本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「職業に貴賤はなく、どんな仕事でも偉い、偉くないということはない。無職であっても、人の価値が下がるわけではない。同様に、金持ちが貧乏人よりも偉いわけではない。どんなに仕事で成功しても、人間として偉くなれるわけではない。」(森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』朝日新書、P42)
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「本は長持ちする。本は頼りになる。あなたが十五歳のときに、あなたに何かを語った本は、あなたが五十歳のときにも、また何かを語ってくれるだろう。あなたのその本に対する理解が非常に変化していて、まったく新しい本だと思うかもしれないけれども。」(谷垣暁美訳『私と言葉たち』P128)
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「人間関係は運の要素が強い。良い友達がいることも、良い親兄弟や配偶者がいることも、本人の努力もあるけれども、運も左右している。そんなあやふやなものを、この状態が良い/悪いと定義し、良い状態にいない人間を貶めるのは、何か傲慢にも思える。」(『やりたいことは二度寝だけ』P51)
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「人生は受容であって、戦いではない。  戦うだとか、最前線だとか、  戦争のことばで、語ることはよそう。  たとえ愚かにしか、生きられなくても、  愚かな賢者のように、生きようと思わない。」 (長田弘『世界はうつくしいと』みすず書房、P64)
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「インターネットが、歴史的噓が増殖するのを可能としている。というのも、インターネット上では、事実上、事前の検閲なしに、そして一切の制裁もなく、誰でも、どのような名前でも、そしてどのような内容でも投稿することが可能だからだ。」(リン・ハント『なぜ歴史を学ぶのか』岩波書店、P4)
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「「生理は病気ではないが, 生理痛は病気である」つまり生理痛は他人と痛みの程度を比べるものではなく, 本人が生活上困っていたら治療対象であると考えていただきたい。」(高尾美穂・文、『月経の人類学 女子生徒の「生理」と開発支援』世界思想社、P93)
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「困難な状態にある人ほど多くの依存先をつくらなければならないのに、なぜか「家族」や「施設」に押し込められてしまう。それは「自己責任」の変形だろう。自分で責任が取れないなら家族が責任を取れ、所属先が責任を取れ。日本とは、悲しいかなそういう国でもある。」『ただ、そこにいる人たち』P218
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「生活保護がまったく機能しない社会を想像してみればよい。それは貧困にストッパーがなく、人々は生きるために「どんな手」でも使わなければならない社会である。犯罪が増え、病気になっても医療が受けられずに、尊厳もなく人が道端で死んでいく。」(今野晴貴『生活保護』ちくま新書、P6)
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「今の日本では、一番弱いものに重荷を押しつけ、「あんなものを背負いやがって、あいつはばかだ」と蔑視し差別する。子どもや老人の世話を女に押しつけ、重荷のために身動きがとれないと訴えられると、無能だとばかにする。」(山中恒『昔ガヨカッタハズガナイ』KKベストセラーズ、P129)
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反ナチ運動を指導した牧師マルティン・ニーメラーの詩。
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8月4日は、童話作家・アンデルセンの命日。 「人間というものは年をとるにしたがって、いかに彼が世界じゅうを走りまわっていても、おのずから一定の場所が心のふるさととなってくるものである。渡り鳥でさえ、ある一定の場所へ飛んでかえってくる。」(『アンデルセン自伝』岩波書店、P320)
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「見え透いた下心で手にできる教養など、たかが知れています。「読むこと」の世界は、ほんとうにオソロシイ世界で、何かを読めば読むほど、知れば知るほど、自分の知らない世界の巨大さ深遠さに愕然とする。そういうものです。」(浦久俊彦『リベラルアーツ』インターナショナル新書、P189)
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「表現の自由はもともとマイノリティの権利として意味があるのだ。マジョリティや強者は自由自在に表現の自由を享受できるが、マイノリティにとって表現の自由は自身の人権を実現するための核心的な価値だ。」(『ヘイトをとめるレッスン』ころから、P146)
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「被害者が、いじめられるのを拒否すると、多くの場合、加害者のほうが、このような「態度をとられた」ことに、独特の被害感覚、屈辱感、そして激しい憤怒を感じる。そして、全能の自己になるはずの世界を壊された「被害」に対して、復讐をはじめる」(内藤朝雄『いじめの構造』講談社現代新書、P79)
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「大体、生きている人間というものは、どこか我慢ならない点をもっています。死んでしまうと誰だって美化される。つまり我慢できるものになる。これは生存競争の冷厳な生物的法則であって、本当の批判家とは、こんな美化の作用にだまされない人種なのであります」(三島由紀夫『不道徳教育講座』P172)
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「生まれ育った家庭と地域によって何者にでもなれる可能性が制限されている「緩やかな身分社会」、それが日本だ。現行の教育制度は建前としての「平等」な機会を提供する一方、平均寿命が80歳を超える時代となっても、10代も半ばのうちに「身の程」を知らせる過程を内包している」(『教育格差』P16)
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「自分の足で立つことは、誰にとっても必須である。ただ、何らかの理由でひとりでは生きられない時もあるし、支えが欠かせない立場におかれている人もいる。誰かと助け合うことが「自立」を阻害することにはならない」(『異文化コミュニケーション学』岩波新書、P162) amzn.to/3b4eaPg
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「どんどん先に読み進めることができる小説が傑作ではないんです。気持ちが昂揚して、あるいは整理がつかなくなって、思わず本を閉じてしまう。そのようにしか読めない小説こそ、かけがえのないものです。」(中村邦生『はじめての文学講義 読む・書く・味わう』岩波書店、P116)
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7月31日は、作家・サン=テグジュペリの命日。 「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」(内藤濯訳『星の王子さま』岩波書店、P7)
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5月8日は、哲学者J・S・ミルの命日。 「社会を構成する人々のうちの相当数が、先々を見越し合理的な配慮をして行動できないような、ただの幼稚な人間に育っていくのを社会が放置しているのであれば、その結果に対する責任は社会自体が負わねばならない。」(『自由論』岩波書店、P184)
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5月6日は、漫画家・三浦建太郎の命日。 「人は同じ過ちを繰り返す様に見えるけれど 因果は決して円環ではない 螺旋なのです」(『ベルセルク』26巻、白泉社より)
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8月8日は、民俗学者・柳田國男の命日。 「書物で学問をしようとする者は、よっぽど用心せぬとたちまち概念の虜になってしまう。殊に我々常民の先祖は随分よく苦しみ、また痛切なるいろいろの実験をしたが自身ではそれを書残しておいてくれなかった。」(『都市と農村』岩波書店、P15)
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「考えてみれば、友だちというものは無駄な時をともについやすものなのだ。」「友だちというものはお金になるわけでもなく、社会的地位向上に役立つものでもない。もしそのように友人を利用したら、それは友情とは別のものである。」(佐野洋子『友だちは無駄である』ちくま文庫、P213)
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「ほかの作家を模倣するのをためらってはいけない。模倣は、アートや技能を学ぶ人にとっては何かを創造する行為の一部なのだ。バッハもピカソも、最初から完璧なバッハやピカソとして現れたわけではない。彼らにもお手本が必要だった。」(『誰よりも、うまく書く』慶應義塾大学出版会、P269)
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「差別は自己価値の底上げを本質としています。自分の価値に自信がない人間が、他人の価値を引きずりおろし、価値のない人間として見下すことで、自分のほうが上だ、自分のほうが価値がある、と思いたがっているのです。」(山竹伸二『ひとはなぜ「認められたい」のか』ちくま新書、P234)