小梅氏が「コウメ太夫」であるのは、カツラ、着物、白粉の「3種の神器」が揃ってこそだ。まいチクが我々の聖典たりえるのは、赤井貴(小梅氏の本名)ではなく、「コウメ太夫」の言葉だからである。我々チクシストは、後20年は小梅氏が「コウメ太夫」を続けることに安堵するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
我々人間が死へと向かっていく存在であることに自覚的になれと説いたのはハイデガーだった。そして小梅氏は、「自らへ向かってくる死」にも自覚的になる。そうめんが喉に詰まる可能性を見出した小梅氏は、流れてくるそうめんを死神に例え、日常に潜む死のリスクを避けるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
店員さんが半額シ〜ルを小梅氏に貼る…つまり「人間を経済的な価値に還元する」ことに他ならない。現代の我々は教育に費用が費やされ、「人材」として産み出される。給与の高低にはその人間の経済的価値が反映されることがあるだろう。小梅氏は、「人」を経済的指標に還元する現代社会を風刺するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
学部生の皆さんはそろそろ卒論を書き始めなければならない時期ですが、いかがお過ごしでしょうか。 もし、卒論のテーマが決まっていないのであればコウメ太夫氏を卒論のテーマに扱ってみるのも面白いかもしれません。 是非ご一考ください。
なぜ、ボ〜ナス20円を貰ったことが臨死体験になるのか。20円はボ〜ナスとしては安すぎる。しかし明治時代ころの貨幣価値ならボ〜ナスとして十分だ。過去の存在になること…それはまさしく臨死体験ではないか。「死」とは、過去の存在になることにほかならないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
このように、私の考察を楽しみにしてくださっている方が多くいます。 しかしながら、私の力不足のため全てのツイートを考察することができません。 手のひらから溢れていく砂のように、小梅氏のまいチクは掴みどころがないものです。 最近は一層その傾向が顕著になっています。 申し訳ございません。
まいチクを海外へと発信しようと英訳を行っている方がいるようです。 私は、小梅氏は現代のジェイムズ・ジョイスなのではないかと思っています。 小梅氏のまいチクは、「インターネット時代の『フィネガンズ・ウェイク』」として、海外で高い評価を得るかもしれません。
まいチクの英訳は困難です。例えば、上の句の主語を「I」とすることは正しいことなのでしょうか。 また、「女の子になっちゃう体質」を持つ人物を「you」としていますが、これも曖昧です。下の句を踏まえると「ET」なのかもしれませんが判然としません。 まいチクの英訳は数多の問題を抱えています。
「実質無料」の物は数多存在する。我々人間を経済的合理性を備えた存在とするなら、当然有料の物より無料の物を選ぶ。しかし…例えば"ソシャゲ"など…「無料」を謳うものは巧みに金銭を払うよう促してくる。「実質無料」の物でありながら、金銭を払ってしまう経済的不合理性を小梅氏は畜生と嘆くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「職業」というより”食料”ではないか、というツッコミ待ちの作品。とはいえ小梅氏が食料になることがあり得るのだろうか。ある物が食料になるという事は、そのものが「死」を迎えた事を意味する。つまり小梅氏は「芸人やってなかったら」、死んでいたのかもしれないのだという事を諧謔的に述べるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「チ▽コ」に注目。この▽は伏字でもあるが、象徴的男性器(ファルス)の欠如を表しているのでないか。ここで問題なのは、(精神分析的な意味での)象徴的ファルスが去勢されているかどうかである。小梅氏は、幼児期に去勢される象徴的男性器が、無意識の底に沈んでいる事をポコ”沈“という表現で示すのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
全ての日が木曜日になっている。どのような意味があるのだろう。我々がよく知る象徴的な「木曜日」といえば…そう、ウォール街大暴落の「暗黒の木曜日」だ。今現在、そのような悲惨な状況は見当たらないが、もしかするとこれは、小梅氏なりの「暗黒の木曜日」再来の予言と警鐘かもしれない。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
