301
@dayukoume 話題となったセンター試験の設問は、野菜らに足や顔がある事から、非動物に魂を認める立場を取っていると言える。だが、小梅氏は疑問を呈する。「彼らが魂を持つ動物であるならば、生殖行為はどうするのだ?」と。小梅氏は、はぎゅう〜っと脳を絞り、生殖可能なムキムキ羽タマキンを生み出したのだ。
302
小梅氏の哲学エッセイである『まいチク』が書籍でなく、暦として上梓された事態には、恐らく小梅氏から我々への、日々を哲学して欲しいという願いが籠められているのであろう。マクルーハンも「メディアはメッセージである」と述べたが、暦という“メディア”を通じ、日々を哲学しては如何だろうか。 twitter.com/owarai_natalie…
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@dayukoume 多様に「変身」できるメタモンは、アリストテレス的に「全ての可能態」を持つと言える。ポケセンを訪れた小梅氏は、「我々は人間という現実態を持つが、死後我々の身体が他の生物になる可能性もあるではないか!」と悟り、我々は可能態に於いて様々に変化し得る“メタモン”なのだと比喩的に述べたのだ。
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@dayukoume 「コウメダユウ」の六文字が多様に分割されると同時に、「白塗り」や「破綻」といった言葉も分節化され示されている。小梅氏は、「最強のコウメ太夫」は、「コウメ太夫(固有名)」「白塗り」「破綻」という諸要素に依り成立すると述べ、要素集合(合体)により、個人は同定(identify)されると述べたのだ。
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@dayukoume ネタが思い付かない事は芸人失格と言えるが、小梅氏は敢えて「ネタが思い付かない」と述べている。デカルトは唯一確実な真理は他ならぬ我の思考だと考え、「我思う、故に我あり」と述べた。小梅氏はこれを踏まえ、「我思う」を出発点に捉え直し、一からネタと真理を探求していくのだと意欲的に述べた。
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@dayukoume 隠された文字に注視すると…「“ク“が隠されていると思ったら、“シ“でした」…と読み替えられる。実は、クは“苦“を、シは“死“を指すのだ。我々は日常、逃れ得ぬ“死“という苦を秘匿し生きているが、一度「死の隠蔽」を自覚すれば最後、実存的不安に駆られ○○○!と発狂するのだと小梅氏は指摘したのだ。
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@dayukoume 有名な倫理学の思考実験であるトロッコ問題についての論考。真っ直ぐ直進しても多くを殺し功利主義的道徳に反し、また曲折しても人を“自ら”殺す事となるジレンマに際した小梅氏は、「ジャンプする」という回答をするも、想定外の回答に対しトロッコがバグり、マグロと化してしまったのだ。駄作。
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@dayukoume (承前)…人々は必然的に死のプロセスを辿る事が示唆されており、ハイデガー哲学の影響が垣間見える。そして、「ゾンビ」では、ヒトが死した後、死人が「他者の心」の中で“生きる”のだと述べ、人間のゾンビ性(不死性)を唱えたアーレントの議論を発展させたのだ。挑戦作。
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@dayukoume 今作もまた西田哲学の“場”を念頭に置いている。実はナス場は🍆ではなく、“為す場”を示しており、この“為す場”とはまさしく西田哲学における、様々な現象が為される場を指している。スナからナスへの変異を通じ、小梅氏は“砂場で遊ぶ”という現象は”為す場“に依拠する事を見事に指摘したのだ。
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@dayukoume 色とりどり、つまり様々な色が混在する虹色といえば、昨今話題となっているLGBTを象徴する色である。しかし、ここでは虹色では無く、実は黒であったと小梅氏は言う。黒色といえば、無政府主義、アナキズムの象徴である。人権派運動が一転、反権力的社会思想へと陥る危険性を小梅氏は指摘している。
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コウメAI太夫氏はこちらです。 twitter.com/dayukoumeAI/st…
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@dayukoume 嘗て人々には職業選択の自由は無く、固定的な生涯を送っていた。では近代以降はどうだろう。自由が謳われ、個人主義化していくに伴い、職業選択の規範は壊された。だが、我々の多くは未だ、好きな事を職には出来ていない。小梅氏は、誰もが“自己実現”の為に好きな事を職に出来る社会を構想したのだ。
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@dayukoume 何故数学的真理が自明であるのか、多くの数学者が議論してきた。数学の真理性の源泉は一体何だろうか。数学的経験主義者の小梅氏は、1+1という数式に疑問を持ち、今までの数学的経験を白紙とし、改めて「1+1」を探求する試みを為した。が、解はやはり2だった。数学の奥深さを感じさせる一作。
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@dayukoume キリスト教の“隣人問題”を念頭に置く一作。原始共産主義的世界観に感銘を受け、きものちゃんと化した小梅氏だが、なんと“のけもの”とされてしまう。小梅氏は“フレンズ”を基督教における“隣人”に類する概念と定義し、恣意的にセルリアンを除け者とする『けものフレンズ』を痛烈に批判したのだ。
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@dayukoume さて、No(Not)という概念無しに我々は個物を個物として認識出来るだろうか。例えば、<男>は<女>(=not男)の存在により成立し、<私>は<私以外>(=not他者)の存在に依拠している。“No”の概念が無くなった小梅氏は、世界を分化出来ぬ“脳なし”の状態と化してしまったのだ。
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@dayukoume 我々が消費している「美」は、穴場であれど「桜の美」である事は変わらぬ。「美」が大衆化すると、「美を消費する事」がイベントと化し、「美そのもの」が蔑ろにされてしまう!と述べた小梅氏は、落とし穴という比喩を用い、穴場を探す人々は大衆と同調している事に変わりない!と警鐘を鳴らしたのだ。
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@dayukoume 夕日は、同時に朝日でもある。現代の宇宙観を棄却し、「太陽に辿り着けるのでは」と考えた小梅氏は、夕日に向かって途轍もない距離を走った結果、先程まで夕日であった太陽が同時に朝日でもあることを知った。小梅氏は対象を指す言語は、対象を取り巻く状況に因って変化するのだと改めて指摘したのだ。