレックスの概念を念頭に置くと、小梅氏の息子が、父である小梅氏の殺害を試みている事が明らかになる。北斗神拳に目覚めた小梅氏の息子は、「タタタタタタタタ」と秘孔を突き、小梅氏を殺害する事に成功したのだ。遺作。
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全部同じでは、と言いたくなるが少し考えよう。「親指が痛い」という出来事は、全て同じに見えて、通時的に生起し続けている出来事だ。つまり、ある瞬間の親指の痛さと、異なる瞬間の痛さは、異なる出来事なのだ。小梅氏は、意識の流れの中において生起し続ける痛みそれぞれをランクインさせたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume ダーウィンに影響を受けたスペンサーが提唱した「適者生存」の概念を援用した一作。スペンサーは、生物個体が「生存闘争」を行うとし、そこに進化の原動力を見た。わかめ研究家でもある小梅氏は、「わかめは、他のわかめを“喰らう”」と比喩的に述べ、わかめの生存競争を見事に描き出したのだ。傑作。
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@dayukoume 『監獄の誕生』を描いたフーコーは、パノプティコンのモデルに着想を得て、不可視の他者の眼差しが社会領域に於いて我々を規律化し、支配しているのだと指摘した。インスタ映えの手段に用いられるタピオカを、適切に食す事が規律化される…小梅氏は、タピオカランドもまた刑務所なのだと指摘したのだ。
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秩序の逸脱者としての変態。パラレルワ〜ルドの「私」は、「あり得たかもしれない他の可能性」だ。男女の越境を行うこの世界の小梅氏はクィア的だが、他世界の小梅氏もまた、他のあり方での秩序の攪乱を行っていた。小梅氏は自身の哲学のため、どの世界でも一貫して、逸脱者として振る舞うのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「遊戯王」などのカードは、ゲームバランスの都合により、「禁止カード」になってしまう場合がある。「強欲な壺」のカードを入手した小梅氏であったが、禁止カード故に値段が安いことに憤る。小梅氏は、禁止カードの制定はユーザー間の自由市場を破壊する行為だとして、KONAMIを「畜生」と罵るのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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本日投稿したnoteがなんと、コウメ太夫氏本人にリツイートを頂きました。
ありがとうございます。 twitter.com/koume_philo/st…
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その起源が如何なるものであれ、「バレンタイン」は、現代日本においては男/女という性規範に基づいた年中行事と化している。「コウメ太夫」は男/女の二項対立を混乱させ、解体する…小梅氏は、旧態依然とした「男/女」の二項の破壊者として収監されることとなってしまったのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume 春が来ないとはどういう事だろう。女神ペルセポネは、一年の1/3を冥府で過ごし、春の訪れと共に春の女神として地上に現れるとされる。さて、これを踏まえると、小梅氏の元に春が到来していない事から、小梅氏が冥界の神である事が分かる。小梅氏は、自身が冥界の神ハデスである事を示したのだ。傑作。
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なぜ、ボ〜ナス20円を貰ったことが臨死体験になるのか。20円はボ〜ナスとしては安すぎる。しかし明治時代ころの貨幣価値ならボ〜ナスとして十分だ。過去の存在になること…それはまさしく臨死体験ではないか。「死」とは、過去の存在になることにほかならないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume デカルトは、方法的懐疑にて、様々な「疑い得る」物を”消去”していき、最後に考える「私」を自明な存在として打ち立てた。しかし小梅氏の方法論は逆だ。そう、第一に「私」という存在を消去してみせるのだ。小梅氏のチクショ〜去法は、「自明な私」というデカルトの第一原理に立ち向かうのだ。傑作。
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@dayukoume 自分を捨てるとは如何なることか。「自我」や、「意識」を想定する考えは、西洋哲学に於いては主流であるが、仏教思想の文脈から「自分」という前提を捨てる事を提案した小梅氏は、西洋哲学の伝統を破壊し、「我」を前提とする哲学に対し、「〈我〉の断捨離をせよ!」と堂々たる批判をしたのだ。傑作。
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@dayukoume 窶ェ繧ィ繧ッ繝ェ繝√Η繝シ繝ォ縺ョ鬆伜沺縺ォ迴セ繧後k縲梧枚蟄怜喧縺代?阪□縺後?√◎縺ョ諢丞峙縺輔l縺滓э蜻ウ蜀?ョケ縺ッ螟壹¥縺ョ蝣エ蜷域嶌縺肴焔縺ォ縺励°蛻?°繧峨↑縺??や?ヲ蜷ヲ縲∝ー乗「?ー上?窶應ス輔b諢丞峙縺励※縺?↑縺??昴?縺ァ縺ッ縺ェ縺?°?溷ッセ雎。諤ァ繧貞?縺乗戟縺溘〓譛ャ
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海外に行くことは、自文化中心主義を逃れ、文化相対主義のまなざしを養うことになる。確かにそれは、人生観を涵養する事になるが、その変化を30度だとかいった数字に還元する事は出来るだろうか。小梅氏はインドに行く事で、あらゆるものを数字に還元する態度を反省し、イン度という表現を用いたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume 自/他は、対立する概念と見做される事が多いが、果たしてそうなのだろうか。ベランダに現れた“何者か”は、その得体の知れなさから我々に恐怖を与える。そう、我々は他者が真に何を考えているか、絶対に知りようが無いのだ。小梅氏は体験を以って自/他の非対称性と、その得体の知れなさを指摘したのだ。
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九州大学でもコウメ太夫研究会が発足したようです。
次々とコウメ太夫研究会が発足し、益々小梅学研究が深まる事に期待が持てます。
頑張ってください。 twitter.com/QU_Koume/statu…