本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(新しい順)

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7月24日は、数学者・森毅の命日。 「相手の心を傷つけないようにするのではなくて、傷つかないような関係を相手ととり結ぶこと、それにはときに傷つけあうかもしれぬ危険もあえて引きうける、そうしたなかにこそ、本当のやさしさがあるのではないか。」(『チャランポランのすすめ』ちくま文庫、P150)
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7月24日は、作家・芥川龍之介の命日。 「人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望のために、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。」(『芥川龍之介』筑摩書房、P57)
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「現在も、自衛官募集に対する基本的な認識、つまり若者の「愛国心」や「国防意識」に依拠することは困難であり、給与などの待遇によって魅力を打ち出していくほかないという認識は変わっていない」(布施祐仁『経済的徴兵制』集英社新書、P79) amzn.to/3vdIyh4
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「戦争は、大量の武器や弾薬とともに人間の命も消耗する。そして、消耗される命のほとんどは、愛国心に燃えた富裕層の若者ではなく、教育を受けたり病院にかかったりする基本的な権利すら奪われている貧困層の若者なのである。」(布施祐仁『経済的徴兵制』集英社新書、P35)
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「私は、「私は差別なんてしない」などといった「自分は違う」的な発言をする(一見したところ意識が高いように見える)人こそ、危険であると思っています。誰もが「差別」と受け止められる発言をしてしまう可能性があり、誰もが危機意識を持つべきなのです。」(『いまを生きるカント倫理学』P201)
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『伊丹十三選集 第二巻』(岩波書店)を読んでいたら、抜け毛の悩みを持ち始めた伊丹が、各界名士に「髪の悩み」を訊ねて回った記録が載っていて、大変興味深い。星新一は「何を為たって駄目なものは駄目」と語り、野坂昭如は「手緩い努力では脱毛は救えぬ」「剃るの一手‼︎」と持論を展開している。
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「「知ったところで、どうしようもないじゃないか」ーーたしかに、どうしようもない。しかし「だから知りたくない」という人間と、「それでも知っていたい」という人間とがあるだろう。」(加藤周一『羊の歌』岩波新書、P190)
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「インターネットが、歴史的噓が増殖するのを可能としている。というのも、インターネット上では、事実上、事前の検閲なしに、そして一切の制裁もなく、誰でも、どのような名前でも、そしてどのような内容でも投稿することが可能だからだ。」(リン・ハント『なぜ歴史を学ぶのか』岩波書店、P4)
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「人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を越えて引かれるのだ。したがって、いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ」(ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』みすず書房、P144)
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「後になって、事態がさほどひどくはならなかったと言って、事前に警鐘を鳴らした人々をあざけるのは、不当さの極まりと言えるだろう。あざけりの的になったものこそ、人々に貢献しているのかもしれない。」(ハンス・ヨナス:文、『ありえないことが現実になるとき』ちくま学芸文庫、P186)
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7月23日は、物理学者・益川敏英の命日。 「お金の出そうな分野でしか人が仕事をしない。あるいはお金になりそうな発明や特許に人が集中する。こうした商業主義に流される科学研究は、国策としての軍事研究にも利用されやすいという一面も忘れてはなりません。」(『科学者は戦争で何をしたか』P89)
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「自由には二種類あるのです」「無秩序の時代にあったのは、したいことをする自由でした。今、あなた方に与えられつつあるのは、されたくないことをされない自由なのです。それを過小評価してはいけませんよ」(マーガレット・アトウッド著、斎藤英治訳『侍女の物語』早川書房、P54)
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7月23日は、社会活動家・金子文子の命日。 「自分の行為の主体は完全に自分自身であることを人間は自覚すべきである。そうすることによってこそ、初めて、人は誰をも偽らぬ、誰にも怯えぬ、真に確乎とした、自律的な、責任のある行為を生むことができる」(『何が私をこうさせたか』岩波書店、P121)
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「障碍者はたいてい、障碍がない人と同等には社会参加ができないと見なされています。けれどもそれは、社会が障碍者よりも健常者に都合が良く、より多くの自由と選択肢を与えるようにできているからです。」(芹澤恵+高里ひろ訳『10代で知っておきたい「同意」の話』河出書房新社、P137)
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「世界の猫の呼び方」 「猫(イエネコ)の世界共通の呼び方(学名)は「Felis silvestris catus(フェリス・シルヴェストリス・カトゥス)」です。」 (参照:服部幸監修『ニャンでかな?』P114)
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「「昔は、たいへんでした。あるとき、電車の中で"おまえたち、新しい女には、これしかないんだ"と言って、中年の男性がいきなり私の顔にツバを吐きかけましたよ」とらいてうは後年、住井すゑに語っている(『平塚らいてう著作集月報6』一九八四年四月)。」(奥村直史『平塚らいてう』平凡社、P88)
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「じつは、ピーマンを切ると、苦味物質が酸素と結び付いて分解されなくなってしまうのです。子どもたちの目をごまかすために小さく刻んだりすると、酸素と結びつきやすくなって、かえって逆効果です。」(稲垣栄洋『一晩置いたカレーはなぜおいしいのか』新潮文庫、P94)
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「死にたいという者に、「生きていたら必ず幸せになる」と言うことは、実はとても難しい。死ぬのもそんなに悪いことではない。死というのは無に帰ることだから、良くも悪くもない。生きていても無に近い人だっている。九割方はそうではないのか」(水木しげる『人生をいじくり回してはいけない』P28)
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「読書とは、突き詰めていくと、孤独の喜びだと思う。人は誰しも孤独だし、人は独りでは生きていけない。矛盾しているけれど、どちらも本当である。書物というのは、この矛盾がそのまま形になったメディアだと思う。読書という行為は孤独を強いるけれども、独りではなしえない。」(『小説以外』P179)
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「身体や性をめぐる教育が非常に不十分なまま、少子化対策を「錦の御旗」として、小中高・大学等で生徒や学生に、人生設計の肝は「結婚して子を産み、家族をもつことだ」というライフプラン教育が行われている」(斉藤正美・文、『現代思想』第49巻第4号、青土社、P210)
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「よく、女は生まれながらにしてやさしいとか、細かいことが得意だとか言われますが、あれはウソです。個人差はべつにしても、あれは学習の効果です。子どもは目が見えはじめるとすぐ、生後数ヵ月のころから学習をはじめています。」(田嶋陽子『愛という名の支配』新潮文庫、P91)
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「ぼくの趣味は読書ではなく買書だとは度々言ってきました。ところが買書も一種の読書ではないかと思うのです。読むだけが読書ではなく料金を払って所有することでその本のイメージを買ったのです。買うという行為を通さなければ、読書の入口に到達したことにならないのです」(『言葉を離れる』P71)
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「他人に注意する者は、それが正しい要求であると信じていればいるほど、覚悟しなければならない。自分はいまたいそう傲慢な行為に出ているのだから、無傷で相手を動かすことができるというおめでたい期待などしてはならないこと、を」(中島義道『カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ』新潮社、P94)
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「会社や学校に属さずにずっと生活していると、自由が平気な人と、自由を不自由に感じる人がいるっていうことが分かってきます。「自由」ということは何でもできるということではないんです。自己を律して生きていかないといけないということなんです」(大槻ケンヂ『サブカルで食う』角川文庫、P142)
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「インターネットで検索すれば、自分と同じ年齢なのにすごい人がいくらでも見つかる時代になった。ここで、そうはなれない自分に疲れるのである。生まれたときに自由のチケットを一方的に渡してきて、それを死ぬまでに使い切ることを要求する社会が嫌になるのだ。」(『〈普遍性〉をつくる哲学』P274)