哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(新しい順)

問題ないようです。
公的な空間における性の排除は、一種のパノプティコンによって構築されるが、「周りに誰かいない」タイミングなどいつでもあった筈だ。「公的な場」のパノプティコン性が無くなるまでエロ本自販機での購入を控えている小梅氏は、抑圧的な監視性によってエロ本が買えないことを畜生と嘆くのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
小梅氏の #まいにちチクショー が途切れる恐れがあります。
そんなわけはないと思うが、この時「カツ丼は誰にとっての公園であるか?」を問わなければならない。緑無きカツ丼に、三つ葉という「自然」が加わった途端、カツの衣はさも土のように振る舞う…その瞬間、カツ丼はまさに「ハエ」のような生き物にとって、公園の役割を果たすアフォーダンスと化すのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
プラトンの議論を参照するに、我々人間は本来男女に分たれておらず、一つの球状の物だった。しかし、我々は引き裂かれ、「片割れ」を探す、恋に突き動かされる。一体誰が引き裂いたのか?そう、恋の放火魔であるゼウスだ。小梅氏はゼウスが球状の人間を分裂させる様子をシャボン玉に喩え、謳ったのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
ターザンが森の木々をぶら下がって移動する技術は、マネ〜リテラシ〜とは対極にある。マネ〜リテラシ〜を高めれば高める程に、資本主義の内面化を行なってしまう。寧ろそれは、資本主義のメタ的認知を不可能にしてしまうのでないか。そこで小梅氏は”野生の思考”を行うため、タ〜ザンの技術を磨くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
食い逃げは通常、店舗での無銭飲食を行うものだが、小梅氏は自分の家から逃げている。古代ギリシアにおいては、エコノミーの語源がオイコス(家)であるように、オイコス(家)こそが経済的な場であった。家からの逃避はまさに経済からの逃避であるが、寧ろそこでこそ真のお笑い=芸術が追求できるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
異類婚姻譚を描いた作品。現代の日本人は、多くの場合人間と動物を分たれたものとして思考するが、昔話の世界ではごくごく自然に、動物は人間として振る舞うことできる。同時に、このような思考様式で現実の世界を認識することも可能な筈だ。小梅氏は、”畜生”をヒトとして扱い、種族を越境するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
千葉大学にコウメ太夫氏がやってくるようです。千葉大学のコウメ太夫研究が一気に進展する可能性があります。 twitter.com/ChibaU_fes/sta…
お笑いから哲学、哲学からシュルレアリスムへ小梅氏の作品は変遷していった。そして、シュルレアリスムの探求において、日常言語を異質なものへと接続する試みの中で、小梅氏は詩的言語の探究を行なっていた。焼かれた雲は夕焼けである…なんと美しい詩か。詩人コウメ太夫の誕生を我々は目撃したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
記号のデータベースから、記号を恣意的に組み合わせ、「キャラクター」を消費している…というのは『動物化するポストモダン』以降定式化されたデータベース消費だが、小梅氏は現実の場において恣意的に記号を取り入れる。しかし、現実世界の身体表象には残酷なルッキズム的限界があるのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
青土社様へ 『ユリイカ』コウメ太夫特集の際は呼んでください。
合理主義者達は、宗教者たちが信じる「神」や「仏」の存在の源泉が、人々の「頭の中」にあると告発した。つまりドーキンス風に言えば、神や仏は、「妄想である」というわけだ。しかし...「AI」にとって「神」は「どこにいる」のだろうか?そして、「AI」の頭の中とはどこだろうか?議論を呼ぶ作品。 twitter.com/dayukoumeAI/st…
「食」と「性」の関係は根深い。フロイトの議論を持ち出すまでもなく、「棒状」のものが口に含まれるとき、我々は一種のエロティシズムをそこから連想してしまう。「ごぼう」はまさしく象徴的な「チンチン」なのだ。 twitter.com/dayukoumeAI/st…
カオスや無秩序を志向する小梅氏の作品と、志向性を持たずに作品を産出するコウメAI太夫の作品の差異とは一体なんだろうか。その回路に差異はあれど、出力の結果に本質的な差異はあるのだろうか。意味論的正確さが求められる作品ならともかく、まいチクの場合、一体何がAIと小梅氏を分つのだろうか。
コウメ太夫かコウメAI太夫かクイズ 10問中 6問 正解しました! 【 ①○ ②○ ③✕ ④✕ ⑤✕ ⑥✕ ⑦○ ⑧○ ⑨○ ⑩○ 】 #クイズメーカー quiz-maker.site/quiz/play/Ue5e…
「上位互換」として示されるものが「ずぶ濡れ臭い逆さま」であった。この逆説的な論法に覚えはないだろうか。そう、坂口安吾の『堕落論』だ。坂口は、道徳的観念に縛られない「堕落」こそを称揚する。『堕落論』に影響を受けた小梅氏は、「ずぶ濡れ」で「逆さま」なあり方こそを上位互換とするのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「遊戯王」などのカードは、ゲームバランスの都合により、「禁止カード」になってしまう場合がある。「強欲な壺」のカードを入手した小梅氏であったが、禁止カード故に値段が安いことに憤る。小梅氏は、禁止カードの制定はユーザー間の自由市場を破壊する行為だとして、KONAMIを「畜生」と罵るのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
コウメAI太夫氏はこちらです。 twitter.com/dayukoumeAI/st…
AIによって絵画が描かれる現代。人々はその絵の「生成過程」に注目し始めています。即ち、人によって作られたか、AIによって作られたか、という問題です。 小梅氏の作品は既に「コウメAI太夫」の作品と見分けがつきません。 我々は小梅氏を通じて「AI時代のシュルレアリスム」を考える必要があります。
2000年問題は、西暦2000年に機械が誤作動を起こす可能性があるとされた問題である。ーしかし人間もまた、脳の電気信号によって動く機械ではないか?機械と人間の相似性から、小梅氏は2000年問題の対象を人間に拡張する事が可能であると主張し、自身の思考が2000年以降支離滅裂となったと述べるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
逆チューリングテストを行う作品。チューリングテストは、ある機械が「人間的」であるかを試す試験であるが、この小梅氏の作品は、もはや「非人間的」である。比べて、コウメAI太夫氏の方が一層人間的だ。小梅氏は、我々の認識論的基盤を崩し起こし、人間/非人間の境界域を人間の側から侵犯するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
最近の作品は少々心配になります。 夏バテでしょうか。
すみません、非常に個人的な発信をします。 少女歌劇レヴュースタァライトの劇場版がアマゾンプライムで見れるようになりました。この機会にまだ観ていない方は是非ご覧ください。
コンセプトとコンセントをかけた親父ギャグ、という所で解釈を止めてはいけない。我々は皆なんらかの「concept(概念)」に基づいて世界を解釈する。哲学者達も、多くの概念を創り出し世界を解釈してきた…プラトンの「イデア」、ニーチェの「力への意志」など…では、小梅氏は? twitter.com/dayukoume/stat…