本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(新しい順)

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Tシャツに目がいく著者紹介。
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「「生理は病気ではないが, 生理痛は病気である」つまり生理痛は他人と痛みの程度を比べるものではなく, 本人が生活上困っていたら治療対象であると考えていただきたい。」(高尾美穂・文、『月経の人類学 女子生徒の「生理」と開発支援』世界思想社、P93)
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「「怒り」は相手とともに生きていくことを前提にした感情です。一緒に生きていくために、してはならないことを決めたり伝えたりする行為が「怒り」です。たいして「憎悪」というのは共生を拒絶し、相手が存在すること自体を嫌う感情です。」(荒井裕樹『障害者ってだれのこと?』平凡社、P204)
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「無理をしなければ「わたし」が保てないのだとしたら、むしろその無理を続けることは極めて危険である。どこかでそのハシゴから降りなければならない。さらに無理をして、今よりも高くまで登ってしまえば、あとは破滅的に倒れるしかない」(稲垣智則『「ニセの自分」で生きています』明石書店、P63)
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「自分が幸せだと思いたいのか、人から幸せだと思われたいのか、その区別ができていない人が多い、と感じます。自分が満足したいのか、人から羨ましがられたいのか。」(銀色夏生『私たちは人生に翻弄されるただの葉っぱなんかではない』P15)
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「最善の選択を追求しすぎると、逆に満足度は下がってしまう。なぜならば、常に最善の選択をすることは難しい。しかも最善の選択をしたとしても、時間が経つと最善の選択をしたものよりもさらに優れた選択肢が出てくることがあるからである。」(上市秀雄『後悔を活かす心理学』中公新書、P110)
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4月26日は哲学者・ウィトゲンシュタインの誕生日。 「思考は言語で偽装する。すなわち、衣装をまとった外形から、内にある思考の形を推測することはできない。なぜなら、その衣装の外形は、身体の形を知らしめるのとはまったく異なる目的で作られているからである」(『論理哲学論考』岩波書店、P39)
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「他者の存在を無視した「自分」だけの思考が、刺激的なものたりうるはずもありません。実際、「自分で考えること」が最初につきあたるのは、「自分ひとりで考え」たことなどいかにも貧しいものだという自覚なのです。もとより、そんなものは「たかが知れている」。」(蓮實重彦『齟齬の誘惑』P202)
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4月24日は、植物学者・牧野富太郎の誕生日(植物学の日)。 写真は、自由民権運動に取り組んでいた、21歳頃の牧野富太郎(中央)。 のちに、「政治論争の時間を、植物研究に向けるべき」として、運動から脱退した。 (参照:『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』平凡社、P38)
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「人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。」(河上徹太郎編『萩原朔太郎詩集』新潮文庫、P17)
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「現代人はゆっくりするということも、何もせず、ボーッとしている時間を過ごすことも苦手です。何かをすることで幸福感や充実感を得ようとします。でも、何かをするのではなく、何もせずに、いるだけで幸せを感じられる場合があるはずです。」(『ハブられても生き残るための深層心理学』P219)
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「誰かを誹謗中傷することによって「勝った」気になろうとしていることを自覚したなら、まず自分自身の不安から生じた言動ではないかと疑ってみるべきである。自分と相手のスキルの違いを慎重に見比べた結果として誹謗中傷が飛び出してくることは滅多にない。」(『個性という幻想』講談社、P272)
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犬か三毛の一族。 (参照:『パロディって何なのさ。』ブロンズ社、P98)
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「非のない人が理不尽に苦しめられるのを見るのは耐え難い。だが、そうした理不尽な世界に自分が生きていることを認めることより、目の前で苦しんでいる人に何らかの非を認める方が容易である。したがって犠牲者が苦しまなければならないのは、本人に非があるからだと考える」『いじめを哲学する』P87
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「若く美しい女に価値を置き、年をとった女性を差別し、蔑視するという心の傾向は、プリンセス童話のなかに、若いお姫様といじわるで年老いた魔女の対立というすがたであらわれている。若い女性は自分を白雪姫の側においているが、実は、その後半生では魔女の側に入る」(『お姫様とジェンダー』P50)
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「自分、というものがない人は、自らの意志で物事を決めるのが恐いわけで、だから人の意見を聞きたい。そしてその結果を人のせいにしたい。勇気がある人というのは、そう考えると「自分がある人」をさすのかもしれない。」(山本文緒『日々是作文』文藝春秋、P179)
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「先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ」(セネカ『人生の短さについて 他2篇』光文社古典新訳文庫、P45)
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「叩かれて「痛い」と言うこと、これはすでに抵抗です。それ自体には何の意味もないと取られることもあるし、そもそも効果がまったく想定されていないことも多い。しかし、「もう、こんなことはいやだ」ということがおのずと発せられている。抵抗というのはそういうものです。」『哲学で抵抗する』P51
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「完全に「他者のため」という動機だけで良心が生じるわけではない。他者に承認されたい、他者と共に生きたい、という「自己のため」の動機も当然あるだろうし、あっていいと私は思う。そうでなければ、自己犠牲を美徳と考えるような偏った義務論になりかねない」(『共感の正体』河出書房新社、P188)
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4月19日は、数学者・岡潔の誕生日。 「教育は、生まれた子を、天分がそこなわれないように育て上げるのが限度であって、それ以上によくすることはできない。これに反して、悪くするほうならいくらでもできる。だから教育は恐ろしいのである。」(『岡潔 数学を志す人に』平凡社、P180)
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「若いということは、自分にも他人にも残酷である。若いがゆえの経験の浅さと自意識の過剰とが、自分の位置のとりかたを往々にして誤らせる。傲慢さと背中あわせの劣等感に常に揺れ動いていて自分を制御するのがなかなか難しい。」(河野裕子『わたしはここよ』白水社、P40)
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「面白いのは、人は、みんなしているじゃないか悪いことを、とは言っても、みんなしているじゃないか善いことを、とは言わないことである。悪いことは倣っても、善いことは倣わない。行動原理を他人に倣うということなら、善いことを倣う方が善いに決まっている。」(『知ることより考えること』P70)
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「マイナス思考はさらに強いストレス反応を引き起こすことになります。人と人の間のコミュニケーションには、物理的距離以外に心理的距離があります。自分にとって最も近い心理的距離を持つのは自分自身ですから、自己否定は自分にとって最強・最悪のメッセージなのです」(『ストレスのはなし』P25)
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「人と人が別れるとき、「サヨナラ」というものだと私たちは思っている。しかしよく考えてみると「サヨナラ」といって別れることが出来る別れは倖せな別れだ。戦争の頃、私たちは戦争に行く人に向かって「サヨナラ」ということが出来なかった」(佐藤愛子・文、『少女たちの戦争』中央公論新社、P27)
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「「わたしが選んだわけじゃない」と言っても、当選すれば政治家は、あなたを含めてみんなの代表として意見を言い、議会で投票します。選挙は有権者と政治をつなぐ最大のパイプですし、小さな声でも集まれば大きな力になります。そのパイプがつまるのは政治の病気です。」(『政治のキホン100』P159)