本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「完全に「他者のため」という動機だけで良心が生じるわけではない。他者に承認されたい、他者と共に生きたい、という「自己のため」の動機も当然あるだろうし、あっていいと私は思う。そうでなければ、自己犠牲を美徳と考えるような偏った義務論になりかねない」(『共感の正体』河出書房新社、P188)
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8月6日は、芸術家アンディ・ウォーホルの誕生日。 「問題は誰にでもあるけれど問題を問題にしないことが肝心なのだ。たとえば金がなくてそのことをいつも悩んでいたら潰瘍ができてしまう、それこそ問題だ。その上相変わらず金は入ってこない。」(『ぼくの哲学』新潮社、P262)
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「一度ある人を立派な人だと思ってしまうと、その人が立派なことをしている場面にだけ注意が向けられる。反対に別の人をダメなやつだと思うと、その人がダメなことをしている場面に注意が向けられがちになる。」(鈴木宏昭『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』講談社、P87)
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「学力というと、問題の解き方がわかっていて、すいすいと解いていくことのように思われているが、そんなものは学力のうちに入らない。まちがったり迷ったりするのは当然であって、早くまちがいに気づいて直せるとか、迷ってもなんとか抜けだせるのが学力だ。」(森毅『21世紀の歩き方』青土社、P50)
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4月5日は、音楽家カート・コバーン(NIRVANA)の命日。 「俺はいい人生を送っていた、とてもいい人生をーー感謝しているよ。でも7歳のときから、俺はすべての人間を嫌悪するようになった。みんないとも簡単に群れ合って、共感し合うように思えたから。」(『HEAVIER THAN HEAVEN』P484)
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「男性の中には、自分を大切にすることを学んでこなかった人も少なくありません。昔からのジェンダー観にもとづく理想の男らしさがむしろ、自分自身を大切にしたり、さまざまな感情をうまく表現することを妨げてきたのかもしれません。」(『ジェンダー・ステレオタイプから自由になる子育て』P56)
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「すべてを疑うか、すべてを信ずるかは、二つとも都合のよい解決法である、どちらでも我々は反省しないですむからである。だから簡単に判決をくだしたりしないで、仮説の役割を、念いりに検べてみるべきである。」(ポアンカレ著、河野伊三郎訳『科学と仮説』岩波書店、P14)
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「日本ほど、「国際」とか「インターナショナル」という言葉にとりつかれている国は少ない。」「あらゆるもののネーミングにこの単語が使われて、それを見たり聞いたりせずには一日も過ごせない。にもかかわらず、外国人や外国の考え方にこれほど障壁を築いている国も珍しい。」(『犬と鬼』P389)
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「我々人間は軽率だから  間違いを犯しがちで、現に持っている大切なものを  過小評価し、それが墓に入って初めて真価を認める。  我々はともすれば不当な怒りに駆られて  友人を破滅させ、あとになってその亡骸に涙する」 (シェイクスピア著、松岡和子訳『終わりよければすべてよし』P186~187)
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「多数者の賛成したことを最善と見做して、大勢の意見に従いたがる我々の性向くらい、我々を大きな災厄に陥れるものはありません。これではただ数に従うだけで、人生を理性の判断によって導くのではなく、模倣するだけだからです。」(セネカ・文、『ローマの哲人 セネカの言葉』P194)
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「ひきこもっていない人々が抱きやすい「ひきこもり」への否定的な感情とは、どういう形であれ〈社会参加〉できている自分を基準にして一方的に当事者を評価し、彼/彼女らがなぜ〈社会参加〉できない(しない)のかを問う視点の欠如から生じていると言える。」(『ひきこもりの〈ゴール〉』P38)
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「読書は、動物園で離れたところから動物を見て楽しむことではありません。デパートで買ってきた昆虫標本を広げることでもありません。密林で、猛獣に追い掛け回されながら、見たこともない昆虫を捕獲するのによく似た行為です。その一匹一匹との遭遇が、読書です。」(荒俣宏『喰らう読書術』P88)
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7月25日は、社会哲学者エリック・ホッファーの誕生日。 「われわれの時代の気質を特徴づけるおもな特性をあげるなら、それは気短さであろう。明日というのはうす汚れた言葉になってしまった。未来は現在になり、希望は欲望に変ってしまったのである」(『現代という時代の気質』ちくま学芸文庫、P132)
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「私は義務教育は何をおいても、同級生を友だちと思えるように教えてほしい。同級生を敵だと思うことが醜い生存競争であり、どんなに悪いことであるかということ、いったん、そういう癖をつけたら直せないということを見落していると思います。」(岡潔・文、『人間の建設』新潮文庫、P120)
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「自分が嫌いだったものを、子供には好きになってほしい、というのも、虫が良すぎる。自分ができなかったことを子供には実現してもらいたい、と考えるような親の言うことを聞く子供はいない。たとえいたとしても、大した大人にならない子供である。」(森博嗣『勉強の価値』幻冬舎新書、P90)
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「幸福な状況は他者が与えることができても、幸福であるかどうかは本人に依存する。逆境にあっても幸福を作り出す人もいれば、幸福な環境の中でも不幸を作り出してしまう人がいる。大部分の不幸はその人自身の作品である。自分の人生は自分しか作れない。」(『「自分には価値がない」の心理学』P98)
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「言葉に責任を持たない人は、人間としてもっとも基本的ななにかを欠いています。どれほど資産や地位があっても、どれほど能力があっても、人間のあり方として失格な人をそれ以上頼ることはできません。そんな人と対話しようとしても失敗するのは目に見えています。」(『対話の技法』笠間書院、P75)
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「本の雑誌」創刊者・目黒考二さんが死去。ご冥福をお祈りします。 「本を読むことより、まず本のそばにいることが好きなのだ。どんな本であっても、本は何かを語りかけてくる。それに耳を傾けることが好きなのかもしれない。」(『社史・本の雑誌』本の雑誌社、P125)
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「都市においては、ほとんどすべての空間が私物化されており、そこにいつづけることは難しい。一見、オープンのように見える地下街や商店街やビルの軒下であっても、そこに長時間いれば警備員がやってきて追い出される。」(阿部彩『弱者の居場所がない社会』講談社現代新書、P118)
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「他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。ひとは、自分の真の神をよく隠す。」(太宰治『もの思う葦』角川文庫、P152)
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「何ごとも百パーセントはよくない。人間には百パーセント依存症というのがあって、いやまた理屈がはじまるのでやめておくが、野球の打率だって良くて三割、勝率だって良くて五割ちょっとというのが現実である。相手もいることだから。」(赤瀬川原平『老人力 全一冊』ちくま文庫、P388~389)
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「個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一となった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれの払う代価は高価である。すなわち自己の喪失である。」(エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳『自由からの逃走』東京創元社、P204)
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「大きなうそも、声高に叫べば信じられる、といったのは、ナチの宣伝相だったが、うそをつき続けた彼の、唯一の真理の言葉がこれであった。ナチが滅びても、一度知られたその原理は、他の権力者たちによって、利用され続けているように思われる。」(なだいなだ『信じることと、疑うことと』P200)
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政治家は疑う対象であって、信じる対象ではない。
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作家の平岩弓枝さん死去。ご冥福をお祈りします 「時代が進むごとに便利で快適な生活ができるのはいいが、人が他人を思いやる心が乏しくなりつつある。人間の持つ心のプラスの面をもう一度自覚して育てていかないかぎり、いくら法律や規制を強めても充分な効果は得られない」(『噓かまことか』P123)