哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(いいね順)

レヴィ=ストロースが分析したヒダツァ族のタカ狩では、「人間が同時に狩人でもあり獲物でもある」ようなパラドックスめいた方法での狩りが行われる。マグロ漁船でフィールドワークを行った小梅氏は、マグロ漁船の漁師たちがヒダツァ族と同様に、自らを餌とし、マグロを捕獲している事を報告したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
パプセルをカプセルの誤字と解すると、宇宙ではやぶさ2が収集した成果が「私」であることがわかる。ルネサンス思想の典型として、我々人間を「宇宙」に対応する「小宇宙(ミクロコスモス)」と捉える思想があった。この宇宙論の視座に立つ小梅氏は、はやぶさ2の収集物たる宇宙の一部に「私」を見るのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume なんと小梅氏は、W杯をナショナルアイデンティティの強化装置であると指摘する。確かに、日本代表の応援経験を通じ、我々は「日本国民」である一体感を感じるであろう。小梅氏は、W杯を肯定しつつ、他国を蔑視する行き過ぎた民族主義(ブラックホール)に陥らぬよう我々に警鐘を鳴らしたのだ。大問題作。
公認されない理由は小梅氏の哲学のスタンスにあるのだろう。小梅氏の哲学は「畜生」の哲学である。畜生…つまり、動物を人間より優位においたり、或いは幾度となく死を繰り返し、「死」の価値を認めるなど、価値の転覆をその思想の根底に置いている。Twitter者は価値の革命者を「公認」できないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
ここで重要なのは、小梅氏が”いくつお菓子を買ったか“が示されていないことである。つまり、4個で100円のお菓子は、「8個なら200円なのか?」という問題である。そう、「4個で100円」は、それ以外の場合について言及していない。クリプキ的「クワス算」により、小梅氏は破産してしまったのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
今作が何を表しているかは、「奥さん」の語源を考えればわかる。かつて、武家などの屋敷の奥まったところを「奥」と呼び、前に出ることが少ない女性配偶者を「奥さん」と呼んだ。小梅氏は、旧来のイエ制度に由来する「奥さん」という言葉が現代に相応しくないとし、「手前さん」を用いよ!と説くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
時間的概念である「年齢」に対して、「精神年齢」という概念は評価基準によって変動する。アメリカの心理学者ターマンの用いたものでは2-18歳までが年齢尺度となっており、以降は成人級として一括される。精神年齢において永遠の18歳を生きる小梅氏は、直線的時間の堆積を直視できず、畜生と嘆くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
ガラスの靴で「ホップステップジャンピング」したらどうなるか、考えてみて欲しい。靴が割れたら大変だ。シンデレラとなった小梅氏は、テンションが上がりホップステップ…と行きかけるも、危険性を瞬時に判断し、「チンチンをニャンニャンする」事によってその興奮を収めたのだ。近年稀に見る問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
このままでは #まいにちチクショー が途切れてしまいます。 大変です、今年最後の日に投稿がありません。
@dayukoume ちなみに、新作ではない。
@dayukoume そも、アパートは集合住宅であり、部屋が無い事は有り得ない。そう、この物件は激安故、防音設備が無いのだ。小梅氏は、この住宅では他者に常に配慮する必要がある以上、最早私的な個々の部屋は無いと述べ、哲学者ルフェーブルの述べる「表象の空間」として、“一つの空間”と化していると指摘したのだ。
小梅氏の元に訪れた招待は、まさしく死者からの招待に他ならない。まいチクを遡るとわかるが、臨死体験を繰り返す小梅氏は、死と生を反復するバタイユ的実践者である。自ら死ぬだけでなく、死者の側からの招待を得た小梅氏は、死の実践を通じ、ついに死者とのコンタクトを獲得する事に成功したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「職業」というより”食料”ではないか、というツッコミ待ちの作品。とはいえ小梅氏が食料になることがあり得るのだろうか。ある物が食料になるという事は、そのものが「死」を迎えた事を意味する。つまり小梅氏は「芸人やってなかったら」、死んでいたのかもしれないのだという事を諧謔的に述べるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume アリストテレスが「人はタウマゼインによって哲学を始める」と述べたように、驚き(タウマゼイン)は、古代ギリシャに於いて「哲学の始まり」と看做されていた。人生を驚きの連続と看做す小梅氏は、焼き鳥を食す際にすら「焼き鳥は畜生だったのか!」と一口毎に驚き、まいにちを哲学するのだ。駄作。
