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@dayukoume 不可知論の立場では、神について、“知ることが出来ない”とする。嘗て不可知論の立場を取っていた小梅氏だが、宗教的体験を果たし、“知った”。だが、オットーによると、「聖なるもの」との邂逅は不合理性を孕むのだという。知っても“理解できない”…それでも小梅氏は、「不合理故に我信ず」のだ。傑作。
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チャペックによる造語「ロボット」の語源はチェコ語で労働を意味する言葉である。かつて、労働者の代理表象であったロボット。今の我々は罪悪感なしに当然のようにルンバをこき使うが、その時の振る舞いはまさに醜悪な資本家そのものだ。小梅氏はルンバによる反逆をプロレタリア文学として著したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume 驚嘆の記号である「!」は、エクリチュールの領域にのみ現れる。それに対し元来宗教的シンボルであった卍は、今やデリダの述べる反覆可能性により、「まじ卍」としてパロールに於いて驚嘆を示す。小梅氏は、機械音声などでは表現し難い「!」を、卍によって話し言葉の領域で表現できると指摘したのだ。
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「実質無料」の物は数多存在する。我々人間を経済的合理性を備えた存在とするなら、当然有料の物より無料の物を選ぶ。しかし…例えば"ソシャゲ"など…「無料」を謳うものは巧みに金銭を払うよう促してくる。「実質無料」の物でありながら、金銭を払ってしまう経済的不合理性を小梅氏は畜生と嘆くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume 「不思議の国のアリス症候群」と呼ばれる病をご存知だろうか。これは、知覚された外界が、巨大に見えたり、自分自身が小さくなった錯覚が生じる病である。小梅氏は、ユクスキュルの環世界論を援用しながら、小さくなった我々にとって、🍦が螺旋階段である事を示し、アリス症候群の考察を行なったのだ。
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止まり方を知らないおばあちゃんは、停止無き、不断の運動へと向かう。老婆は、永遠に続くその滑走を止めることができないのである。小梅氏はそのことを悲劇であるかの如く「畜生」と嘆く…かくして”永遠”になった老婆は、補陀落渡海の渡海船の如き、スノ〜ボ〜ドの上で即身仏となったのかもしれない。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「鶴の恩返し」などの異類婚姻譚の話は様々であるが、その一つに「蛤(はまぐり)女房」という話がある。助けた蛤が、美女としてやってくる、といった内容だ。異類婚姻譚では、異類が人間に化けた姿が美しく描かれる事が多い。それを踏まえた小梅氏は、世の中の美男美女の正体をホッキ貝だと考えるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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本作は『創世記』を念頭に置いたものである。イヴは、禁じられた「知恵の実」…よくリンゴとされる…を蛇に唆されて食べてしまう。つまり、リンゴは人類にとって”毒”であったと言えるが、小梅氏によれば、イヴが本当に食べたのは毒蛇の側であったのだという。小梅氏の聖書解釈の独自性が伺える作品。 twitter.com/dayukoume/stat…
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@dayukoume ヘーゲルは「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」と述べた。これは、哲学(梟)は、過ぎ去った時代を事後的に概括する事しか出来ぬ、という意である。埠頭(現世たる此岸)で哲学し、船(次の時代の比喩)を待つ小梅氏。だが、哲学は次の時代を哲学する事は出来ない。小梅氏は、黄昏に飛び立ち、溺死したのだ。
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@dayukoume Christmasのmasの意味は礼拝である。さて、これに即すとチクショマスは「畜生-mas」となり、畜生(生物)一般に感謝し祈願を行う儀と解釈できる。「クリスマス」の西洋中心性とその儀礼の持つ宗教性に憤った小梅氏は、代替案として「チクショマス」を提案し、全ての生きとし生けるものに感謝するのだ。
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@dayukoume 太陽に水をかける。その行為に果たして意味はあるのだろうか。こうして、人生の行為に“意味”を見出そうとしていくと、日々の行為もまた無意味に思えてくるではないか。『シーシュポスの神話』にて人生の“不条理”を描いた哲学者カミュの影響を受けた小梅氏は、人生の無意味さを受け入れよと説いたのだ。
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@dayukoume 自販機の飲料は場所により値段が異なる。これは、事物の価値はその場所により、相対的に変わり得る事を経済的側面から示していると言える。事物の価値を価格に還元し、場所により変えるその恣意性に怒った小梅氏は、モノの価値は場所に拠らぬ普遍的なものなのだ!と普遍主義の立場から激怒したのだ。
