本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(リツイート順)

651
7月26日は、作家・中島らもの命日。 「人間の実相は刻々と変わっていく。無限分の一秒前よりも無限分の一秒後には、無限分の一だけ愛情が冷めているかもしれない。だから肝心なのは、想う相手をいつでも腕の中に抱きしめていることだ。」(『中島らもエッセイ・コレクション』ちくま文庫、P365)
652
「「思う」と「考える」の違い」 (参照:国立国語研究所編『日本語の大疑問』幻冬舎新書、P152)
653
「考えてみれば、友だちというものは無駄な時をともについやすものなのだ。」「友だちというものはお金になるわけでもなく、社会的地位向上に役立つものでもない。もしそのように友人を利用したら、それは友情とは別のものである。」(佐野洋子『友だちは無駄である』ちくま文庫、P213)
654
「友人、と呼んでいた誰もが実は友人ではないことなど、心のどこかで分かっていた。人生のほんのいっとき、狭い檻の中に閉じ籠められた者同士、肩を寄せ合っていただけだ。進級してクラスが変われば忘れる。卒業すれば会うこともない。」(小野不由美『月の影 影の海(上)十二国記』新潮文庫、P235)
655
「インターネットが、歴史的噓が増殖するのを可能としている。というのも、インターネット上では、事実上、事前の検閲なしに、そして一切の制裁もなく、誰でも、どのような名前でも、そしてどのような内容でも投稿することが可能だからだ。」(リン・ハント『なぜ歴史を学ぶのか』岩波書店、P4)
656
「もしあなたが、出待ち行為をしていれば、アイドルからすると、右手にはスマホという刀、左手にはカメラをもって完全武装し、オフの自分に切り込んでくる脅威的なソルジャーに見えてしまう可能性すらあります。」(河西邦剛・松下真由美『清く楽しく美しい推し活』東京法令出版、P24)
657
「私たちは、「言っていることはわかるが、賛成できない」「理屈はわかるが、それでうまくいくとは思えない」と感じることがある。ロゴスとして語られても、それを受け入れるには、パトスが関わっているのである。」(加藤重広『その言い方が人を怒らせる』ちくま新書、P106)
658
「解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない。解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく。消極的(ネガティブ)に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められています。」(帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』朝日選書、P200~201)
659
「味方でなければ敵だ、賛成でなければ反対だ、と受け取る人がいるが、そうではない。味方でも敵でもない、賛成でも反対でもない、ニュートラルな立場がある。「好きじゃない」というのは、「嫌いだ」とは明らかに違う。」(森博嗣『追懐のコヨーテ』講談社文庫、P203)
660
一部の講談社文芸文庫Kindle版でセール(498円均一)が行われているようなので、お勧めの作品を幾つか紹介しておきます。気になる作品があれば、ぜひ読んでみてください。
661
「一般的には、親や社会に都合のいいことが長所で、都合の悪いことが短所だとされてしまっています。けれど子どもが幼いときから自分の気持ちを抑え、我慢をするのは立派なことに見えるけれども、実は自分を見失うことでもあるのです。」(佐々木正美『子どもの心の育てかた』河出書房新社、P69)
662
Tシャツに目がいく著者紹介。
663
「私たちは、幸福であるとき、その幸福をあまり感じない。不幸になったとき、私たちは、初めて、自分に幸福が失われていることを痛感し、深く傷つく。幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる失われた桃源郷である。」(渡邊二郎『増補 自己を見つめる』左右社、P240)
664
7月24日は、作家・芥川龍之介の命日。 「人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望のために、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。」(『芥川龍之介』筑摩書房、P57)
665
「わたしは不幸だ。そう思うとき、根底にはいつも比較がある。比較は不幸のモトだ。それも当然だ。人は比較によって幸不幸を判断するからだ。比較には二種類ある。他人との比較と、過去の自分との比較である。」(土屋賢二『日々是口実』文春文庫、P194)
666
「職業に貴賤はなく、どんな仕事でも偉い、偉くないということはない。無職であっても、人の価値が下がるわけではない。同様に、金持ちが貧乏人よりも偉いわけではない。どんなに仕事で成功しても、人間として偉くなれるわけではない。」(森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』朝日新書、P42)
667
「人々にまじって生活しながら、しかも孤独でいる。これが、創造にとって最適な状況である。このような状況は都会にはあるけれども村とか小さな町にはない。創造的状況の他の構成要素は、きまりきったこと、刺激のなさ、さらに少々の退屈と嫌悪などである」(エリック・ホッファー『波止場日記』P117)
668
「誰かの発言や芸を「面白くない」「つまらない」と一言で切ってしまえば、それで終わりですが、「わからない」という受け止め方だと将来に繫がる。つまり、将来わかる時がくるかもしれない可能性が残される。」(家近良樹『歴史を知る楽しみ 史料から日本史を読みなおす』ちくまプリマー新書、P156)
669
「役に立つかどうかという「功利主義」的な尺度で測るかぎり, この世界は「余計者」で溢れている. 有用か無用か. 有能か無能か. 人間を測るこの判断基準は, 生きるに値するか否かという尺度と紙一重のものである.」(齋藤純一『公共性』岩波書店、Pⅵ)
670
「いじめのかなりの部分は、学校の外で行われれば立派な犯罪です。では学校の中で行われればどうでしょうか? 「罪に問われない、学校は法の外にある」という考え方は、多くのひとがもっているかもしれませんが、ただの錯覚です。」(中井久夫『いじめのある世界に生きる君たちへ』中央公論新社、P8)
671
「伊藤博文が暗殺者となって殺したのは、二一歳のとき、塙次郎という国学者です。塙が、天皇退位の事例の典拠を江戸幕府から頼まれて調べていると聞きつけて、仲間ひとり(山尾庸三:注)といっしょに待ち伏せて、二人がかりで日本刀で斬り殺してしまいます。」(黒川創『暗殺者たち』新潮社、P157)
672
「絶えずだれかと会っていないと落ち着かない人も、不必要にSNSでやりとりしている人も、用もないのに癖のようにインターネットで検索している人も、本人ははっきりと意識していないかもしれないが、自意識を麻痺させようとしているのだ。」(榎本博明『「さみしさ」の力』ちくまプリマー新書、P61)
673
「かわいそうな他者をわざわざ選ぶひと、なんらかの障害をもった他者に近づくひとは珍しくない。これらは、ヒューマニズムあふれる自己犠牲的選択に見えるが、「かけがえのなさ」が非対称的であれば、そこから容易に共依存という対象支配が生まれる。」(信田さよ子『共依存 新装版』朝日文庫、P160)
674
「感動することを知らずに育つことは恐ろしい。ヘイトスピーチのデモなどに熱狂する人々を見ていると、「興奮」を「感動」ととり違えているとしか思えない。周囲と互いに興奮をあおり立てることは、自己の内面に湧き出す感動とは全く別のものだ。」(『三毛猫ホームズの遠眼鏡』岩波書店、P129~130)
675
「ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです」(小川洋子『物語の役割』P65)