本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(いいね順)

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「自尊心とは自分自身の強さと不完全さの両方をしっかりと見すえた上で、自分で行なう一つの主張なのです。まやかしの優越感を捨てて自分のプラス面を評価し、自己卑下や劣等感を感じることなく、弱い面にもスポットライトをあてることです。」(『いやな気分よ、さようなら』星和書店、P356)
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「私たち人間が求めるのは、たんに「うまく」生きること、つまり費用対効果を計算して「要領よく」生きることだけではない。私たちは、「うまく」生きることよりも、むしろ「よく」生きること・「いい人生」を求めている。」(大庭健『善と悪ーー倫理学への招待』岩波新書、P207)
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「言葉にできる女性をただ「強い女性」として見るのではなく、言葉にできない/しない女性のことを「弱い女性」と見るのでもなく、言葉にすることの痛みも伴った/伴っているのではないかと考えを巡らせる必要がある。」(安達朗子・文、『障害学研究17』明石書店、P24)
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2月17日は、作家・坂口安吾の命日。 「人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。もとより現実は常に人を裏ぎるものである。しかし、現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする、即物的な態度はともかく厳粛なものだ。」(『堕落論・日本文化私観』岩波文庫、P326)
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1月10日は、数学者・森毅の誕生日。 「相手の心を傷つけないようにするのではなくて、傷つかないような関係を相手ととり結ぶこと、それにはときに傷つけあうかもしれぬ危険もあえて引きうける、そうしたなかにこそ、本当のやさしさがあるのではないか」(『チャランポランのすすめ』ちくま文庫、P150)
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「どんな服装をしていても、どんな時間にどんな場所にいたとしても、相手が知らない人であろうと友達であろうと、性暴力被害に遭っていいはずはないのです。悪いのは加害者。こんな当たり前のことを、改めて言わなければならないなんて、おかしいと思いませんか。」(『わたしは黙らない』P65)
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「妊娠は「傷病ではない」という理屈付けで、女性の妊娠機能に関わるすべての医療がーー月経も避妊も緊急避妊も中絶も、そして出産までもーーアクセスが悪く高額になっています。そうした医師たちの「好き勝手」を厚生労働省が見逃してきた」(塚原久美『日本の中絶』ちくま新書、P230)
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「我々の自己責任の語り方に顕著な特徴の一つは、個人の行動には関心を向けても、一連の結果の総体を生み出した広範な構造的変化には無関心、というものである。貧困者をめぐる議論は見る間に、それがどんな点で当然の報いと言えるのかについての長広舌になってしまう。」(『自己責任の時代』P175)
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「多数ほど腹の立つものはない。なぜなら、多数はわずかの強力な指導者と、大勢に順応するしようのない連中と、同化する弱者と、何を欲するのか自分でもさっぱりわからずにノコノコついて行く大衆で構成されているからである。」(岩崎英二郎・関楠生訳『新装版 ゲーテ全集 13』P221)
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「自分、というものがない人は、自らの意志で物事を決めるのが恐いわけで、だから人の意見を聞きたい。そしてその結果を人のせいにしたい。勇気がある人というのは、そう考えると「自分がある人」をさすのかもしれない。」(山本文緒『日々是作文』文藝春秋、P179)
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「ほんとの自立というのは、他人との協力、依存関係を成功させることのように思われます。なにがなんでも自分一人で生きるなどというのは不可能ですし、強引にそうしようとしたら、知らず知らず他人を犠牲にしてしまうし、自分も辛くなるにちがいありません」(『新編 若い父母へのメッセージ』P18)
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「インターネットが、歴史的噓が増殖するのを可能としている。というのも、インターネット上では、事実上、事前の検閲なしに、そして一切の制裁もなく、誰でも、どのような名前でも、そしてどのような内容でも投稿することが可能だからだ。」(リン・ハント『なぜ歴史を学ぶのか』岩波書店、P4)
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1月11日は、作家・氷室冴子の誕生日。 「私が私であるために受ける不利益は甘受できる。けれど、宿命的に与えられた性に限定して向けられる無記名の悪意は、その無記名性ゆえに、私を激しく傷つける。恐慌におとしいれる。」(『新版 いっぱしの女』ちくま文庫、P133)
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「子どもというのはいろいろ悪いことをしたりしながら、失敗もしながら成長するのですが、それをさせずに、ずーっとよい子にしているということは、いわばずーっと押さえつけているわけですよね。心の中ではものすごい爆弾を抱えているわけです。」(河合隼雄『私が語り伝えたかったこと』P76)
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「日本におけるネット世論操作支援の四つのパターン」。 (参照:一田和樹『フェイクニュース』角川新書、P203)
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「世界の猫の呼び方」 「猫(イエネコ)の世界共通の呼び方(学名)は「Felis silvestris catus(フェリス・シルヴェストリス・カトゥス)」です。」 (参照:服部幸監修『ニャンでかな?』P114)
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「不利な集団からの訴えだけでは、なかなか社会全体の変化につながらないのが現実です。なぜなら、恵まれた集団に所属する人たちは現状維持によって利益が得られているため、変化の必要性を感じにくく、変えたくないと思っているかもしれないからです。」(村山綾『「心のクセ」に気づくには』P204)
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「読書は、動物園で離れたところから動物を見て楽しむことではありません。デパートで買ってきた昆虫標本を広げることでもありません。密林で、猛獣に追い掛け回されながら、見たこともない昆虫を捕獲するのによく似た行為です。その一匹一匹との遭遇が、読書です。」(荒俣宏『喰らう読書術』P88)
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「教育というものは、他人と比べてはいけないんです。「あなたのよさは、あなたのよさだね」という教育をすべきなのに、テストや塾で他人と比べて、親も心配だから、「あの子みたいに、ちゃんと勉強しなさい」なんて言うんですよね。」(熊野英一・杉山錠士編著『急に「変われ」と言われても』P32)
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「老害に年齢は関係無い。年老いた結果害でしか無い人間を老害と呼ぶが、それは十四歳の人間が十歳の新入りに「あの子調子乗ってない?」とほとんど根拠無く難癖をつけ出したとたん、十四歳であろうが老害の仲間入りなのだ。」(綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』河出書房新社、P189)
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3月11日は、作家ダグラス・アダムスの誕生日。 「これはよく知られた事実であるが、人を支配したがる人は、人を支配したがっているというその事実によって、人を支配するのにふさわしくない人である。」(安原和見訳『宇宙の果てのレストラン』河出文庫、P272)
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6月25日は、作家ジョージ・オーウェルの誕生日。 「わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式にたいする献身的愛情であって、その場所や生活様式こそ世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。」(『オーウェル評論集』岩波書店、P308)
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「人間という生き物の本質は、助け合いです。しかし、現代社会では、「人に迷惑をかけてはいけない」ことが強調され、「自立」するという意味が少し曲解され、どんどん窮屈な生き方へと追い込まれているように感じます。」(鎌田實『相手の身になる練習』小学館、P127)
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「いまの世の中では高潔で貧乏をしている人よりも銭を儲けてよい生活をしている人の方が尊敬される。だから法律にさえ違反しなければ、或いは違反しても発覚しなければどんなことをしても銭を儲けた方が勝ちだ、と思っている。」(町田康『おっさんは世界の奴隷か』中公文庫、P209)
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「たとえば道徳の授業では、「共感」する能力が強調されますが、それは「やさしい気持ちで人に接すればいい」という話ではないのです。ちゃんと「知識」をもったうえでないと、他者に対して想像力を働かせることはできないし、「やさしく」することもできません」(『心の病気ってなんだろう?』P284)