本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「最低賃金が引き上げられれば会社は必ずつぶれるわけではありません。「会社がつぶれないか」だけでなく、「人がつぶれないか」「社会がつぶれないか」という働き手への影響も含めた総合的な視点を、私たちはもっと持つべきかもしれません。」(『これを知らずに働けますか?』筑摩書房、P110)
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上岡龍太郎さん死去。ご冥福をお祈りします。 「伝統芸能以外で舞台に立っている人というのはおそらくものすごく不安な気持ちで舞台に立っていると思う。伝統芸の人はそれこそ落語だ、浪曲だ、講談だ、と思うから舞台にドンといてられるんですけどね」(『話芸の達人』青土社、P218)
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社会学者のケイン樹里安さんが死去。 初めて読んだケインさんの論稿は、『現代思想』(vol.47・5、青土社)の「「半歩」からの約束」という文章。「ハーフ」表象の研究に惹かれるとともに、研究者が研究以外の活動をすることの意義について、真剣に考える姿勢に共感しました。 ご冥福をお祈りします。
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「一八世紀末には、女性の頭蓋骨の容積は、十分な知力を発揮するには、あまりに小さすぎると考えられていた。また一九世紀末には、女性が頭脳を酷使しすぎると、卵巣が萎縮してしまうと言われた。」(小川眞里子・藤岡伸子・家田貴子訳『科学史から消された女性たち』工作舎、P10)
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6月27日は、社会福祉活動家ヘレン・ケラーの誕生日。 「「知識は力なり」という。しかし私は、知識とは幸福だと思う。深く、広い知識を手に入れれば、正しい目的と誤った目的を区別でき、崇高なことと低俗なことを識別できるからだ。」(『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』新潮文庫、P143)
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「現在も、自衛官募集に対する基本的な認識、つまり若者の「愛国心」や「国防意識」に依拠することは困難であり、給与などの待遇によって魅力を打ち出していくほかないという認識は変わっていない」(布施祐仁『経済的徴兵制』集英社新書、P79) amzn.to/3uBL6F1
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「迷った時に立ち止まれる人はそんなに多くない。引き返すことのできる人間はさらに少ない。多くの日本人は、迷ったまま惰性で前に進んで、でもって、垂直落下する。」(小田嶋隆著、武田砂鉄撰『災間の唄』CYZO、P280) amzn.to/3blmZnA
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「こんや きみが ねる とき  なにか とても おおきい こと  かんがえるんだ。  その おおきい かんがえが  きみの あたまを おおきくするだろう。」 (アーノルド・ローベル著、三木卓訳『かえるの哲学』P64)
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「自分の不注意を後悔するのは立派なことです。でも後悔も度がすぎると逆効果になることがあります。罪の意識が強くなりすぎて、動きがとれなくなり、「しようがない。どうせうまくいかないんだ」と思ってしまいかねません。」(笹野洋子訳『いいことは、いつくるかな?』講談社、P148)
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「ぼくはせめて、小説『火垂るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ、ぼくはあんなにやさしくはなかった」(野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』新潮文庫、P270)
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「愛というものは、互いに仮面を剝がしっこすることで、そのためにも、愛する者のために、仮面をかぶる努力をしなければならないのだと。仮面がなければ、それを剝がすたのしみもないわけですからね。お分りでしょうか、この意味が。」(安部公房『他人の顔』新潮文庫、P321)
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「いつも一緒にいるのが「仲間」なんかじゃなくて、仲間を作るっていうことは、ひとりぼっちでいても平気な、そして「自分はひとりじゃない」って思える自分を作ることなんじゃないか。だから仲間は大事、でもときに一番危険なもの。」(貴戸理恵『増補 コドモであり続けるためのスキル』P176)
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「謙虚とは、人のまえで、己れを無にするとか低く見せることでは絶対にない。むしろ自分の責任において、己れを主張することだ。そう断言します。謙虚とは権力とか他人に対してではなく、自分自身に対してこそ、そうあらねばならないことなのです。」(岡本太郎『孤独がきみを強くする』興陽館、P82)
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「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。」「勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。」(太宰治『パンドラの匣』P19)
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6月12日は、詩人・茨木のり子の誕生日。 「ぱさぱさに乾いてゆく心を  ひとのせいにはするな  みずから水やりを怠っておいて  気難かしくなってきたのを  友人のせいにはするな  しなやかさを失ったのはどちらなのか」 (谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』岩波書店、P171)
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「サラリーマンであるパパ族が、あまりクタクタになって帰ってくることは、私たち赤ん坊族にとってははなはだ好ましくない。ママに一〇〇パーセントのサービスを要求するから、私たち赤ん坊族には恐るべき競争者があらわれたことになる」(『私は赤ちゃん』岩波書店、P13) amzn.to/3BMrGSp
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「過去の歴史について、日本に不都合なことを「なかった」と言い、日本は何も悪くないと語る本は、読んでいる間は日本人にとって心地いいものです。けれども、そんな安心感に身を委ねてしまうと、それと引き換えに大事なものを見失ってしまうのではないか。」(山崎雅弘『歴史戦と思想戦』集英社、P4)
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「生き方のモデルが見つけられずに迷っている時に、救世主のような人が現れて、「こう生きるのが正しい」と断言されたら、溺れる者は藁にも縋ってしまいがちです。社会が不安定で、将来に不安がある時などはなおさらです。」(西田公昭・述、『「カルト」はすぐ隣に』P210) amzn.to/3JRvbt7
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「原爆によって殺傷されたのは、軍人、軍属よりも、むしろ一般の市民が主であった。いかなる意味でも戦闘員とはいえない乳幼児や老人、病人や妊婦、さらには胎児まで殺傷されたのである。」(『新版 ナガサキー1945年8月9日』岩波ジュニア新書、P63) amzn.to/3vNyVFY
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「普通の人々が、民族差別(レイシズム)に由来する流言につき動かされて、虐殺に手をそめた過去をもつ都市。」「そこで今、かつてと同様に「朝鮮人を皆殺しにしろ」という叫びがまかり通っている。」(加藤直樹『九月、東京の路上で』ころから、P7) amzn.to/3sH63gS
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「友情を支える互いに共有するものが、目的や理想でないとすると、それは「生きていること」とでも言いたくなってくる。「お前も生きているのか、俺も」と言いたいような感じ。「お互い、生きててよかったな」というものが伝わってくる。」(河合隼雄『大人の友情』朝日文庫、P34)
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「「思う」と「考える」の違い」 (参照:国立国語研究所編『日本語の大疑問』幻冬舎新書、P152)
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「賢く見せることに一生懸命になるといろいろなところで辛くなるが、賢くないダメな面も最初から素直に出しておくと楽である。計算もなく素をそのまま出すと相手はマイナス面も含めて存在そのものを受けいれてくれる。」(桜井章一『努力しない生き方』集英社新書、P46)
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「子供時代に、自分の存在が偶然で、両親の出会いに左右されていたという単純な事実を初めて知り、何の疑いもなく確実だと思っていた世界の足場が揺らぐ。ここにいるのには、正当な権利があったわけでもなく、必然だったわけでもない。」(『どこでもないところからの眺め』春秋社、P344)
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「自分の人生と向き合って「競争」の功罪を冷静に考えた瞬間に、「致命傷」を負ってしまうのがきっと男性なのだ。競争の無意味さを知ったら最後、現実社会で生きていけなくなる、というような恐怖心のありようは容易に想像できる。」(湯山玲子『男をこじらせる前に』角川文庫、P193)