「上位互換」として示されるものが「ずぶ濡れ臭い逆さま」であった。この逆説的な論法に覚えはないだろうか。そう、坂口安吾の『堕落論』だ。坂口は、道徳的観念に縛られない「堕落」こそを称揚する。『堕落論』に影響を受けた小梅氏は、「ずぶ濡れ」で「逆さま」なあり方こそを上位互換とするのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
コウメ太夫かコウメAI太夫かクイズ 10問中 6問 正解しました! 【 ①○ ②○ ③✕ ④✕ ⑤✕ ⑥✕ ⑦○ ⑧○ ⑨○ ⑩○ 】 #クイズメーカー quiz-maker.site/quiz/play/Ue5e…
カオスや無秩序を志向する小梅氏の作品と、志向性を持たずに作品を産出するコウメAI太夫の作品の差異とは一体なんだろうか。その回路に差異はあれど、出力の結果に本質的な差異はあるのだろうか。意味論的正確さが求められる作品ならともかく、まいチクの場合、一体何がAIと小梅氏を分つのだろうか。
「食」と「性」の関係は根深い。フロイトの議論を持ち出すまでもなく、「棒状」のものが口に含まれるとき、我々は一種のエロティシズムをそこから連想してしまう。「ごぼう」はまさしく象徴的な「チンチン」なのだ。 twitter.com/dayukoumeAI/st…
合理主義者達は、宗教者たちが信じる「神」や「仏」の存在の源泉が、人々の「頭の中」にあると告発した。つまりドーキンス風に言えば、神や仏は、「妄想である」というわけだ。しかし...「AI」にとって「神」は「どこにいる」のだろうか?そして、「AI」の頭の中とはどこだろうか?議論を呼ぶ作品。 twitter.com/dayukoumeAI/st…
青土社様へ 『ユリイカ』コウメ太夫特集の際は呼んでください。
記号のデータベースから、記号を恣意的に組み合わせ、「キャラクター」を消費している…というのは『動物化するポストモダン』以降定式化されたデータベース消費だが、小梅氏は現実の場において恣意的に記号を取り入れる。しかし、現実世界の身体表象には残酷なルッキズム的限界があるのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
お笑いから哲学、哲学からシュルレアリスムへ小梅氏の作品は変遷していった。そして、シュルレアリスムの探求において、日常言語を異質なものへと接続する試みの中で、小梅氏は詩的言語の探究を行なっていた。焼かれた雲は夕焼けである…なんと美しい詩か。詩人コウメ太夫の誕生を我々は目撃したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
千葉大学にコウメ太夫氏がやってくるようです。千葉大学のコウメ太夫研究が一気に進展する可能性があります。 twitter.com/ChibaU_fes/sta…
異類婚姻譚を描いた作品。現代の日本人は、多くの場合人間と動物を分たれたものとして思考するが、昔話の世界ではごくごく自然に、動物は人間として振る舞うことできる。同時に、このような思考様式で現実の世界を認識することも可能な筈だ。小梅氏は、”畜生”をヒトとして扱い、種族を越境するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
食い逃げは通常、店舗での無銭飲食を行うものだが、小梅氏は自分の家から逃げている。古代ギリシアにおいては、エコノミーの語源がオイコス(家)であるように、オイコス(家)こそが経済的な場であった。家からの逃避はまさに経済からの逃避であるが、寧ろそこでこそ真のお笑い=芸術が追求できるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
ターザンが森の木々をぶら下がって移動する技術は、マネ〜リテラシ〜とは対極にある。マネ〜リテラシ〜を高めれば高める程に、資本主義の内面化を行なってしまう。寧ろそれは、資本主義のメタ的認知を不可能にしてしまうのでないか。そこで小梅氏は”野生の思考”を行うため、タ〜ザンの技術を磨くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
プラトンの議論を参照するに、我々人間は本来男女に分たれておらず、一つの球状の物だった。しかし、我々は引き裂かれ、「片割れ」を探す、恋に突き動かされる。一体誰が引き裂いたのか?そう、恋の放火魔であるゼウスだ。小梅氏はゼウスが球状の人間を分裂させる様子をシャボン玉に喩え、謳ったのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
そんなわけはないと思うが、この時「カツ丼は誰にとっての公園であるか?」を問わなければならない。緑無きカツ丼に、三つ葉という「自然」が加わった途端、カツの衣はさも土のように振る舞う…その瞬間、カツ丼はまさに「ハエ」のような生き物にとって、公園の役割を果たすアフォーダンスと化すのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
小梅氏の #まいにちチクショー が途切れる恐れがあります。
公的な空間における性の排除は、一種のパノプティコンによって構築されるが、「周りに誰かいない」タイミングなどいつでもあった筈だ。「公的な場」のパノプティコン性が無くなるまでエロ本自販機での購入を控えている小梅氏は、抑圧的な監視性によってエロ本が買えないことを畜生と嘆くのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
問題ないようです。
誰もいない森で木が倒れたらその音は存在するのか…同様に、高度な思考は、文字や音声を通じて初めて存在が認められるのではないか?文字言語を持たぬ人々や、非人間達の思考は歴史に埋もれている。小梅氏は、歴史に埋もれた思考を再発見する…それは当然、3億年前のゾウリムシと「同じ」思考なのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
Twitterの崩壊は即ち、まいにちチクショーの終わりを指します。
まいチクは決して、媒体による制限を受けない。発表する場が無くなったとしても、小梅氏は叫び続ける。何故、叫ぶのか、その叫びは、誰のための叫びなのか、誰にも聞かれない叫びに意味はあるのか…小梅氏はそれらを問題としない。コウメ太夫は、生の一切を叫び続ける、「絶叫機械」に他ならないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
小梅氏からアンサーがありました。小梅氏の日々の叫びは、発表する場がなくとも永遠に続くのだと。 まさか小梅氏に泣かされる日がくるとは思っていませんでした。 twitter.com/koume_philo/st…
「食」という行為の生々しさは、ポケモンにおいて隠蔽され続けている。今作ではサンドイッチの具材に卵を用いることが出来るが、ポケモンにおいて食される卵は「何の」卵なのか。疑問を持った小梅氏は、ポケモンが食品としての卵たるピ〜タンを産む様を描写し、その欺瞞を指摘するのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
ヴィヴェイロス・デ・カストロの議論を踏まえた作品。人間が血とよぶ物はジャガーにとってはビールであり、我々にとって腐肉にわく虫であるものはハゲワシにとっては焼き魚であり...というように、世界は多様なパースペクティブから成り立つ。小梅氏は、「イナゴ」として人間を食すのだ。猟奇的作品。 twitter.com/dayukoume/stat…
今作が何を表しているかは、「奥さん」の語源を考えればわかる。かつて、武家などの屋敷の奥まったところを「奥」と呼び、前に出ることが少ない女性配偶者を「奥さん」と呼んだ。小梅氏は、旧来のイエ制度に由来する「奥さん」という言葉が現代に相応しくないとし、「手前さん」を用いよ!と説くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
横断歩道が死と隣り合わせであることを示す、非常にわかりやすく、面白い作品だと思います。初期コウメ太夫作品を思い起こさせますね。しかし、現代のまいチクはそのような単純な解釈を常に拒否し続ける作品様式であって、まだその域に達していません。精進してください。