我々の身体は有機的な繋がりの元に作用するのだが、その一部が切り離されると、それは「私」の一部分ではなくなる。ここに部分的な死が生じる。「顔の〜部」を切り離した小梅氏は、それが「ありんこ」等によって処理される様を見事に描写し、経験不可能な「一人称の死」を部分的に経験したのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
よく小梅氏は哲学と倫理学だけは得意だったと言及しています。 こちらの動画を是非みなさんもご覧ください。 田村淳とコウメ太夫、サシでトーク番組するとこうなる。 youtu.be/jmmBT-F1lSQ @YouTubeより
「意味が明らかに通っていない」まいチクについて、私は「哲学的」という言葉を使っていません。むしろ、「シュルレアリスム」という言葉を用いています。哲学は無意味の学問ではないからです。しかしながらメディアは、「無意味」と「哲学」を混同し、嘲笑めいた眼差しを小梅氏に向けます。
ひとつ、問題にしなければならないことは、最近小梅氏がメディアにおいて「哲学的」と、ある種の嘲笑めいた紹介をされている現実があることです。 私自身、この問題の責任の第一人者であるのですが、ここでの「哲学的」は、「意味不明」と同質のものとして扱われていることが問題です。
近年の小梅氏の作品は確かに「哲学的」と評されますし、小梅氏自身は、その反応を期待して作品を制作している節があります。その責任の一端は私にあります。申し訳ございません。 私個人は、また、数年前の「チンパンジ〜」路線の小梅氏の顔を覗かせてくれると嬉しいと思っているのです。
止まり方を知らないおばあちゃんは、停止無き、不断の運動へと向かう。老婆は、永遠に続くその滑走を止めることができないのである。小梅氏はそのことを悲劇であるかの如く「畜生」と嘆く…かくして”永遠”になった老婆は、補陀落渡海の渡海船の如き、スノ〜ボ〜ドの上で即身仏となったのかもしれない。 twitter.com/dayukoume/stat…
「砂山のパラドックス」は、人間の言語が曖昧であることを示す思考実験だ。それに対して小梅氏は、「1日1円」を実質無料と定義するならば、「100万円」もまた無料でないか、と実験を行う。そして、100万日=約2700年の悠久の時を生きた小梅氏は、自身の死にすら気付かぬままその実践を終えたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
初めて辞書を手にしたばかりの幼き頃、「男根」などの言葉を引き、純粋に喜んでいた…そんな経験はないだろうか。国語辞典を購入し、卑猥な単語を引いた小梅氏は悟る。「国語辞典は子どもにとって、その他の単語の付録の付いたエロ本では無いか…?」と。童心に帰らせてくれる作品。 twitter.com/dayukoume/stat…
ドゥルーズ=ガタリ的に言えば、我々の欲望は、つねに散乱しているものだ。二手の道の「どちらか」を選ばなければならない…それは、我々の身体が一つであるが故に生じている。小梅氏の欲望は二手の道の「どちらも」を求める。小梅氏の精神の分裂は、本来あり得ぬ身体の分断を生じさせたのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
人類は有機性と、それに伴う「死」の呪いにかけられている。人生は有限なのだ。しかし小梅氏は、その有限性の克服へ乗り出す。ハラウェイの「サイボーグ宣言」よろしく、「サイヴォ〜グ」と化した小梅氏であったが、その機械化も「期間限定」と、有限性から逃れられぬことに畜生と涙したのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
F.フクヤマは、『歴史の終焉』において、民主主義と自由経済が勝利し、社会制度の発展が終結するという状況を「歴史の終焉」とした。フクヤマの議論は、ヘーゲル的な弁証法の図式に則っているが、歴史が終焉するとその図式は更新されなくなる。(続) twitter.com/dayukoume/stat…
小梅氏は一体なぜ「嘆き込ん」だのだろう。「みそら~めんにぽちゃん」の一節から伺えるように、小梅氏が「川」の水質汚濁を嘆いているのは明らかであろう。絶滅危惧種とされているメダカが、「みそら~めん」のような水質の川に「ぽちゃん」している状況を嘆く小梅氏はその思いを「畜生」と綴るのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
その起源が如何なるものであれ、「バレンタイン」は、現代日本においては男/女という性規範に基づいた年中行事と化している。「コウメ太夫」は男/女の二項対立を混乱させ、解体する…小梅氏は、旧態依然とした「男/女」の二項の破壊者として収監されることとなってしまったのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…