本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(リツイート順)

251
『文學界』(第74巻第1号)によると、歌手の宇多田ヒカルは、母方の祖父母が浪曲師と瞽女だった関係から、「音楽で食べてる人」に対し「大スターとかではなくて、社会の比較的底辺に居るとても貧乏な、立場のあまりない不器用な人たち」(P148)というイメージを持っているとのこと。
252
「一人の人間が戦争を欲したり肯定する心の根底には、他の百万人が惨死しても己れの生命だけは助かるという漠たる気分が支配しているのだろう。」「戦争は今後、あらゆる国家あらゆる人間の一人一人を平等に死滅に導くということを特に銘記すべきだ。」(原民喜『小説集 夏の花』岩波書店、P199)
253
「戦争の真の恐ろしさは、殺人、飢え、破壊、死が発生するからではない。全員がいつのまにか画一化された思考になり、当然のことと行動に移すことにある。戦争体験を語りつぐことのむずかしさは、そこにある。みなが正気じゃなかったのだ。」(星新一『きまぐれエトセトラ』角川文庫、P172)
254
「虐殺の事実を否定することは、未来の虐殺を準備することになる。関東大震災時の朝鮮人虐殺という史実をさかさまにねじ曲げ、「災害時には外国人・少数者に気をつけろ」というゆがんだ「教訓」を引き出す行為を絶対に許してはならない。」(加藤直樹『九月、東京の路上で』ころから、P200)
255
作家の西村京太郎さんが死去。ご冥福をお祈りします。 東野圭吾がデビュー間もない頃、編集者に言われた言葉を思い出す。 「東野さんで儲けようとは思っちゃいませんよ。うちには西村京太郎さんや赤川次郎さんの本がありますから、そっちで稼がせてもらいます。」(『さいえんす?』角川文庫、P184)
256
「職業に貴賤はなく、どんな仕事でも偉い、偉くないということはない。無職であっても、人の価値が下がるわけではない。同様に、金持ちが貧乏人よりも偉いわけではない。どんなに仕事で成功しても、人間として偉くなれるわけではない。」(森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』朝日新書、P42)
257
「日本人は独裁者なき全体主義者なんですが、一度誰かをやっつけていいんだ、コテンパンに叩いていいんだということになると、どいつもこいつもがモラリストのような顔をしてぶったたくので、見ているとおかしくてしようがない。」(開高健・文、ジョージ・オーウェル『動物農場』ちくま文庫、P150)
258
「投票」は、国民がリーダーを選ぶ作業ではなく、国民そのものがリーダーであることを確認する作業である。
259
物理学者の益川敏英さん死去。ご冥福をお祈りします。 「お金の出そうな分野でしか人が仕事をしない。あるいはお金になりそうな発明や特許に人が集中する。こうした商業主義に流される科学研究は、国策としての軍事研究にも利用されやすい」(『科学者は戦争で何をしたか』集英社新書、P89)
260
「漫画より楽しいことがあるものなら、ぜひ教えてほしいわね。」(高橋留美子先生・述、『カメントツの漫画ならず道 2』小学館、P96)
261
「老害に年齢は関係無い。年老いた結果害でしか無い人間を老害と呼ぶが、それは十四歳の人間が十歳の新入りに「あの子調子乗ってない?」とほとんど根拠無く難癖をつけ出したとたん、十四歳であろうが老害の仲間入りなのだ。」(綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』河出書房新社、P189)
262
11月30日は漫画家・水木しげるの命日。 「死にたいという者に、「生きていたら必ず幸せになる」と言うことは、実はとても難しい。死ぬのもそんなに悪いことではない。死というのは無に帰ることだから、良くも悪くもない。生きていても無に近い人だっている」(『人生をいじくり回してはいけない』P28)
263
「言論の自由というものは、ある日突然に奪われるというものではありません。権力によって外堀から内堀へとじりじりと埋められていって、いつの間にか「自由」は動きがとれなくなる。戦前日本の歴史がそう教えてくれています。」(半藤一利『語り継ぐこの国のかたち』大和書房、P207)
264
『はらぺこあおむし』の著者エリック・カールさんが亡くなった。ご冥福をお祈りします。 「人は、その人生で三度  絵本と巡り会う。  幼年時代の最初の  書物としての出会い、  親として我が子ととも  に手に取る再会、  孫へ贈るための今ひと度  の再会である。」 (展覧会カタログより)
265
「先の東日本大震災の後、避難所で生活する人たちは食べる物や着る物とは別に、本を渇望した。地震で滅茶苦茶になった店から本を段ボールに詰めて届けると、多くの人に喜ばれ、あっという間になくなったという。本は必需品。」(安藤祐介『本のエンドロール』講談社文庫、P505)
266
「私は常に「透明性」が重要になると考え、そう発言しています。ここで私がいう透明性とは、国家の仕事を国民が見通せるようにすること。逆に国家が国民を見通せるということなら、監視国家になってしまいます。」(『オードリー・タン 自由への手紙』講談社、P59)
267
「今の日本の国立大学の文系授業は最低レベル」って、なんでこんなに堂々と断言できるのだろう。ひとえに「文系」と言っても、そこには様々なバリエーションがあることは、一度でも大学に通ったことがある人間なら理解できていると思うのだが……。
268
大切な考え方。 「自分だけでは実現のための人手や知恵が足りない、ということはありませんか。そのとき、人に「助けて」が言える。それこそが自立です。「助けて」がうまく言えない状態は、自立ではなく孤立です。」(竹信三恵子『10代から考える生き方選び』岩波書店、P97)
269
「どいつもこいつも己れの未熟を  正当化するために価値観の多様化  などと都合のよい言葉を弄して  物ごとの本質を曖昧にし  自律自省を忘れ自己主張ばかり  のさばらせるから世の中  狂っていくんだ」 (『つげ義春コレクション 近所の景色/無能の人』ちくま文庫、P199)
270
「妊娠は「傷病ではない」という理屈付けで、女性の妊娠機能に関わるすべての医療がーー月経も避妊も緊急避妊も中絶も、そして出産までもーーアクセスが悪く高額になっています。そうした医師たちの「好き勝手」を厚生労働省が見逃してきた」(塚原久美『日本の中絶』ちくま新書、P230)
271
「権威ある人たちが押しつけてくる論理がなんかおかしい、なんかヘンだと感じたら、たとえ論理的に反論できなくても、とりあえず、なんかヘンだぞ、と態度で示しておくことが大切です。そうした態度すら見せないと、権威はみんなが納得したものと考えて、ますます増長する」(『つっこみ力』P71)
272
「差別は自己価値の底上げを本質としています。自分の価値に自信がない人間が、他人の価値を引きずりおろし、価値のない人間として見下すことで、自分のほうが上だ、自分のほうが価値がある、と思いたがっているのです。」(山竹伸二『ひとはなぜ「認められたい」のか』ちくま新書、P234)
273
時々思い出してしまうツイート。 「文系の先生は我々と違って実験をしなくていいので、大量に時間がある。」 こういう偏見は後を絶たない。
274
「よく「ご苦労さま」は目下に、「お疲れさま」は目上に使う、と言われます。これはべつに伝統的な区別ではなく、1990年代から見られる主張です。伝言ゲーム的に広まった面もあり、特に根拠はありません。歴史的には、「ご苦労さま」は昔から目上にも使われていました」(『日本語はこわくない』P46)
275
以前、家にある梅原猛の本を写真におさめたら、撮影失敗して、光の具合でライトセーバーを装備してしまった。 #見た人も何か今は撮れない写真をあげる