千葉大学にコウメ太夫氏がやってくるようです。千葉大学のコウメ太夫研究が一気に進展する可能性があります。 twitter.com/ChibaU_fes/sta…
小梅氏が「コウメ太夫」であるのは、カツラ、着物、白粉の「3種の神器」が揃ってこそだ。まいチクが我々の聖典たりえるのは、赤井貴(小梅氏の本名)ではなく、「コウメ太夫」の言葉だからである。我々チクシストは、後20年は小梅氏が「コウメ太夫」を続けることに安堵するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「時間を忘れる」という一節が「記憶をなくす」と対応関係にある。時間の蓄積がなければ記憶はなく、時間感覚の喪失は即ち記憶能力の喪失に繋がる。これは、「酔い」についての記述ではないか。小梅氏は非-時間的な経験を「楽しい」という記述のみによって示し、客観的な行為との差異を論じるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 遊戯王カ〜ドに於いて主要な物は「モンスターカード」である。そう、小梅氏の息子は父である小梅氏を同様に“モンスター”と捉えているのだ。フロイトによる症例報告の一つ、ハンス少年の例では少年が父への敵意と恐怖を馬に投影していた。小梅氏の息子は、遊戯王モンスタ〜に父の歪な姿を投影するのだ。
メインディッシュとしての「唐揚げ」は主体ではない。ただの「被造物」だ。さて、人間が作り出した「被造物」である唐揚げが裸を「恥」と認識したらどうなるだろう。当然、パンツを履きたくなる。禁断の果実…恐らくレモン…を味わった唐揚げは、「恥」に気付き、主体としての生を歩み始めるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
ドゥルーズ=ガタリ的に言えば、我々の欲望は、つねに散乱しているものだ。二手の道の「どちらか」を選ばなければならない…それは、我々の身体が一つであるが故に生じている。小梅氏の欲望は二手の道の「どちらも」を求める。小梅氏の精神の分裂は、本来あり得ぬ身体の分断を生じさせたのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
ウィトゲンシュタイン=クリプキの「規則」に関する問題を思い起こさせる作品。1×1=1、1×2=2、1×3=3…と続いていって、果たして答えが突如として「キャミト〜ルキャミタマ」にならないと言い切れるのだろうか?その規則はあくまで、有限回の1×3までしか示せていないのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
2000年問題は、西暦2000年に機械が誤作動を起こす可能性があるとされた問題である。ーしかし人間もまた、脳の電気信号によって動く機械ではないか?機械と人間の相似性から、小梅氏は2000年問題の対象を人間に拡張する事が可能であると主張し、自身の思考が2000年以降支離滅裂となったと述べるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
逆チューリングテストを行う作品。チューリングテストは、ある機械が「人間的」であるかを試す試験であるが、この小梅氏の作品は、もはや「非人間的」である。比べて、コウメAI太夫氏の方が一層人間的だ。小梅氏は、我々の認識論的基盤を崩し起こし、人間/非人間の境界域を人間の側から侵犯するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume 『象徴交換と死』を著したボードリヤールは、「死の象徴交換」によって大量消費社会に反旗を翻す事が出来ると説いた。自身の死を覚悟したまいチク…これはハイデガーの議論にも通ずる…により、本来性に目覚めた小梅氏は、死を疎外する現代のシステムに反旗を翻し、真のチクショウを説くのだ。傑作。
@dayukoume 歌を歌う際、腹から声を出す「腹式発声」が推奨される事が多い。だが、本当に「腹式発声」が歌を歌うに最適な発声法なのだろうか。従来の定式化された発声法に対する観念を解体し、再構築する小梅氏は、「膀胱式発声法」を提案し、明文化され難い身体知の可能性を極限まで探るのだ。近年稀に見る駄作。