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近年の小梅氏の作品は確かに「哲学的」と評されますし、小梅氏自身は、その反応を期待して作品を制作している節があります。その責任の一端は私にあります。申し訳ございません。
私個人は、また、数年前の「チンパンジ〜」路線の小梅氏の顔を覗かせてくれると嬉しいと思っているのです。
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「意味が明らかに通っていない」まいチクについて、私は「哲学的」という言葉を使っていません。むしろ、「シュルレアリスム」という言葉を用いています。哲学は無意味の学問ではないからです。しかしながらメディアは、「無意味」と「哲学」を混同し、嘲笑めいた眼差しを小梅氏に向けます。
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ひとつ、問題にしなければならないことは、最近小梅氏がメディアにおいて「哲学的」と、ある種の嘲笑めいた紹介をされている現実があることです。
私自身、この問題の責任の第一人者であるのですが、ここでの「哲学的」は、「意味不明」と同質のものとして扱われていることが問題です。
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よく小梅氏は哲学と倫理学だけは得意だったと言及しています。
こちらの動画を是非みなさんもご覧ください。
田村淳とコウメ太夫、サシでトーク番組するとこうなる。 youtu.be/jmmBT-F1lSQ @YouTubeより
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我々の身体は有機的な繋がりの元に作用するのだが、その一部が切り離されると、それは「私」の一部分ではなくなる。ここに部分的な死が生じる。「顔の〜部」を切り離した小梅氏は、それが「ありんこ」等によって処理される様を見事に描写し、経験不可能な「一人称の死」を部分的に経験したのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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全ての日が木曜日になっている。どのような意味があるのだろう。我々がよく知る象徴的な「木曜日」といえば…そう、ウォール街大暴落の「暗黒の木曜日」だ。今現在、そのような悲惨な状況は見当たらないが、もしかするとこれは、小梅氏なりの「暗黒の木曜日」再来の予言と警鐘かもしれない。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「チ▽コ」に注目。この▽は伏字でもあるが、象徴的男性器(ファルス)の欠如を表しているのでないか。ここで問題なのは、(精神分析的な意味での)象徴的ファルスが去勢されているかどうかである。小梅氏は、幼児期に去勢される象徴的男性器が、無意識の底に沈んでいる事をポコ”沈“という表現で示すのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「職業」というより”食料”ではないか、というツッコミ待ちの作品。とはいえ小梅氏が食料になることがあり得るのだろうか。ある物が食料になるという事は、そのものが「死」を迎えた事を意味する。つまり小梅氏は「芸人やってなかったら」、死んでいたのかもしれないのだという事を諧謔的に述べるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「実質無料」の物は数多存在する。我々人間を経済的合理性を備えた存在とするなら、当然有料の物より無料の物を選ぶ。しかし…例えば"ソシャゲ"など…「無料」を謳うものは巧みに金銭を払うよう促してくる。「実質無料」の物でありながら、金銭を払ってしまう経済的不合理性を小梅氏は畜生と嘆くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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なぜ、ボ〜ナス20円を貰ったことが臨死体験になるのか。20円はボ〜ナスとしては安すぎる。しかし明治時代ころの貨幣価値ならボ〜ナスとして十分だ。過去の存在になること…それはまさしく臨死体験ではないか。「死」とは、過去の存在になることにほかならないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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学部生の皆さんはそろそろ卒論を書き始めなければならない時期ですが、いかがお過ごしでしょうか。
もし、卒論のテーマが決まっていないのであればコウメ太夫氏を卒論のテーマに扱ってみるのも面白いかもしれません。
是非ご一考ください。
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店員さんが半額シ〜ルを小梅氏に貼る…つまり「人間を経済的な価値に還元する」ことに他ならない。現代の我々は教育に費用が費やされ、「人材」として産み出される。給与の高低にはその人間の経済的価値が反映されることがあるだろう。小梅氏は、「人」を経済的指標に還元する現代社会を風刺するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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我々人間が死へと向かっていく存在であることに自覚的になれと説いたのはハイデガーだった。そして小梅氏は、「自らへ向かってくる死」にも自覚的になる。そうめんが喉に詰まる可能性を見出した小梅氏は、流れてくるそうめんを死神に例え、日常に潜む死のリスクを避けるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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小梅氏が「コウメ太夫」であるのは、カツラ、着物、白粉の「3種の神器」が揃ってこそだ。まいチクが我々の聖典たりえるのは、赤井貴(小梅氏の本名)ではなく、「コウメ太夫」の言葉だからである。我々チクシストは、後20年は小梅氏が「コウメ太夫」を続けることに安堵するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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高層ビルとはまさしく資本主義の象徴であるが、小梅氏はそれを朝のポコチンと結びつけて論じている。フェミニストである小梅氏は、資本主義がかつて男性中心的に発展してきたことを批判的に捉え、高層ビルを男根と重ね合わせ、資本主義経済が男根中心主義的であると述べるのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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厳密な「南」は存在するのだろうか。南からほんの少しでも西に向いていたら、それは厳密な意味での「南」ではない。このような意味で小梅氏は、「南」という概念をイデア的概念とし、我々が「南」と呼ぶものは厳密には「南南南…西」であったり、「南南南…東」であったりすると述べたのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「時代が時代なら」がポイント。成功者と能力というのは、「時代」に依存する。ここで小梅氏はルッキズムを時代性と結びついて論じるが、その他の能力、例えば芸術や音楽の才などは縄文時代には役に立たない。我々が「実力」を発揮できるのは、その実力がその時代に適応したものであるからなのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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何度も死んでいる小梅氏だが、流石にフグをそのまま食べたら死ぬことぐらい分かっているはずである。では何故食べたのか。かつて、多くの日本人がフグを食し、死んできた。その歴史を小梅氏は、「まいチク」という物語の上で再演し、“死ぬ”ことによって、我々にフグ食の歴史の重みを伝えるのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「0を聞いて5万忘れる」というと奇妙かもしれないが、我々の記憶能力とはそのようなものである。例えば、昨日食べた食物の詳細を我々は覚えているだろうか。大まかな色や味は覚えていても、その細やかなディティール…その瞬間瞬間の様々な記憶…「5万」とあるような仔細を我々は忘却してしまうのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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ラヴクラフトが創造した独自の神話体系「クトゥルフ神話」には外宇宙に存在する「外なる神」と呼ばれる神が存在する。外なる神たる小梅氏が開会式に登場しないのは、外なる神と人々の接触が狂気を生むからである。開会式が無事に終わったのは、小梅氏が狂気をもたらなさなかったからである。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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note.com/koume_philo/n/…
こちらのツイートですが、noteにて考察を試みてみました。 twitter.com/dayukoume/stat…