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@dayukoume そう、小梅氏は哲学者として、「私」の存在論的様式を確認するビッグチャ〜ンスを手にしたのだ。通常、入れ替わりが起きたとしても、“私”は常に“私”の筈だ。だが、“私”の領域に他者が滑り込み、「霜降り明星粗品さん」という三人称の元、「私」という一人称から解き放たれたらどうなるのだろう。傑作。
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@dayukoume 何故、お雑煮では無くお雑巾だったのか。お雑煮には通常、「餅」が入るが、この「餅」は多くの命を奪う事で有名だ。「餅」が死を想起させる事から、「自己の死」を抑圧し、無意識的に避けた小梅氏は、ラカンの述べる「換喩」の働きにより、雑煮との言語的連関から、雑巾を無意識的に食したのだ。傑作。
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@dayukoume 視姦を行い、客体の裸体に対し、「まなざし」を刻印するのび太さん。客体へのエロティックな欲動を満たす為の感覚は当然、視覚のみに止まらぬ。フロイト的エスからの「タッチタッチ」という、触覚から欲望を満たさんとする呼びかけに対し、超自我による制御を失ったのび太さんは遂に畜生に堕ちたのだ。
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@dayukoume 「まいにち死ぬ」という奇妙な一節は、まさしく小梅氏の思想的実践を示している。まいチクの作者である小梅氏は、バルト的な「作者の死」や、作中での「象徴的な死」を幾度も繰り返す。小梅氏は、一度限りの「死への存在(Sein zum Tode)」たる“ワニ君”と自身のあり方の違いを強調するのだ。傑作。
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@dayukoume 夏が終わり、巡り巡る四季。冷涼なるその季節は、食欲の秋か、芸術の秋か。郷愁を懐く人々を横目に、小梅氏は死神の足音を聞いていた。ハイデガー哲学の影響を多大に受けた小梅氏は、季節が巡る事は同時に自身の死期が近づいている事なのだと考え、逃れ得ぬ死に向き合う覚悟を決めたのだ。傑作。
218
@dayukoume 『おっぱいバレー』では、学生らが「おっぱいを見る」事を目的に奮闘する…だが、小梅氏は、その目的に「女性の」という限定詞が暗に前提されている事を批判する。男/女の脱構築を試みる小梅氏は、Eカップのおっさんという“巨乳”を登場させ、自身が女形である事も含め、男/女の境界を掻き回すのだ。
219
@dayukoume 某金融会社の「むじんくん」は、機械による自動契約機である。さて、トマス・モアは「羊が人間を喰う」と述べ、農民の仕事が奪われる様を描いた。この一節を念頭に置いた小梅氏は、「むじんくん」を権力の象徴たるライオンに喩え、人々の仕事が権力者により機械に置換され奪われる危険性を訴えたのだ。
220
@dayukoume 言語は何処から生じたのだろう。ミュラーはドンドン説を唱え、自然界の音にその起源を見出した他、エイヤコーラ説では、人々の掛け声が言語と化したとされる。小梅氏はワールドカップ開幕に際し、スルスル(ドンドン説)や、てやんでい(エイヤコーラ説)等を検証し、世界の言語の普遍的起源を探ったのだ。
221
@dayukoume 「4K=コウメ4回」と示されながらも、「8K=コウメ9回」となっている。何故か。「クワス算」を提唱したクリプキは、規則に従う事の困難を示した。そう、「4K=コウメ4回」という命題は、「4より大きな数」について何の規則も示していない。小梅氏は8の場合+1する規則を示し、規則問題を提起したのだ。
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@dayukoume 多くの人は今作を一笑に付すが、よくよく考えると人間の身体の約60%は水分で構成されており、湿度90%というのはそれを上回る。「万物は水である」としたギリシャの哲学者タレースの言を踏まえ、外気と体内に共に含まれる水分という共通項に着目した小梅氏は、水分の相互浸透を唱えるのだ。迷信的駄作。
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こちらのチクショー!ですが既に解説しています。
宇宙の深淵に立った小梅氏は、一種のヌミノーゼを果たしたのかもしれませんね。 twitter.com/koume_philo/st…
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@dayukoume 何故、チョコを貰えなかったのだろう。バレンタインでは通常、女性が男性に🍫を渡す贈答関係が結ばれるが、考えてみると、性別超越者たる小梅氏はこの男女二元的カテゴリーに属さない。クィア理論的視座から疑義を呈した小梅氏は、贈答関係が女→男に定式化されるバレンタインを大胆にも批判したのだ。
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マイケル・ジャクソンの舞いのミメーシスを行う小梅氏。「白塗り」を行い、白人に憧れたマイケル・ジャクソンに扮する小梅氏のその行いは、道化的皮肉なのだろうか。死者、或いは亡霊的存在として現-前する小梅氏は、生と死、人種的対立項、男/女といったあらゆる対立項を撹乱し、再形成するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…