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ラヴクラフトら作家たちの間で作られた創作神話「クトゥルフ神話」をモチーフにした作品。宇宙の外側に住む小梅氏は、クトゥルフ神話における「外なる神」である可能性が高い。今作では、「外なる神」の視点から膨張する宇宙と、宇宙の外側との拮抗が描かれているのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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小梅氏の元に訪れた招待は、まさしく死者からの招待に他ならない。まいチクを遡るとわかるが、臨死体験を繰り返す小梅氏は、死と生を反復するバタイユ的実践者である。自ら死ぬだけでなく、死者の側からの招待を得た小梅氏は、死の実践を通じ、ついに死者とのコンタクトを獲得する事に成功したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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ニーチェの概念である「力への意志」は、より強いものになろうとする意志で、人間が自然を支配するようになるプロセスにおいても発揮された。その一助として人間は技術を用いたわけだが、果たして人は完全に自然を支配できるのだろうか。技術を用い自然を支配せんとする小梅氏は、太陽に敗北したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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メインディッシュとしての「唐揚げ」は主体ではない。ただの「被造物」だ。さて、人間が作り出した「被造物」である唐揚げが裸を「恥」と認識したらどうなるだろう。当然、パンツを履きたくなる。禁断の果実…恐らくレモン…を味わった唐揚げは、「恥」に気付き、主体としての生を歩み始めるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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こちらのチクショー!ですが既に解説しています。
宇宙の深淵に立った小梅氏は、一種のヌミノーゼを果たしたのかもしれませんね。 twitter.com/koume_philo/st…
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公認されない理由は小梅氏の哲学のスタンスにあるのだろう。小梅氏の哲学は「畜生」の哲学である。畜生…つまり、動物を人間より優位においたり、或いは幾度となく死を繰り返し、「死」の価値を認めるなど、価値の転覆をその思想の根底に置いている。Twitter者は価値の革命者を「公認」できないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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エロ漫画の如き表現であるがよく考えてみよう。「性」に対し、本能を解き放つ行為が「おかしくなっちゃう」事であるならば、我々の「動物的本能」は“おかしな“ものなのだろうか。小梅氏の哲学は一貫している。性行為をせずとも我々は“おかしい“のだとし、小梅氏は我々の中の動物性を強調するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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ユクスキュルの環世界論的立場からの記述を行なった作品。例えば、ハエトリ草などの食虫植物に足を踏み入れる虫たちの立場を考えてみよう。「栄養かと思ったら〜、縄張りでした〜。」という記述がまさに当てはまるではないか。環世界論的視座から、“畜生“たちのいきいきした生を描き切った作品。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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マイケル・ジャクソンの舞いのミメーシスを行う小梅氏。「白塗り」を行い、白人に憧れたマイケル・ジャクソンに扮する小梅氏のその行いは、道化的皮肉なのだろうか。死者、或いは亡霊的存在として現-前する小梅氏は、生と死、人種的対立項、男/女といったあらゆる対立項を撹乱し、再形成するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「何が」溶けるのだろうか。主語が省略される小梅氏の文章は、読者にその解釈を委ねる。シュルレアリスムの形式を取ることを踏まえれば、ブルトンの著作『溶ける魚』を念頭に置いているのだろう。小梅氏にとって菅総理の政治は、期待することは何もない、シュルレアリスム的に“溶けて“いくものなのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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パプセルをカプセルの誤字と解すると、宇宙ではやぶさ2が収集した成果が「私」であることがわかる。ルネサンス思想の典型として、我々人間を「宇宙」に対応する「小宇宙(ミクロコスモス)」と捉える思想があった。この宇宙論の視座に立つ小梅氏は、はやぶさ2の収集物たる宇宙の一部に「私」を見るのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume デカルトは、方法的懐疑にて、様々な「疑い得る」物を”消去”していき、最後に考える「私」を自明な存在として打ち立てた。しかし小梅氏の方法論は逆だ。そう、第一に「私」という存在を消去してみせるのだ。小梅氏のチクショ〜去法は、「自明な私」というデカルトの第一原理に立ち向かうのだ。傑作。
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@dayukoume 最早哲学的解釈以前の問題である。本格的にシュルレアリスムの境地に入った小梅氏の作品を解釈すること自体が誤りなのではないか。小梅氏は我々を嘲笑い続ける。まいにち「チクショー」を叫ぶべきなのは、読者の方かもしれない。
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何故小梅氏が「機械(怪)人形」の役を任されているのだろうか。小梅氏の「動き」を思い返してみよう。小梅氏の「ぎこちなさ」は、さも出来の悪い「ロボット」のようだ。岡田美智男の述べる〈弱いロボット〉のような小梅氏のあり方は、我々にとって、機械的であり、奇怪に見えるものなのだろう。 twitter.com/airachaaaaaan/…
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本日、『まいにちチクショーで学ぶ 哲学入門』を出版させて頂くこととなりました。カントやニーチェなどの代表的哲学者の思想だけでなく、現象学やポスト構造主義、フェミニズムや精神分析など、多岐に渡る思想を網羅した一冊となっています。「まいチク」を通じ、まいにちを哲学してみてください。
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@dayukoume ハイデガー的「死への存在」を描く『100日後に死ぬワニ』におけるワニ君の死後、多数の商業展開が行われた。この商業化された「死」を、一部の人々は「電通案件」と呼んでいる。では、小梅氏はどうか。小梅氏は、自身の「まいチク」内での「死」が、決して商業化され得ないものだと強調するのだ。
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時に、「コウメ太夫はまいチクに哲学的な意図など込めていない!」という声が聞こえてきますが、「哲学と倫理学だけは出来た」と小梅氏自身が述べています。
この発言は、小梅氏の作品に哲学的意図が込められている事を十分に証明するものと言えるでしょう。 twitter.com/hondashizumaru…
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@dayukoume 「まいにち死ぬ」という奇妙な一節は、まさしく小梅氏の思想的実践を示している。まいチクの作者である小梅氏は、バルト的な「作者の死」や、作中での「象徴的な死」を幾度も繰り返す。小梅氏は、一度限りの「死への存在(Sein zum Tode)」たる“ワニ君”と自身のあり方の違いを強調するのだ。傑作。
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@dayukoume チ◯◯ョ◯ならば、「ク,シ,ウ」が入るに決まっている…そうだろうか。これは既に大阪大学の皆さんが指摘している事だが、本作は、読者の多様な解釈可能性を積極的に肯定するバルトのテクスト論を踏まえた作品である。或いは、まいチクそのものがテクスト論的試作だと小梅氏は主張しているのだ。傑作。
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@dayukoume ホロン的ヒエラルキーに関する議論を先日行った小梅氏。そのヒエラルキーの下層部は当然下層に向けて開かれている…だが、その構造は無限なのだろうか。構造論を研究し、ヒエラルキーは下方に於いて有限である事を突き止めた小梅氏は、自身がそこに位置付けられる可能性を憂慮し、畜生と嘆くのだ。